信じられないような大きな地震で日本中が大変なことになっています。
次々流されるニュースはまともに見ていられない光景ばかり。
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く、そして一人でもたくさんの方が無事で平安な生活を取り戻せるように祈っています。
そして・・・・
母が先週金曜日、11日の早朝に亡くなりました。
Chemin♪お菓子の小径にオーダーくださったみなさまの一部の方々には、オーダーキャンセル、納期の延期をお願いいたしました。
こちらからの一方的な、そして急なお願いにも関わらず、快くご了承してくださいまして本当にありがとうございました。
母が亡くなってしまったことはとても悲しくて残念ですが、母が息を引き取るその瞬間まで一緒に過ごせたことは幸せでした。
母と過ごす時間をくださって本当にありがとうございました。
心からのお詫びとお礼を申し上げます。
また、母の容態を以前よりご心配くださったみなさま、本当ならお一人お一人にお礼申し上げなければならないのですが、このような形でのご報告になってしまい申し訳ありません。
本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
ちょうど一年前(本当にぴったり一年前)、母が乳がんのために入院、手術を受けて以来、闘病を続けていました。
闘病・・・というととても苦しくて暗くてつらいように感じますが、実際はそういうことばかりではありませんでした。
猛暑の夏毎日、妹と2人交代で母の放射線治療に通ったこと。
介護保険の申請や利用のためにバタバタしたこと。
母の体調をみながらの通院。
家のことは全部母任せだった父がはじめて挑戦した家事と介護。
だんだん自分でできることが制限されて不自由になっていく母の世話は正直、しんどいと感じる時もあったし、私も体調を崩してしまったこともありました。
もっとできたことがあっただろう、もっとしてあげたかった・・・という気持ちは溢れてくるばかりですが・・・・
でも、今しょっちゅう思い出すのは不思議と楽しかったこと、母と家族の笑顔ばかりです。
信じられませんが、声に出してケラケラ笑いたくなってしまうこともいっぱい。
母が逝ってしまうのはでもちょっと早すぎたかな・・・ママ、あわてんぼうです。
今回の入院は緩和治療とあわせて前向きな治療入院だったので・・・。
妹と2人で母を入院させた朝はヨロヨロながらも自分の足で車にも乗ったのにね。
介護の仕事中に妹から「びっくりしたらあかんよ、とても危ない状態。もしかしたら・・・」と連絡をもらったのが入院の翌日の昼。
急変でした。
その夜は家族全員、ウツラウツラ意識が戻ったり話せたりできた母の元に集まり、ベッドの周りでいろんな話をしました。
母がいつもいつも「元気にしてるか?風邪ひいてないか?」と心配してくれた我家の「由」と「岳」も母の手を握って、ポロポロっとそっと泣いていました。
その夜は病院に泊まった妹は夢うつつの母のおしゃべりに明け方までお付き合い♪
いつもいつも自分よりも人の心配ばかりしていた母。
病院に泊まるという妹に「何で泊まるの?ママそんなに悪いの?」とみんなの心配をよそにキョトンとしていた超天然のママ。
何度もあわや息がとまりそう・・・という場面を乗り越え、10日の夜は私が病院に泊まりました。
もう全く意識は回復せず、返事をしてもらうことはありませんでしたが、母にいろんな話をしたり、顔や手足のスキンケアやマッサージをしたりして過ごしました。
そしてゆっくりと今までの感謝の気持ちを声にだして言うことができました。(元気な時に言っておけばよかったのに・・・素直になれないものです)
痛いことが嫌いな母と必要以上の苦痛を望まない家族の意思で特別な延命治療はしませんでした。
呼吸の様子が少しでも変わったらすぐにナースコールを!といわれていた私。
午前5時半、もう少しがんばったら夜が明ける・・と少しほっとした時、恐れていた急変。
すぐナースコールをしていったい何分だったのかわかりません。
あっという間。すぐに電話した妹も父も間に合いませんでした。
それからしばらくのことはよく覚えていません。
でも落ち着いてきて、妹と2人で看護士さんと一緒に母を湯灌してあげて、母のお気に入りの洋服を家から持ってきて着せてあげました。
きれいにお化粧をしてあげた母はまるで眠っているように、少し微笑んでいるようでした。
お肌もツルツル、ほおも唇もピンク色、とってもきれいでした。
「こんなつらい病気と闘ってこられたとは思えないほどの穏やかなお顔です」
「信じられない」とおっしゃった主治医の先生の言葉に、朝まで母を守りきれなかった・・・という気持ちが溶けていきました。
家族だけで静かに母を送るつもりでしたが、母を思ってくださったご近所の方やお友達、そして本当に偶然に母を病院にお見舞いにきてくださった方々(3人も!)・・・
沢山の方々に見守られ母を送ることができました。
まだ自分自身も父や妹も母がいなくなった本当のさびしさ、気持ちの整理も全く着いていないと思います。
こんな内輪のことをブログに書くのはどうか・・という気持ちもありましたが
書くことであらためて悲しみに浸り、想い出に胸を温め、何か前に進めそうなそんな気がします。
長文を読んでくださった方、ありがとうございました。