2日目も、朝早くからの行動でした。
松島へ向かったのは8時頃、ちょっと混んでしまったのですが9時過ぎには松島へ到着。
松島は7年振り位だろうか?
仕事で仙台に来始めた時の休日移動時に、寄ったのが最後かな?
まだまだガラガラで、すんなりと街外れの駐車場へin!
まずは10時からの松島観光遊覧船のチケットをGETし、そのまま五大堂へ。
震災の時はどの位の水が押し寄せたのか?
五大堂は・・・と思ったのですが、外観はそのままの姿でホッと安心。
しかし観光案内センターへ行くと160cm位の場所に、水はここまで来ましたと書かれた印が。
震災時の写真が展示されているのを見ながら、津波と地震の凄さを感じました。
そのまま桟橋から観光遊覧船に乗って、松島湾内>外海>松島湾内と約1時間のクルーズを楽しむ。
10時の船は意外に空いていた。
湾内の様子を見ながら、震災を思い出さずにいられなかった。
湾内には人が住んでいる島がいつくかあり、そこの人達が震災時はどうだったのか?と考えてしまう。
でも、商店の皆さんは笑顔で前向きで頑張っているのを思い出し、逆に元気付けられる様な思いであった。
カッパエビセンで餌付けされているカモメ達は、判っているのか?延々1時間も船の後ろを付いて来る。
桟橋に戻ると、人で溢れ返っている。
やはり、今回の旅行は運が良かったのか?
11時出発の遊覧船は、満席以上の状態だったようである。
良かった~!(笑)
再び観光案内センターへ向かい「震災復興チケット」を購入し、瑞巌寺へ向かう。
ここも水により痛手を被った様で、改修工事が行われていて本堂は覆われていて見られずでした。
伊達政宗が朝鮮半島から持ち帰ったと言われる、「臥龍梅」の赤と白の花は見る事が出来ました。
この旅行は関東で見る事が出来なかった、梅と桜の花見が沢山出来ました。
ここでは軽い食事をと言う事で、焼き牡蠣・ツブ貝焼き等美味しいモノも食べられました。
特に牡蠣入りカレーパンが美味でしたよ~!(笑)
昼になる頃には道は、駐車場待ちの車と移動の車で大渋滞。
これに関しても運が良い!
笹かまぼこの手焼き体験もして、渋滞の脇を駐車場に向かう。
一瞬であったがメイン道路が空いて、松島から出る道へスムーズに抜けられた。
松島に入って行く道は2kmどころではない渋滞であった、それを尻目に松島脱出!
山から松島が見下ろせる「西行戻しの松」へ移動。
西行法師が、そこにいた童子と禅問答をして負けてしまい、松島行きを諦めた、と言う謂れのある場所だそうです。
宮城県松島にある桜の名所・松島眺望の名所である
ここで、桜の花見をしながら松島湾を見渡した。
残念だったのは、天気が曇りだったと言う事である。
これだけはどうしようも無く、諦めざるを得なかった。(笑)
丁度山の上は、花見のお客さんで一杯でした。
戻しの松については、どうして西行法師が禅問答で負けて松島行きを諦めたのか?である。
どんな問答だったのか?ちょっと調べてみる事に。
[禅問答の内容]
西行が西行戻りの松で、松島に行く途中休んでいますと、童子が通りかかったので、
「月にそふ 桂男(妖怪)のかよひ来て 薄ならむは誰が子なるらん」と童子に問いました。
すると童子も、
「雨もふり霞もかかり霧もふる はらむすすきは誰か子なるらん」と返答したと言います。
西行は、ただの子供ではないと驚いて、
「一体どなたでしょう?何をしている人ですか?」と尋ねると
「これから、夏枯れ草を刈りに行くところです」と答えたそうです。
[松島へ行かなかった理由]
西行が、当意即妙の童子の返答に驚き、 童子から松島は東北を代表する霊場でもあり、歌人も多く訪れ自分程度の者は大勢いる。松島に赴き恥をかくなら、このまま戻った方がいいでしょう!・・・と西行に言ったのが、諦めた原因だ、という話があるそうです。
こんな話を聞いてしまうと、松島の絶景を見られなかった西行法師が可哀想に思ったりします。(笑)
さ~てと、次はこの旅行最後の場所へ向かいます!
お楽しみに。