ちょっと遅れてしまったのですが、本日、昔、リンクを貼っていた友人が大学院を修了したことを知りました。
拙ブログ、リンクをしても6ヵ月更新がないと解除することをポリシーとしているため、かなり前にリンクを解除してしまったのですが、とあるきっかけで、その方が大学を無事卒業して、大学院に入学していたことに気づいたのでした。
一度も会ったことはないのですが、勉強熱心な方で、「全然、寝てないのではないか・・・」と心配することが、よくありました。通信制大学の法学部を卒業するまでは、結構時間がかかったようですが、大学院の方は、最短の2年で無事修了されたようです。本当におめでとうございます。
通信制大学を卒業するのも結構大変で、多くの入学者のうち、学位記を手にするのはごくわずかです。孤独の中での戦いで、多くの方々が力尽き、退学していくのです。しかし、無事、卒業できた方のうち、少なからぬ方々が大学院に進学します。私自身、周りの雰囲気と勢いで大学院に進学してしまったタイプの人間ですが、その大学院生活も、かなり厳しいものがあるのです。
このブログでは、極力、意図的に大学院生活は「厳しくない」ように記述しているつもりですが(笑)、それでも、レポート地獄とか、論文地獄とか、書けない病とか、苦しまざるを得ない切羽詰まった状況を、ユーモアを交えて報告しているつもりです。ましてや、私は「うつけ者」で、必要ない単位を履修したり、余分にたくさん履修したり、楽勝科目より将来に役立つ単位を履修したり・・・と、まあ、好き好んで「茨の道」を選択する癖があるので、時には、本当に、PCの前で茫然自失で佇んでいることもありました。キャパオーバーでフリーズしているわけです(笑)。
そんな厳しい大学院生活も2年でクリアして、おととい?学位記を授与されたようです。本当にうれしいですね。
厳かな雰囲気の中でいただく学位記ですが、物質としてみれば、ただの紙切れ1枚。でも、その1枚の紙切れをいただくために、我々学生は、一生懸命に、研究の成果を目に見える形に落とし込んでいくわけです。本当に人間とは哀れな生き物です。猿なら、どんなに苦労して得た「紙切れ」であったとしても、紙切れは紙切れとしか見れないはずなのに、我々は、その紙切れの価値を理解し、必死に努力し、その紙切れを得るために成長するのですから。
まあ、哀れな反面、それが人間の人間たるゆえんだとも思えます。必死に努力できるからこそ、人間だけは成長することができるのですから。さて、私も来年は3枚の紙切れを得るために、今を努力したいと思っています。たかだか紙切れといえども、それには、自分の努力の結晶が詰まっているわけですから。
拙ブログ、リンクをしても6ヵ月更新がないと解除することをポリシーとしているため、かなり前にリンクを解除してしまったのですが、とあるきっかけで、その方が大学を無事卒業して、大学院に入学していたことに気づいたのでした。
一度も会ったことはないのですが、勉強熱心な方で、「全然、寝てないのではないか・・・」と心配することが、よくありました。通信制大学の法学部を卒業するまでは、結構時間がかかったようですが、大学院の方は、最短の2年で無事修了されたようです。本当におめでとうございます。
通信制大学を卒業するのも結構大変で、多くの入学者のうち、学位記を手にするのはごくわずかです。孤独の中での戦いで、多くの方々が力尽き、退学していくのです。しかし、無事、卒業できた方のうち、少なからぬ方々が大学院に進学します。私自身、周りの雰囲気と勢いで大学院に進学してしまったタイプの人間ですが、その大学院生活も、かなり厳しいものがあるのです。
このブログでは、極力、意図的に大学院生活は「厳しくない」ように記述しているつもりですが(笑)、それでも、レポート地獄とか、論文地獄とか、書けない病とか、苦しまざるを得ない切羽詰まった状況を、ユーモアを交えて報告しているつもりです。ましてや、私は「うつけ者」で、必要ない単位を履修したり、余分にたくさん履修したり、楽勝科目より将来に役立つ単位を履修したり・・・と、まあ、好き好んで「茨の道」を選択する癖があるので、時には、本当に、PCの前で茫然自失で佇んでいることもありました。キャパオーバーでフリーズしているわけです(笑)。
そんな厳しい大学院生活も2年でクリアして、おととい?学位記を授与されたようです。本当にうれしいですね。
厳かな雰囲気の中でいただく学位記ですが、物質としてみれば、ただの紙切れ1枚。でも、その1枚の紙切れをいただくために、我々学生は、一生懸命に、研究の成果を目に見える形に落とし込んでいくわけです。本当に人間とは哀れな生き物です。猿なら、どんなに苦労して得た「紙切れ」であったとしても、紙切れは紙切れとしか見れないはずなのに、我々は、その紙切れの価値を理解し、必死に努力し、その紙切れを得るために成長するのですから。
まあ、哀れな反面、それが人間の人間たるゆえんだとも思えます。必死に努力できるからこそ、人間だけは成長することができるのですから。さて、私も来年は3枚の紙切れを得るために、今を努力したいと思っています。たかだか紙切れといえども、それには、自分の努力の結晶が詰まっているわけですから。