朝早起きをすると眠くなる。
眠くなるとゴロリと横になって、気がついたら「夢の中」である。まあ、何事も「夢中」になるのはよいことといえるだろうか?本当は、もっと学ばなければならないと思いつつ、学ぶことから遠ざかりたい気持ちも持ち合わせている。何事も「強制される」と、心底、敬遠したくなるのだろう。
そういうときには、自分より「すごいな~」と思う方のブログやHPを訪問すると、モチベーションアップに繋がる。「この方でもできるのだから、私にできないはずがない」とか「忙しいこの方でもがんばっているのだから、私が立ち止まっていていいわけがない」といった気持ちになり、怠け心を叩きのめしてくれる。
根っからの天才も世の中には存在する。そんな方に近づきたいとは思わないし、真似するだけ無駄である。ただ、努力の結果として成果をあげている方については、等価の努力をすれば追いつける可能性があるわけだから、いいところは盗みたい。
キャリア関連の書籍の最初のページに書かれていることだが、キャリアの語源は「轍(ワダチ)」である。自分のたどってきた轍がキャリアなのだから、常にキャリアは自分の後ろに形成される。職歴、学歴、資格歴、受賞歴、犯罪歴・・・等々、自分のたどってきた履歴がキャリアなのである。他人のキャリアを自分のキャリアのように振舞うことはNGだし、都合の悪いキャリアを消し去ることもできないわけである。
常々「キャリアアップ」という言葉が嫌いだと言っているのも、そもそも、自分の歩んできた轍である「キャリア」をどのようにアップさせるのか?過去の履歴は、過去に戻らない限り上方修正できない。そんなの不可能である。ましてや、自分の履歴を都合よくアップさせることは偽装に繋がる。そんな偽装のキャリアを使ってまで、掴み取りたいものは何なのだろう?
未来に向かって「スキルアップ」とか「能力開発」とか「自己啓発」とか、「キャリアアップ」という言葉を使わなくても、進むべき方向を示す言葉は多数ある。
さて・・・1年後、2年後、あるいはもっと先の将来に向かって、キャリアを形成していく指針として、「今、何をやるのか」「今、何をすべきか」を考えることは非常に大切なことだと思っている。
人間の残酷なところは、この瞬間、すべての地球上にいる人間が、同時に時間を消化していることである。各人にそれぞれ与えられた人生の持ち時間を、刻一刻と消化している。その分、確実に人生は短くなっているのだから。拡大解釈すれば、「人間は、さして何もしなくても、確実に終わりに向かって時間を消化してしまう」のである。
加えて残念なことに、「過ぎ去った時間を取り返すことはできない」のである。だから、今、この瞬間に、将来の青写真を立てておかなければ、きっと1年後、2年後、あるいはもっと先の将来においても、現状維持である可能性が高いのだ。
「仕事」「余暇」とうい二輪立ての馬車に乗っていれば、後ろに続く轍は「仕事」と「余暇」の2本だけである。しかし、今、それ以外に「資格」「学校」「地域活動」「生涯学習」等々、いろいろなことをはじめれば、四輪立て、六輪立て・・・と、どんどん轍を作り出す「車輪」が増えていくのである。そして、早く始めれば始めるほど、振り返ったときに、長い轍=キャリアが形成されているのである。
また、キャリアとは一朝一夕で形成することはできないため、その点からも、今、この瞬間から種まきをしておかねば、いつまでたっても先送り先送りとなってしまう。
何かしなければ・・・と思っているのなら、今、筆記用具を取り出して、自分のキャリアのたな卸しを簡単に実施して、「何ができるのか」を確認し、「将来、何がしたいのか」という観点から足りないスキルを洗い出してほしい。そして、それを何年間で修得するかを設定し、そのためにどのような方法をとるのか、必ず紙に書いて、明確にしてほしい。そして、アクションを起こすことで、新たなキャリアを培ってほしいと願っている。
