生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

今日の富士山!

2013年01月06日 10時56分02秒 | 富士の高嶺
冬は寒いですが、そのおかげで毎日富士山を見ることができます。
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驚愕の「ラクカラーチャ」

2013年01月06日 10時21分48秒 | 読書
「車にゆられて」という歌をご存知だろうか?

子ども達に聞いたところ「知らない」とのことだが、私の記憶の中には鮮明に「ラクカラーチャ」という言葉が刻まれている。

 山のふもとまで 続いている道
 森のはずれには サイロが見えるよ
 車にゆられて 仕事にでかける
 ぼくたちの顔に 朝日がまぶしい
 ラクカラチャ ラクカラチャ
 ゆらゆらゆれて
 ラクカラーチャ ラクカラーチャ
 牧場(まきば)の中の
 ラクカラーチャ ラクカラーチャ
 でこぼこ道を
 ラクカラーチャ ラクカラーチャ
 車がゆくよ

で、この「ラクカラーチャ」という言葉に、再会した本が「寄生虫のはなし わたしたちの近くにいる驚異の生き物たち」という本である。

お察しのよい皆さまなら、この本のタイトルと、「ラクカラーチャ」の再現が、どのような結果となるか、うすうす感づいていることでしょう・・・

この本のp.260~の「ゴ○ブリに寄せる頌歌」というところで出てきた・・・そう、「ラクカラーチャ」はスペイン語で「ゴキ○リ」なのである・・・

「ラクカラーチャ」に説明書きがあり、『メキシコ革命の英雄、パンチョ・ビラの馬車は砂漠を走っているといつも壊れてしまった。彼の部隊がこのポンコツ馬車につけた名前が、「ラクカラーチャ」だった』とされる。

でも、のどかな、「ラクカラーチャ」が、私の忌み嫌うゴキちゃんを意味する言葉だったとは・・・ショックに打ちひしがれています。

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答えられなかった問題。

2013年01月06日 10時04分01秒 | 読書
「スープのさめない距離 辞書に載らない言い回し56」という本から、更にひとつ(pp.175-177)。

関西人以外はこの表現を使わないとかかれているが、ネイティブの関西人の私にもわからなかったクイズ。その内容を以下に記す。

「今日は久々に仲のいい友人が集まりました。夕食は、出前の寿司を大きな桶で10人前。やはり仲よく、楽しくいただきます。ウニ、エビ、アナゴ、玉子・・・どんどんなくなって、ガリまできれいになくなったのに、桶の真ん中に残る中トロ一つ。10分、20分と時間が経って、中トロはますます乾いていきます。さて質問です。あなたは、残っている『中トロ』のことを、なんといいますか?」

さて、答えは
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『遠慮のかたまり』ということです。

この本によれば、読売テレビで69人に聞いたところ、なんと54人が「遠慮のかたまり」と答えたそうです。中には、「遠慮のかたまりが一つ残っているよ。はよ成仏させてあげて」と言う人もいたそうな・・・

言われてみれば、確かに「遠慮のかたまり」という表現はあったものの、こんなに8割弱の人が答えられる問題を落としてしまうとは・・・関西人失格ですね。


コメント (4)
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コテコテの大阪弁

2013年01月06日 09時46分58秒 | 読書
昨日、小平中央図書館に行って借りてきた本に「スープのさめない距離 辞書に載らない言い回し56」という本があった。

その本のpp.172-174に「コテコテの大阪弁」という記事があり、なるほど、大阪というものを言い当てているな~と思ったわけである。

大阪にある玩具問屋が密集する「松屋町」、普通の人なら「まつやまち」と読むであろうこの地名を、大阪人は「マッチャマチ」と呼ぶ。この法則に従えば、牛めしで有名な「松屋」は「まつや」ではなく「マッチャ」となってしまうのだろうか・・・

コテコテの大阪弁を増加させる言葉に「・・・でんがな」「・・・まんがな」「・・・でっしゃろ」「・・・おまへん」という文末表現を指摘しているが、私のその前に記載されている「いらち」「すかたん」といった言葉の方に愛着を感じる。

「いらち」とは「せっかち」の意味、「すかたん」は「まぬけ」の意味、私のようなネイティブの大阪人には、普通のフレーズなのだが、全国に行った場合、通用するのだろうか?

この本によれば「コテコテの大阪弁という言葉が使われるようになったのは、吉本の笑いが全国に広まった1990年前後からだろうか。新聞などでもこのころから見られるようだ」とされている。

私が上京したのも1990年4月で、大阪弁にコンプレックスを持ち、しゃべれないくらい悩んだものである。頭の中で一旦関西弁を標準語に置き換える作業をするため、会話がワンテンポずれてしまうのだ。

5年後、大阪に戻るのだが、戻ったら戻ったで、「変な大阪弁」といわれる始末・・・東京での5年間は過酷な言語統制に虐げられていたため、大阪に戻っても、もはや、ネイティブ並に、大阪弁を使いこなせなくなってしまっていたわけだ。

ただ、気になるのは、この記事の最後に書かれていた「実際大阪で、今どき「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」「でんがな」「まんがな」といったステレオタイプの大阪弁を普通にしゃべる若者は、いない」と書かれているところ。大阪の伝統・文化が廃れてしまっている現状に憂いを覚えてしまう。
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