和泉川沿いを北上しながら、住宅地の中をブラリと漕いでいると発見したのが「宮沢六道の辻」である。
看板に寄ると・・・
江戸時代の承応元年(1652年)に行われた検地に先立ち、旗本石川六左衛門重勝が領地内の米の取高の不足を補う為に、支配下の上矢部村の村民数人をここに入植させ、開梱をしたと推測されています。
六道の辻とは仏教で言う地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上への別れ道と言う事で、地蔵尊がその道を示され、当時の村民はこの地に自分たちの終生末代の安楽を求め願いました。
この六本の道の内一本は横浜弘明寺観音より座間星の谷観音への信仰の道として残り、今でも星の谷道と呼ばれています。
地蔵菩薩の坐像と正徳5年(1715年)建立の石碑があり道標を兼ねています。願主相州上柏尾村と示されています。
現在の辻は、平成6年(1994年)9月に回収されたものです。
平成10年 3月 瀬谷区役所
と言う場所でした。
何気ない景色の中で、いろいろな発見。
車で裏道走っても発見出来る訳もなく。。。自転車は楽しいです!
看板に寄ると・・・
江戸時代の承応元年(1652年)に行われた検地に先立ち、旗本石川六左衛門重勝が領地内の米の取高の不足を補う為に、支配下の上矢部村の村民数人をここに入植させ、開梱をしたと推測されています。
六道の辻とは仏教で言う地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上への別れ道と言う事で、地蔵尊がその道を示され、当時の村民はこの地に自分たちの終生末代の安楽を求め願いました。
この六本の道の内一本は横浜弘明寺観音より座間星の谷観音への信仰の道として残り、今でも星の谷道と呼ばれています。
地蔵菩薩の坐像と正徳5年(1715年)建立の石碑があり道標を兼ねています。願主相州上柏尾村と示されています。
現在の辻は、平成6年(1994年)9月に回収されたものです。
平成10年 3月 瀬谷区役所
と言う場所でした。
何気ない景色の中で、いろいろな発見。
車で裏道走っても発見出来る訳もなく。。。自転車は楽しいです!