クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

蒲郡クラシックホテルの歴史と、池波正太郎のエッセイ

2020-12-15 | 歴史

 「海辺の文学記念館」(愛知県蒲郡市)で、

クリンは

たくさんの 文ごう(豪)による、

「蒲郡クラシックホテル」についての 

文章を 読みました。


 たとえば・・グルメな時代小説家、

いけなみしょうたろう(池波正太郎)

エッセイ『よい匂いのする一夜』で、

レストランの ビーフカツレツを

登場させてますし、

 その他・大物(谷崎潤一郎や、菊池寛、川端康成、志賀直哉、与謝野晶子etc.)

も、

エッセイに、小説に

 ホテルの姿を、かれい(華麗)に 立ちあがらせています


 もちろん・・、ホテル自体が

ステキだから、

自然に 物語が生まれちゃう

と いうのはあります


でも・・

 それは、実は・・この「蒲郡」と立派なホテルに

人を呼ぶ、

国をあげての「PR活動」

として

行われた・しっぴつ(執筆)だったのだ

そうです

 

つまり・・



 ホテルや、行政が、有名作家に

いらい(依頼)し、

(みんながあこがれる観光地として、作品に書いてよ

根回しを していた

結果だ、と いうのです

 

・・・・・・

 

 

きけば・・

ホテルがオープンし、

作家たちが 招かれていた

昭和9年


日本は すごく貧乏で(恐慌のまっただ中)

中国や、欧米とは ケンカばかり、、

ハッキリ言って、

ちょう(超) 行きづまっていたころだった

らしい

(※太平洋戦争開戦の7年前です)

 

 そんな中で・・ ムリして打った 大々的な

「ウェルカム・トゥ・ジャパン・キャンペーン

は、

政治・けいざい(経済)の どんづまり

一挙に かいけつしうる

「起死回生の策

と して、

 政府や、役人の 肝いりで はじめられた

一大国家プロジェクト

でした



 つまり・・ がまごおりホテルは、川奈ホテル、

うんぜん(雲仙観光)ホテル、

と ならび、

「外国人観光客向け」に たてられた

国家のいしん(威信)と

めいうん(命運)を かけた、

ホテル

 

だったのです

 

しかし、、



 どれほど・一部で がんばったところで、

大きな方向性

軍国主義であった 時代・・

 

「観光立国」なんて、

企画だおれに おわってしまう

かなしい 定め、、


 大日本ていこく(帝国)の 野心
は・・

観光立国」や

「貿易立国」を 目指すのなんかに

おさまらず

かくだいろせん(拡大路線)を つきすすんで、

 

ほうかい(崩壊)して しまいました・・


 先の見えない、不たしか(確か)な

時代に、

国のふっかつ(復活)の

いちよく(一翼)を になうために

たてられた

がまごおり(蒲郡)クラシックホテル・・

 それは、まさに こんとん(混沌)の昭和

が、

なんざん(難産)して

生みおとした、

きりんじ(麒麟児)であった

 

と 

いうわけでしょうか・・。

 



 ちなみに、このたび・・ 昭和9年について

ちょっと

しらべなおしてみたら、

 

・日比谷に、東京宝塚劇場が 完成したり

・渋谷に、ハチ公像と東急東横デパートが オープンしたり

・築地本願寺が、古代インド様式で復活したり、、

 

 「建築史」として、わりあい・おもしろい

てんかい(展開)が あったことが

わかりました

 

 世はまさに、「欠食児童

に「娘身売り」、

「満州国は帝政に移行」して

「思想犯」はひどい目に あっている

いうじき(時期)に・・

 

ふしぎと

前に すすんでいる部分も あったのです。。


 ぼうとう(冒頭)で・・

池波正太郎さんが

ホテルのエッセイを 書いている

ご紹介しましたが、、

 その中で、池波さんの

連れの 紳士が、

こんなことを おっしゃっています

 

 正ちゃん、切羽つまった生き方をしてはいけませんよ。たとえ気分だけでも余裕(ゆとり)の皮を
一枚残しておかなくてはいけない。」

 池波さんが、その方から「何度も聞かされた」

という

言葉は・・

 

がまごおりクラシックホテルのできた 

時代において、

本当に 

いみ(意味)をもった、

心からの発言 だったんじゃないかな・・?

 

 ・・・って、クリンたち、話しました。

 

 

コメント (16)
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