生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

武蔵野大学大学院の来季の履修科目仮決定!

2010年11月13日 08時23分21秒 | 武蔵野大学大学院
まだ、今期の単位が0単位で、しかも、レポート提出が間に合わない危険性を大いに孕んでいるのだが・・・来季の履修科目を概ね確定させた。

無論、必須科目を落とした場合、そちらの履修が優先される。でも、単位が無事取得できたなら、2年次は以下の科目を学習したいと思っている。

・人格心理学特講(面接+レポート)/4単位
・ケースワーク特論(面接+レポート)/4単位
・インド思想特講(面接+レポート)/4単位
・健康保健学特論(面接)/2単位
・中国仏教特講(レポート)/4単位
・浄土教特講(レポート)/4単位
・特定課題研究演習(修士論文相当)/4単位

以上の26単位である。面接を2教科から4教科へと倍増させ、学習の密度を高くすることとした。今期の失敗は明らかに面接授業の履修科目の少なさが原因。

来季こそ、真面目に、真剣に学習することとしたい。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゼミの幹事会

2010年11月13日 07時53分21秒 | 産業能率大学
社内の試験が終了したら、その足で、産業能率大学時代のゼミの幹事会におもむくこととなっている。

大幅に遅刻なのだが、仕方がない。試験が悪いのである。幹事会にはゼミの先生も出席される。この先生は、明星大学大学院を受験する際、推薦状を書いて頂いたので、恩義に報いなければならない。というか、推薦書を書いてくれなかったとしても、ゼミの先生は絶対である。

とはいえ、教育学修士になれたのは、この先生の恩恵といっても過言ではない。


不思議なことなのだが、人と接触する機会をたくさんもっていると、いずれ、その中から人生のターニングポイントを演出してくれる人にであうものなのだ。本当に不思議なのだが、それが、人間が他の動物と根本的に違うところだと思う。

産能時代には、他にも影響を受けた先生が多数いる。その中でも親しい先生の口癖は、「今日はお互いいい刺激を受けましょう」というものだ。人と人が集まると、その人同士が刺激を与え合う。その中で、自分の考えと共感したり、シンクロしたりすると、人生をも変えてしまう影響になるわけだ。

人と人との出会いの回数が大きければ大きいほど、その影響を受ける可能性は高くなるだろう。私が大学という教育機関を推薦するのは、そのためでもある。多くの人々が集い、しかも、その人々のモチベーションは高い。また、同じ共通の問題意識を持っている可能性も高い。加えて、先生は、その分野のオーソリティであり、関連するテーマを研究しているわけだから、指導を受けるにふさわしい人なのである。「同期」「先輩・後輩」「先生」等、大学でえることのできる人間関係※は多岐にわたる。

※一般的には「人脈」というが、私は、人脈という打算的な響きが嫌いなので、人間関係とさせていただきました。


思えば、現在、人間学研究科で学んでいるわけだが、提出したレポートには「クライエント」「ラポール」「カウンセリングマインド」等、産能通教でゼミの先生から教えていただいたことが極自然に書かれている。

なんせ、カウンセリングを学習する前は、「クライエント」という表示を見た瞬間、「クライアントの間違えじゃないのか!」って思ってましたから・・・

先生以外にも、多くの仲間と再開できるのは嬉しい限りである。でも、その前に試験をがんばらないとな・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

CDP

2010年11月13日 07時22分19秒 | その他
今日は試験を受けに行く。

タイトルに「CDP」と書いたが、「CAREER DEVELOPMENT PROGRAM」で「キャリア開発プログラム」における試験である。私の受験番号自体、300番台なので、受験者全員となると、とある民間資格より多い人数となるであろう。

で、これって「資格」かしら?

「特定の社内の試験なんて、資格というわけないじゃないか!」という方もいらっしゃるだろう。無論、CDPの試験は資格というつもりはないが、特定の社内の検定が公的に認めらる制度を知らないと、資格マニア・・・ではなかった、資格の研究家とは言えない。

それが、厚生労働省の「社内検定認定制度」である。

社内検定認定制度は、社内検定認定規定(昭和59年労働省告示第88号)に基づき、労働者の職業に必要な能力(以下「職業能力」という。)の開発及び向上と、経済的社会的地位の向上とに資するため、事業主等がその事業に関連する職種について、その雇用する労働者の有する職業能力の程度を検定する制度(社内検定)のうち、技能振興上奨励すべきものを厚生労働大臣が認定する制度である。


でもね・・・これが認められるなら、一般の会社の社内検定や、昇進試験、昇格試験、あるいはキャリアのグレードを示す指標も「資格」と数える人がでてきても、絶対ダメとは言い切れない。

「そもそも、資格とは何か?」という点に戻ってしまう。

資格の定義を「ある種の能力を測る基準」としてしまった場合、「お遊び程度のインターネットで取得できる検定資格」と「上場企業の社長賞」と、どちらが価値があるか。転職市場では、後者に軍配があがる。

資格のルーツは、キリスト教や仏教の僧侶となるための資格という考え方もあれば、科挙という考え方もある。科挙という登用資格と比べれば、「お遊びギャク検定」より「民間企業の社長賞」の方が、よっぽど、就職活動において「資格的な効果」を発揮するだろう。

資格の効果として、「自己の能力を一覧的に証明すること」があげられる。「一覧的に」というのは、小切手等の一覧払いと一緒の意味で、「一目瞭然的に」というイメージである。

本当に能力のある人なら、一緒に働けばその凄さはすぐに他者の認めるところとなるだろう。しかし、就職活動は、インターンシップ等でなければ、採用してみないことには、その能力は「求職側の口約束」でしかない。採用する立場としての不安感を「資格」というものがある程度、補ってくれるわけだ。

一覧性があるからこそ、その場で採用ということもできるわけだ。ただ、資格取得の能力と、企業が求める能力が常にイコールでなく、時にアンマッチとなることが、「裏切られた!」という企業サイドの怨嗟の声を生むのであるが・・・

長々と書いたが、今日は試験ということで。

※結局、資格なのか、資格じゃないのか・・・という点は、うやむやのままに。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする