昨夜は、私が建築業界へ入りたての頃、大変お世話になったS先輩のお通夜だった。
22~23才の頃だったろうか。
入社して1年が過ぎた頃から、私は先輩に付いて現場監督助手として仕事をしていた。
現場の年代は前後するが、記憶に残っていることを・・・。
公営団地松山団地B棟新築工事
この現場はお隣A棟を市内他社が請け負っていた。
隣同士なので、当然S先輩は「〇〇建設には負けない!」とライバル意識丸出しだった。
確か、1階のコンクリート打設が同じ日だった時だったと思う。
S先輩は秘策を打ち出した。
コンクリート打設を朝6時から開始。
打設終了後いったん帰宅。
「隣は早く引き上げたばい」と思わせておいて、夜10時に大工さんらと再び現場に集合し墨出しするのである。
そして、翌朝一番から型枠建て。
お隣が翌日出てきて墨出しをしている時に、すでにこちらは型枠を建てているのである。
当然隣りは驚いている。「いつ、墨出しをしたんだ?」ってね。
「ざまぁ~みろ!ってなもんだ。これで1日リードだ!」という訳だ。
そしたら、次からお隣も同じ戦法に出た。
負けじと、S先輩はどうしたら工期短縮できるか、一生懸命考えてたなぁ。
市営古賀島団地A棟新築工事。
ここでは側溝で失敗した。
型枠を外した後、バックホーで埋戻し転圧したら、側溝の幅が1~2cm程狭まってしまった。
S先輩「あいたぁ~、埋め戻す前に桟木でツッパリをしとかんばやった~」
既に現場に搬入しているコンクリートの側溝蓋が入らないのである。
ロードカッター屋さんを呼んで、何十枚も蓋の幅を切った。
団地前の公園の遊戯施設の配置は私が考えた。今はどうなってるのか?
前は通るのに気にしなくなってしまったなぁ。
貞松病院医院長(当時)宅新築工事。
基礎のくい打ち当日、S先輩たちは1級建築士の試験だった。
アースオーガーである程度穴を掘り、ディーゼル(だったっけ?)ハンマーで杭を打つのだが、
1ヵ所予定強度が出る前に、基礎底盤より1m程簡単に入ったので、止めた。
途中で設計事務所から電話が入った時に、その一か所を「途中で止めた」と言ったら、
電話口で「何で勝手に止めるんだ。頭を掘り出して、もう一本を溶接して、強度が出るまで打て!」って怒鳴られた。
杭屋さんにお願いして剣スコで掘ってもらった。
また、ある日。
院長先生が現場でS先輩と話をしていたら、
病院から看護婦(今は看護師)さんがやってきて、
「先生、あそこが曲がっているので、治して欲しいという患者さんがみえているんですけど(笑)」と告げると、
「『それは、治せない』と言いなさい」と。
笑ったなぁ~。
当時はウォシュレットが珍しかった。
今みたいに着座センサーは無かったので、ボタンを押したら水が出た。
他の先輩とどんなもんか試してみた。
ボタンを押したらノズルから水がピューっと出て、二人の頭を超えて廊下を濡らしてしまった。
これも笑ったなぁ。
ニチレイフーズ 長崎工場
こちらでは時折、冷凍食品を頂くことがあった。
だた、あの工場内の独特なにおいにはなじめなかったなぁ。
ライオンズパチンコ新築工事。
今はボートの「前売り場外おおむら」(富建本店前)になっている。
ここは、工期が無いうえに、開店日が1日遅れる毎に500万円の違約金を払わないといけない契約だったらしい。
他社は逃げた(高い金額で入札した)と聞いていた。
S先輩が現場を任されることになって、私が下に付くことに。
S先輩「友〇君、工期が間に合わんやったら逃げるけんね」と半分真面目に言われた。
随分夜中までやった。おかげで予定通り開店し逃げずに済んだ。
ボートレース(賭け事)が好きで、時々現場を抜け出して、同好の業者さんとボート場へ行っていた。
そういえば、私の初めての掛けボートは先輩に連れられて行ったのだった。
「これでせんね」と3,000円くれたんだった。
今となっては楽しかった思い出ばかりである。
S先輩からは、いろんな事を教わった。
短気だったらしいが、特にガミガミ言う人では無かった。
いつも優しい口調だった。
お客(施主)さんや、官公庁の担当からの信頼も厚かった。
なかなか会う機会も無かったが、
最後にお会いしたのは2・3年前ぐらいだろうか。奥様とお孫さんと一緒だった。
すっかり痩せ細った顔を見て、涙が出た。
先輩、ありがとうございました。
合掌。
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