資格取得数232、学士取得数12、修士取得数3・・・数としては、他の追随を許さないレベルにまで到達しているのだろう。
しかし、先の記事で書いた通り、マークシート試験を落としてしまう程度の情けない人間である。とはいえ、試験の合否は「時の運」という面もある。修得した単位だけでも313回、取得した資格のために232回・・・不合格等の試験を合計すると、今まで軽く600を超える試験(在宅等も含む)を受けてきたのだから、確率的にも少々の不合格は致し方ない。
知っている問題が出れば何もしなくても合格するし、どれだけ勉強しても、あるいは大学の教授であろうと、自分の専門外で難解きわまる試験を受けることとなれば不合格することもあるだろう。
だが、唯一、絶対といっていい法則がある。
それは、「受験しない限り合格はありえない」ということだ。
不合格を恐れて受験しなければ、あるいは願書を出さなければ、今までの自分を旧態依然に続けていくしかない。無論、価値観を資格や学位に求める必要はない。されど、自分の学習とは全く関係ない第三者の「誹り」や「嘲り」を恐れて、いつまでも「何もしないこと」こそ、もっとも「やってはいけないこと」だと思っている。
資格マニアを擁護するわけではないが、少なくとも、資格マニアは、受験前は「できなかった」ことを、合格というハードルを乗り越え、「できる」ようになったのである。その点については評価したい。
「学び」とは、形のないものであり、常に自分の思い通りになるとは限らない。とはいえ、学び始めない限り、いつまでたっても思い通りの自分には届かない。だからこそ、ダメかもしれないと思いつつもチャレンジするわけである。そして、その結果が、先に述べた資格取得数232、学士取得数12、修士取得数3・・・である。挑戦しつづければ、必ず、何か残るものなのである。そう、少なくとも投下した時間分は。
しかし、先の記事で書いた通り、マークシート試験を落としてしまう程度の情けない人間である。とはいえ、試験の合否は「時の運」という面もある。修得した単位だけでも313回、取得した資格のために232回・・・不合格等の試験を合計すると、今まで軽く600を超える試験(在宅等も含む)を受けてきたのだから、確率的にも少々の不合格は致し方ない。
知っている問題が出れば何もしなくても合格するし、どれだけ勉強しても、あるいは大学の教授であろうと、自分の専門外で難解きわまる試験を受けることとなれば不合格することもあるだろう。
だが、唯一、絶対といっていい法則がある。
それは、「受験しない限り合格はありえない」ということだ。
不合格を恐れて受験しなければ、あるいは願書を出さなければ、今までの自分を旧態依然に続けていくしかない。無論、価値観を資格や学位に求める必要はない。されど、自分の学習とは全く関係ない第三者の「誹り」や「嘲り」を恐れて、いつまでも「何もしないこと」こそ、もっとも「やってはいけないこと」だと思っている。
資格マニアを擁護するわけではないが、少なくとも、資格マニアは、受験前は「できなかった」ことを、合格というハードルを乗り越え、「できる」ようになったのである。その点については評価したい。
「学び」とは、形のないものであり、常に自分の思い通りになるとは限らない。とはいえ、学び始めない限り、いつまでたっても思い通りの自分には届かない。だからこそ、ダメかもしれないと思いつつもチャレンジするわけである。そして、その結果が、先に述べた資格取得数232、学士取得数12、修士取得数3・・・である。挑戦しつづければ、必ず、何か残るものなのである。そう、少なくとも投下した時間分は。