先週の学習会の件つづきです。
と言っても世間事にかまけてる間に気持ちもうつろってます。
記憶に残っていること中心に、今の気持ちで書いていきましょう。
結構大事なことを話したと思ってますから。
「聞き手・話し手」の実践・分かち合いをした後、その「話し手を大事にする」感じを座談に活かす方法として、昨年「円座禅」のワークで教えてもらった「シャベラー」君を使った形式を取り入れました。
(円座禅のようすはこちら)
誰が話し手なのかはっきりさせることが目的で、話し手が「話しきった」と判断するまで他の方はしっかり聞き手に回る練習です。
話し手をはっきりさせるだけじゃなく、一人代表の聞き手も設定します。
誰もいなければ私がするつもりでしたが、「誰かお願いできますか?」とたずねると一人の方が手を上げてくださったのでお願いすることにしました。
何人かの方がシャベラー君を手にして話してくださり、そのあと分かち合いをします。
話す方は最後まで聞いてもらえる安心感を。
聞き手の方は聞いていて応えたくなったことを言うタイミングがはっきりすると言う安心感を。
それぞれ感じてくださったようです。
誰かが話をして、そのことに答えたい。
でもまだ話が終わってないから聞いていようと思う。
そのうち他の人が話し手の言葉をさえぎって質問したり、言いたい事を言い出してしまう。
こういう場面は座談に限らず良くあることですが、そのことで
言いたいことがいえない
いつ応答してあげたら良いかわからない
というしんどさを感じている人がいっぱい居られます。
今回はシャベラーくんという象徴を使うことではっきりしますが、「そこにいる人を大事にしたい」という気持ちが浸透していけば、普段でも出来るようになってくるはずです。
その後、いくつかの話題や感想を通じて、ひとつだけ「学習」としてお話しすることにしました。
「上手な聞き方」というのは、言葉で伝えて身につけていくのは難しいのですが、「上手くない聞き方」というのは事例を挙げて示すことが出来ます。
その中から、「話し手が自由に話すことを阻害する聞きかた」について。
分析する聞き方
評価する聞き方
誘導する聞き方
言葉は違ったかもしれませんが、この三つについて話しました。
すべて、話し手の方の言葉に、聞き手である私の考え方や思いを乗せてしまう聞き方です。
世間の関係では、ことを早く進めるために、聞きながら想像力を働かせて、「一を聞いて十を知る」ことが美徳とされます。
しかし、話し手の思っている「十」と本当に一致しているでしょうか?
むしろ「十」聞いても「一」も受け止められていないんじゃないでしょうか。
だから、話されることに足さず引かず、想像したり先走りして引っ張り出したりすることのない聞き方。
これは簡単なようでとても難しいですね。
このことだけでまたいろいろ書けそうですが、今回は記録として、この辺までにしておきます。
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