眠くなるとゴロリと横になって、気がついたら「夢の中」である。まあ、何事も「夢中」になるのはよいことといえるだろうか?本当は、もっと学ばなければならないと思いつつ、学ぶことから遠ざかりたい気持ちも持ち合わせている。何事も「強制される」と、心底、敬遠したくなるのだろう。
そういうときには、自分より「すごいな~」と思う方のブログやHPを訪問すると、モチベーションアップに繋がる。「この方でもできるのだから、私にできないはずがない」とか「忙しいこの方でもがんばっているのだから、私が立ち止まっていていいわけがない」といった気持ちになり、怠け心を叩きのめしてくれる。
根っからの天才も世の中には存在する。そんな方に近づきたいとは思わないし、真似するだけ無駄である。ただ、努力の結果として成果をあげている方については、等価の努力をすれば追いつける可能性があるわけだから、いいところは盗みたい。
キャリア関連の書籍の最初のページに書かれていることだが、キャリアの語源は「轍(ワダチ)」である。自分のたどってきた轍がキャリアなのだから、常にキャリアは自分の後ろに形成される。職歴、学歴、資格歴、受賞歴、犯罪歴・・・等々、自分のたどってきた履歴がキャリアなのである。他人のキャリアを自分のキャリアのように振舞うことはNGだし、都合の悪いキャリアを消し去ることもできないわけである。
常々「キャリアアップ」という言葉が嫌いだと言っているのも、そもそも、自分の歩んできた轍である「キャリア」をどのようにアップさせるのか?過去の履歴は、過去に戻らない限り上方修正できない。そんなの不可能である。ましてや、自分の履歴を都合よくアップさせることは偽装に繋がる。そんな偽装のキャリアを使ってまで、掴み取りたいものは何なのだろう?
未来に向かって「スキルアップ」とか「能力開発」とか「自己啓発」とか、「キャリアアップ」という言葉を使わなくても、進むべき方向を示す言葉は多数ある。
さて・・・1年後、2年後、あるいはもっと先の将来に向かって、キャリアを形成していく指針として、「今、何をやるのか」「今、何をすべきか」を考えることは非常に大切なことだと思っている。
人間の残酷なところは、この瞬間、すべての地球上にいる人間が、同時に時間を消化していることである。各人にそれぞれ与えられた人生の持ち時間を、刻一刻と消化している。その分、確実に人生は短くなっているのだから。拡大解釈すれば、「人間は、さして何もしなくても、確実に終わりに向かって時間を消化してしまう」のである。
加えて残念なことに、「過ぎ去った時間を取り返すことはできない」のである。だから、今、この瞬間に、将来の青写真を立てておかなければ、きっと1年後、2年後、あるいはもっと先の将来においても、現状維持である可能性が高いのだ。
「仕事」「余暇」とうい二輪立ての馬車に乗っていれば、後ろに続く轍は「仕事」と「余暇」の2本だけである。しかし、今、それ以外に「資格」「学校」「地域活動」「生涯学習」等々、いろいろなことをはじめれば、四輪立て、六輪立て・・・と、どんどん轍を作り出す「車輪」が増えていくのである。そして、早く始めれば始めるほど、振り返ったときに、長い轍=キャリアが形成されているのである。
また、キャリアとは一朝一夕で形成することはできないため、その点からも、今、この瞬間から種まきをしておかねば、いつまでたっても先送り先送りとなってしまう。
何かしなければ・・・と思っているのなら、今、筆記用具を取り出して、自分のキャリアのたな卸しを簡単に実施して、「何ができるのか」を確認し、「将来、何がしたいのか」という観点から足りないスキルを洗い出してほしい。そして、それを何年間で修得するかを設定し、そのためにどのような方法をとるのか、必ず紙に書いて、明確にしてほしい。そして、アクションを起こすことで、新たなキャリアを培ってほしいと願っている。