このタイトルで書くことがあろうとは・・・
「生涯学習の部屋」って言う名のブログ。「生涯学習の部屋」で検索すると、このブログが最初に出てくる。
単なる思い付きでつけた、あまりパッとしない名のブログ。
「生涯学習の館」でも「生涯学習の城」でも「生涯学習物語」でも「生涯学習大本山」でも「生涯学習快進撃」でも「生涯学習.com」でもよかった。
友より薦められ、何気なく始めた、ありきたりな名前のブログ。
それが、「生涯学習の部屋」である。
「生涯学習のツールとして資格を活用しよう!」と言った趣旨から始まった。資格を取るためには学習する必要がある。それは、漠然とした学習ではなく、目標を定め、社会的に認知された一定レベル以上の専門性をつけるための学習である。
目標を定めることでモチベーションが向上し、資格を取得することで、対外的も自分の努力を証明することができる。場合によっては仕事にも活用することができる。そもそも、「社会人の生涯学習」とは、仕事の上で活用できることが目的のひとつとされている。無論、教養の資格で、活き活きとした人生に寄与するものでもよい。むしろ、教養の資格の方が、社会人としての幅を広げ、話題も豊富になり、これも仕事に活用できるかもしれない。
仕事に生かせれば趣味と実益を兼ねることもできる。しかし、仕事に関係ない資格でも、ボランティアや社会貢献に活かせることもあろう。
生涯学習は、生涯にわたって、可能性をその実践者に還元する。
無論、可能性だから、まるっきり使えないこともあろう。でも、仕事を通じて、あるいは地域社会を通じて、自分のやってきたことが貢献できれば、どれだけ「人として」幸せか知れない。
折角の人生。そう、一度しかない人生。金のために、自分の人生という貴重な時間を変換したくはない。しかし、その生きてきた証を、次の世代の人につなげることができれば、どれだけ、喜ばしいことであろうか。
そして、それは、どういった学習成果が将来必要になってくるのかわからない。だから、私は、自分の仕事でもスペシャリストになりたいし、自分の趣味、あるいは、それ以外のことでも最低限の知識を持ち、あるいは、可能な限り、得意分野を広げておきたい。
仕事がらみ、あるいは、大学(院)と行った学びがらみにおいて、私は、信じられないような人々と知り合い、話を聞かせていただき、あるいは、お付き合いをさせていただいている。100人中99人が知っている人だったり、あるは、上場会社を潰した人だったり、飛ぶ鳥の勢いでテレビに出ている人だったり、逆の立場の人だったり・・・
一銀行員が、こんな生き方ができるのは不思議である。有料のセミナーに出席しているわけでもないし、勉強会なんかも無縁の私が・・・である。会社の影響もあるが、多くは大学・大学院、もしくは資格がきっかけのつながりである。
その中で学んだことは栄枯盛衰。いくら有名になろうが、金を稼ごうが、それは、死に際して、すべてゼロクリアされる。墓場まで持っていけないものより、人として残せるような何かをしたい。それは、自分の学習を後世に伝えることである。
そのために、将来、誰かに伝えることのできる学習の種を、幅広く、植えているのが今の自分。変わった種=変わった分野の学習の方が面白い。何でも良い。60歳までは、手当たり次第に学習し、それを形に変えて行きたいと思っている。
それが、私の生涯学習の道であり、その道の続くところが、「生涯学習の部屋」なのである。
「生涯学習の部屋」って言う名のブログ。「生涯学習の部屋」で検索すると、このブログが最初に出てくる。
単なる思い付きでつけた、あまりパッとしない名のブログ。
「生涯学習の館」でも「生涯学習の城」でも「生涯学習物語」でも「生涯学習大本山」でも「生涯学習快進撃」でも「生涯学習.com」でもよかった。
友より薦められ、何気なく始めた、ありきたりな名前のブログ。
それが、「生涯学習の部屋」である。
「生涯学習のツールとして資格を活用しよう!」と言った趣旨から始まった。資格を取るためには学習する必要がある。それは、漠然とした学習ではなく、目標を定め、社会的に認知された一定レベル以上の専門性をつけるための学習である。
目標を定めることでモチベーションが向上し、資格を取得することで、対外的も自分の努力を証明することができる。場合によっては仕事にも活用することができる。そもそも、「社会人の生涯学習」とは、仕事の上で活用できることが目的のひとつとされている。無論、教養の資格で、活き活きとした人生に寄与するものでもよい。むしろ、教養の資格の方が、社会人としての幅を広げ、話題も豊富になり、これも仕事に活用できるかもしれない。
仕事に生かせれば趣味と実益を兼ねることもできる。しかし、仕事に関係ない資格でも、ボランティアや社会貢献に活かせることもあろう。
生涯学習は、生涯にわたって、可能性をその実践者に還元する。
無論、可能性だから、まるっきり使えないこともあろう。でも、仕事を通じて、あるいは地域社会を通じて、自分のやってきたことが貢献できれば、どれだけ「人として」幸せか知れない。
折角の人生。そう、一度しかない人生。金のために、自分の人生という貴重な時間を変換したくはない。しかし、その生きてきた証を、次の世代の人につなげることができれば、どれだけ、喜ばしいことであろうか。
そして、それは、どういった学習成果が将来必要になってくるのかわからない。だから、私は、自分の仕事でもスペシャリストになりたいし、自分の趣味、あるいは、それ以外のことでも最低限の知識を持ち、あるいは、可能な限り、得意分野を広げておきたい。
仕事がらみ、あるいは、大学(院)と行った学びがらみにおいて、私は、信じられないような人々と知り合い、話を聞かせていただき、あるいは、お付き合いをさせていただいている。100人中99人が知っている人だったり、あるは、上場会社を潰した人だったり、飛ぶ鳥の勢いでテレビに出ている人だったり、逆の立場の人だったり・・・
一銀行員が、こんな生き方ができるのは不思議である。有料のセミナーに出席しているわけでもないし、勉強会なんかも無縁の私が・・・である。会社の影響もあるが、多くは大学・大学院、もしくは資格がきっかけのつながりである。
その中で学んだことは栄枯盛衰。いくら有名になろうが、金を稼ごうが、それは、死に際して、すべてゼロクリアされる。墓場まで持っていけないものより、人として残せるような何かをしたい。それは、自分の学習を後世に伝えることである。
そのために、将来、誰かに伝えることのできる学習の種を、幅広く、植えているのが今の自分。変わった種=変わった分野の学習の方が面白い。何でも良い。60歳までは、手当たり次第に学習し、それを形に変えて行きたいと思っている。
それが、私の生涯学習の道であり、その道の続くところが、「生涯学習の部屋」なのである。