江戸後期の絵師、土佐光孚の能画『江口』です。
全体、63.5㎝x192.2㎝。本紙(絹本)、49.8㎝x108.6㎝。江戸後期。
【土佐光孚(とさみつざね)】安永九年(1780)年ー 嘉永五(1852)年、江戸時代後期の土佐派の代表的絵師。。禁裏絵所を務め、寛政二(1970)年従六位上に、嘉永五(1852)年には正四位下に叙せられた。文化三(1806)年以降は土佐守と号した。
土佐光孚は、多くの色絵を残していますが、今回の品はそのうち、能画に属するものです。能画のパターンとしては、能舞台の一場面を描いたBタイプの絵です。
能『江口』は、観阿弥作、世阿弥改作の能で、卑しい遊女江口が実は普賢菩薩の生まれかわりであったという物語で、俗世のなかに高遠な真理を説く夢幻能です。聖と俗とを仏教の原理からとらえ直そうとする『卒都婆小町』の前半部に似ています。
【あらすじ】旅僧たちは、西国行脚の途中、娼館が軒を連ねた江口の里(大阪)に立ち寄り、一夜の宿を請う西行法師の頼みを断ったという遊女、江口の君の旧跡をたずねます。すると、里の女(前シテ)が現れ、江口の君は、頼みを断ったのではなく、出家者西行の身を思って遠慮したのだと述べて姿を消します(前半)。夜半、僧が江口の君を弔っていると、二人の侍女を伴った江口の君の亡霊が、屋形舟に乗って現れ、華麗な舟遊びの様子を見せ、罪深い遊女の身のつらさを語り、舞います。そして、この世の無常からの解脱を説くと、普賢菩薩となり、象に乗って西の空に消えて行くのでした。
この絵は、能『江口』の後半、二人の侍女を伴った江口の君の亡霊が、屋形舟に乗って現れ、華麗な舟遊びの様子を見せる場面です。
中央に江口の君(後シテ)、両脇に侍女(ツレ)。
旅僧(ワキ)は、屋形船の3人の女性と対時します。
3人の女性と旅僧は、土佐派特有の色絵で描写されています。
一般に、能の情景を描くAタイプの能画に対して、舞台の一場面を表すBタイプの絵は、能が作りだす世界を表現すのには不向きです。
しかし、この場合、華麗な舟遊びの場面なので、土佐派の色絵表現は適していると言えるでしょう。
3人の女性(江口の君、侍女二人)の衣服も相応に描き分けられています。
江口と若い侍女。
扇を持つ江口の君の衣裳は華麗ですね。
竿を手にした年配の侍女は地味な着物。
落款には、「絵所預正五位下土佐守藤原光孚」とあります。土佐光孚が正五位下の位にあったのは、文化元(1818)年1年間のみですから、この年に描かれた品であることがわかります。
実は、ずいぶん前、道後温泉の老舗旅館の能舞台に、土佐光孚の能画を貼った屏風が置いてありました。どんな題目の能絵だったか忘れましたが、「おお、こんな江戸画があるのか。」と感心しました。何とか入手したいと思っていた所、数年後にめぐり合ったのが今回の品です。
念ずれば通ず(^.^)
3人の女性の衣服も主従に相応しく描き分けられ、また、江口の君の衣裳の赤っぽい華麗さと旅僧の衣装の茶色っぽい地味さとの対比も見事ですね(^-^*)
まさに、絵になる絵ですね!
「念ずれば通ず!」でしたね(^-^*)
特に、舞台を描いた能画などは、スナップ写真ならわかりますが、わざわざ絵にする意味をあまり見出せません。芸術的価値を求めるのは難しいと思います。
それでも、やまと絵系譜の土佐派の色絵には、少しは見るべきものがあるのかなと思いました。