テレキャス&ストラトの部屋

RolandのGT-001とzoomMS-50GでDAW制作を楽しんでいるよ

ジョン・フルシアンテ研究所

2020年03月08日 | 楽器
何とも大胆なブログタイトルをつけてしまった・・

ジョン・フルシアンテのソロ作品を片っ端から聴いているところなのだ

私のお気に入りの三枚をご紹介したい

レッチリのキャッチーでポップな曲調とは大きく異なる

レッチリが『明』ならば、ソロ作品は『暗』という印象を受ける

良くも悪くもジョン・フルシアンテの心の闇を感じる

最初期のソロ作品

4チャンネルのレコーダーを主力に制作された
アナログ感溢れるアルバムなのだ

お世辞にも音色が良いとはいえないが・・
その荒削りな感じが良い味を醸し出している

アコギ比率が高いのも特徴
やはり、ここでも類い希なコードワークを感じることができる
曲中でいきなり転調するあたりに非凡な才能を感じる

私はジョン・フルシアンテの作品に触れて考えが変わった

私の中のコードに対する概念が変わったのだ

かなり影響を受けているのだ

鬼気迫る作品は好みが分かれるところ
レッチリのファンにはあまり好まれないと思う

二枚目は初のプログレアルバム
こちらも良い意味で病んでいる



アルバムの一曲目では単調な循環コードを延々と繰り返しているのだ
特に盛り上がる部分もなく15分近く同じようなフレーズを繰り返している
瞑想しているかの如くギターを弾き続けているのだ

強調によってはピンクフロイドに似たような部分もある

やはり、レッチリとはほど遠い雰囲気なのだ

ソロ期にはジョン・フルシアンテにも色々と事件があったのだ

そんな生活や生き様が音楽に反映されているのだ

その辺りにまで踏み込んで聴いてみると理解度が高まる

ソロ期の作品はスルメイカの如き・・

一聴では良さが分かり難いことが共通点

レッチリの作品のように耳に残るキャッチーなリフもない

私もLoopのドラムを鳴らしながら延々とギターを弾くことがある
どこで終わりにするか迷うことも多い

ましてやそんな簡易録りを曲として読者の皆さんにお聴きいただく
ことに気が引けていた

ジョン・フルシアンテの自由過ぎるアプローチに心打たれた

曲作りに決まりなど無いという事を改めて再認識したのだ

何というか・・

”感情が赴くままに弾きたいように弾けばよい・・・”

何となく吹っ切れたような感じなのだ

三枚目はアコギ系の弾き語りなのだ


このアルバムは毎晩聴いているのだ

アコギを使ったバッキングの概念が変わった


歌ありきのバッキングはどことなくジミヘンの雰囲気

何度も聴いているうちにジョン・フルシアンテが好む
コード進行が体に染みてきた

我ながら、本当に影響を受けやすい体質だと思う

ジョン・フルシアンテがアコギの楽しさを教えてくれた

楽しいと感じることがギター上達の近道

自分の引き出しにはないコード感やタイム感が溢れてくる

「言葉だけじゃ分からないよ」

という方も多いと思う

時間を見つけて、ジョン・フルシアンテ味の曲をお聴きいただきたい
エレキで作るか? アコギで作るか?
迷っているのだ

混合も楽しそう・・😉 







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弦高はどのくらいがいいのかな?

2020年03月08日 | 楽器
読者の皆さんは弦高に拘りがあるだろうか?

エレキの醍醐味の一つに調整があるのだ

自分の好みに調整できる点はアコギに対する大きなアドバンテージ

それ故にメンテが苦手な人にとっては抜け出せない沼になる


購入後、最初に訪れる難関はネック調整

季節やギターの種類を問わず、間違いなくネックは反る

楽器店と自分の部屋の環境(温度や湿度)が同じという事はあり得ない

私のストラトは出来たてホヤホヤやカリフォルニアから空輸されてきたのだ

たまたま在庫がなく、オーダーをかけて購入した経緯があるのだ

半年くらいはネックが暴れまくっていた

最終的に落ち着くには約1年くらいかかったのだ

店頭に並んでいるギターの多くはすでに
楽器店で日本の気候に馴染んでいるのだ

売れ残りの期間が長ければ長いほどに安定しているのだ

皮肉なもので不人気なギターほど状態が良かったりするのだ

まぁ、その辺りを感じ、言及する人は少ない

仮にそこまで意識してギターを選んでいるならば、間違いなく変人なのだ

良い意味でギタークレイジーなのだ

私はこの呼び名が嫌いではない

趣味の世界に関しては変態上等!という感じなのだ

そのくらい拘ってこそ楽しさを感じられるのだ

ネックが動いた時点で各部のバランスが崩れている

少なくとも購入時と同じではない

ネックを元の状態に戻せば、理論的には同じ状態ということ

楽器店が調整した状態を最良と感じるならば、これで作業は終了

その状態に納得できない人は次のステップに踏み出すことになる

いずれにしてもネックの状態を合わせることが最初なのだ

次はお待ちかね?の弦高調整

奥深いのだ

僅かに高さが違うだけで弾き難い

逆の言い方をするならば、ここを自分に合った状態にセット
することで劇的に弾き易くなるのだ

リードプレイとバッキングは相反する
特に速弾きを得意とする人は下げた方が弾き易い
ネックも限り無くストレートな状態

一方のバッキング主体の人はネックは弱順反り
弦高はリードよりも高めが良い

この傾向は万国共通の王道セッティング

あとは好みなのだ

10年くらい前まで私は低い弦高を好んでいた

最近は微妙に高めを好む

プレイスタイルと音色の好みの変化が大きい

12フレットで2㎜を僅かに超えるくらいが好きなのだ



巻弦とプレーン弦のバランスも難しい

レスポールのような固定式のブリッジは楽なのだ

ストラトやテレキャスのブリッジ&サドルは個別の調整が必要

レスポールとストラトでは指板のカーブが異なる

最近は総じてフラットな指板が好まれる

フェンダー系のギターも一部のヴィンテージ系を除き

平らな指板になりつつある

高級ギターと廉価ギターの差が最も現れる部分はネック周り

常に触れる部分だけに重要なパーツなのだ


調整はもはや経験だけが頼りなのだ

チョーキングなどで音詰まりする場合はその時点で再調整

音詰まりの箇所が多ければ、弦高の再度見直しが必要になる

そんな地味な作業の繰り返しなのだ

加えてオクターブ調整など、意外に調整作業は多い



最近はあまりメンテについて触れる人も減った気がする

メンテをすれば、劇的にギターは弾きやすくなるのだ

ピックアップの交換などには関心があるが・・

メンテ系には無関心という人も多いようだ

オクターブの狂いに気づかずに弾いている人も多いという

正直な話、この辺りがきになりだしてくると良いギターが欲しくなってくる

ギブソンもフフェンダーもこの辺りに関しては抜かりない

完璧なのだ

フレットの打ち込みにいち早くコンピューターを導入しているのだ

弦を張った状態を擬似的に作り出した状態でフレットを打ち込んでいる

言葉にすると簡単だが・・

革命なのだ

かなり画期的な出来事なのだ

最近は追従するようにその他のメーカーでも採用している

ギター選びのポイントにしても良い気がする

ちなみにエピフォンはこのマシンを早い段階で導入しているのだ

それ故にエピフォンのギターはピッチが良いのだ

ヘッドが惜しい・・



ヘッドの形状がギブソンと同じならば私もサブ用として購入しいると思う

改造ベースにしても楽しそう😏 











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ブログ訪問者数2,304人

2020年03月08日 | 楽器
毎度お馴染みの集計結果のご報告

訪問者数2,304人(2,915,687人中79位

閲覧回数6,990回

という結果だった


足繁く通ってくださる読者の皆さんに感謝!!


この決めセリフ?を書いている時が至福の時間なのだ

学生さんの緊急休校の影響だろうか?
当ブログの過去記事検索にもちょっとした変化が見られるのだ
平素にヒットしないような記事が検索されているようだ

「こんな記事書いたかな?」

とブログ主である私自身が忘れている記事も多々あるのだ


それでも尚、レスポール関連の記事は人気があるようだ
これだけ注目されているという事を販売元は知っているのだろうか?



関心はあるが販売にまでは至らない・・

という流れなのだろうか?



調べるということは気持ち的には良いところまで来ている気がする

実際のところ、私自身は興味もない事や買う予定がないものを調べない
時間の無駄なのだ
私を含む素人の市場調査など何の意味も持たない

ダラダラとギターの値段を調べる時間があるならば、練習に費やした方がお得なのだ

買い物の際に調べ過ぎて疲れ果ててしまうという人も多いと聞いている
ネットの情報は良いことばかりではないのだ

自分が欲しいと思う商品の酷評を目にする事で意気消沈することもある

一つ言えることがある

世の中に万人受けする商品など無いということ

ギターひとつとってもそんな事がいえると思う

誤解を恐れずに述べるならば、ギター弾きはレスポール派とストラト派に分類できる

私はテレキャスをストラトと同類だと認識しているのだ

ボディ形状やアームレスな構造からレスポールと同じ括りで話をする人も多いが・・
やはり、エレキの心臓部であるピックアップにスポットをあてるならば
シングル系という事になる

やはり、ギターは出音で判断すべきだと思う
とどのつまり、すべてはそこに行きつくのだ

社外製ピックアップへの交換なども同じような着想だと思う

当たり前だがピックアップを交換したところでルックスも弾き心地も変わらない

変わるのは気分だけなのだ

ピックアップを交換して満足感を得るには『過激な改造』なのだ
非力なピックアップからハイパワーなピックアップに交換するという流れ
その逆はあまり聞いたことがない

私にも経験があるが・・
この手の改造の流れには飽きる
言葉はアレだが・・

初心者レベルなのだ

中古のギターなども改造ありきで購入するのはナンセンス
現状で気に入ったギターを買うべきなのだ
フレットの減りやロッドの状態なども理解した上で購入すべき

ギターを買ってから最低でも1年くらいは問題なく使えるということ
私の知り合いに10万円で中古のバーストを買った人がいる
購入後にフレット交換やピックアップの交換、その他の調整を行ったようだ
結局、購入金額の倍以上の出費を強いられた
この場合には強いられたという表現は適切ではないかもしれないが・・

実際にそのギターを弾かせてもらったのだが・・
本人の興奮と私の感想には大きな温度差がある事に気づいた
そこは大人のマナーとしてそれなりに褒めておいたのだ

逆の立場ならば、私も自分のギターを褒めてほしいと思う


まぁ、ギターに関しては思うところが多すぎて実際のところ
何からお話すべきか迷う事も多い

これだけ書いても伝えきれない部分が多いのも事実

ところで、読者の皆さんはどんなギターをお使いだろうか?

レスポールタイプだろうか? ストラトタイプだろうか?

想像するにハム派が多いように感じるのだ

エピフォンやグラスルーツなどのレスポールタイプだろうか?
正直な話、現状に不満がなく、使用頻度が低いならば買い換える必要はない気がする
ギターの買い替えは誰に強制されるものでもないのだ

ましてや生活を切り詰めてギターを買うのはナンセンス
余裕がある人、余裕があるタイミングで高級ギターを買えば良いと思う

向上心が強い人は要注意なのだ
「頑張ってギブソン買ったけど・・何か違う」
「言うほど良い音が出ないよ・・何でだろ?」
これは私にも経験があるのだ

それなりに苦労して買ったので疲れも倍増するのだ
精神的な疲れほどダメージを負うものはない
テンションが高めならば肉体的な疲れを払拭できる

趣味も仕事も日常生活もすべての原動力は『精神』なのだ
こんな私もギターを弾いていて気分が乗らない事が多々ある

精神的に病んでいる時なのだ
心配事や不安な気持ちでギターを抱えても良い音が出ない
プレイというよりは耳が良い音を求めていないのだ

色々な欲求があるが・・

『ギター欲』は確かにあると思う

ギターが欲しいという欲求

ギターを弾きたいという欲求

ギターが上手くなりたいという欲求

『ギターの三大欲求』なのだ

読者の皆さんはそんな気持ちになったことがあるだろうか?

気分が乗らない時にはギターに触れないという人がいる
私は反対なのだ

気分は別としても指先は常に弦を感じておく必要があると思う
数日弾かなければ、指先は戻ってしまう
特に初心者から中級者の段階では肉体作りの時期でもあるのだ

コレクターやギター磨きが目的の人は別として
少なからず、演奏の向上を目指しているならば毎日ギターに触れるべき

どんなに忙しくても人間は食事をする
不規則な時間だとしても3回は食事を摂るはず
ギターを弾く時間がないというのは言い訳なのだ

忙しいを全面にアピールする人に限って言うほどではない事が多い
世の中には想像を絶するほどに成功している人がいる

有名企業のトップもさることながら・・
ちょっとしたオシャレな街にはそんなプチ成功者がゴロゴロいるのだ

私を含む小市民が平素に汗を流して働いている時間にオープンカフェで
モデル級の美女とお茶をしているのだ
当然ながら靴下など履いていない

営業者が行き交う街中で数千万円クラスの高級車が普通に走っている
仕事で何処かに向かっているようには見えないのだ

それでも稼いでいるのだ

要するに『出来る人』は時間の使い方が上手いのだ
どんなに多忙でもデートをする

知らぬ間に結婚し子供を作っていたりする
繰り返しになるが・・

時間のコントロールが上手いのだ

私の知り合いにブログを書いている者がチラホラいるのだ

「何かさ忙しくてブログとか更新する時間ないよ」

「どうせ俺のブログなんか誰も気にしてね~しな」

「不定期更新で良くねぇ!? どうせ暇潰しだしな」

ブログを更新できない理由を平素の忙しさに転嫁しているのだ
良くある話なのだ

「写真とか撮って貼るのって面倒臭くない?」

「ましてやギター弾いて音作るのなんか無理だぜ」

というような類いの言葉を良く口にするのだ

おじさんを怠惰だとは思わない

むしろ、普通なのだ

普通の感覚なのだ

脱線してしまった・・

話をレスポールに戻そう
行きつけの楽器店で三回連続でレスポールデラックスを買い取った話をしたのだ

読者のみなさんにも盛況だったようだ

ギブソンという冠のパワーを感じる

当ブログの過去記事にレギュラーラインとカスタムショップの違いについて
書いた記事がある

書いた私が忘れていたのだ

読み返して感じた事がある

人間の考え方や感じ方は変化するという事

大きく考え方が変わることはないが・・
記事を書いた当時と現在では若干考え方に変化が出ているのだ

私はそれなりにカスタムショップ製のレスポールを弾く機会があるのだ
店頭で試奏することもある
実際に持っている人から借りることもある

前者はあまり参考にならない
そもそも新品のギターは馴染んでいないのだ
それなりに値段が高いギターというある種のオーラを感じるが・・
実際の音や演奏性に関しては何とも言えない
そもそも、店頭に並んでいるギターのセッティングは自分好みではない

買いもしないギターの弦高などをその場で変更するのは迷惑極まりない
まれにそういう非常識な人がいるが・・・
ダメなお手本なのだ

店頭の新品ギターは雰囲気を感じるだけで良いのだ
フレットの具合など細部が気になる場合にはジックリと目視すれば良いのだ
経験を積むと調整幅が感じられるようになる
「ぢょっと弦高が低いけど・・」
「上げれば良い感じになるなぁ」
という感じなのだ

購入前に大凡を予測できるようになるのだ

店頭のギターには色々な情報が詰まっている

一つはそれを販売している楽器店のメンテ技術
少なくとも最良という状態で展示しているはずなのだ

この段階で自分の感覚と大きく異なる楽器屋さんにメンテの相談は出来ない
これはあくまでも私の持論なのだ

演奏家の世界では一音ですべてが分かるという
一流のミュージシャンがサポートを依頼する場合、オーディションなどは行わない
「何か弾いてみてよ 得意な奴を頼むよ」
という感じらしい

楽器は理屈ではない気がする

楽器は奥深い

理屈に長けている人が上手いとはいえない
楽器にに無知な人がダメか?と言われれば答えはNOなのだ

最近の私はブランドや値段などあまり気にならない
高いギターを羨ましいとも思わない
理由は良く分からないが・・・

どうでも良い気がしてきたのだ

しかしながら、
”自分が欲しい音・・”
がより明確になってきた気がするのだ

自分が求める音が出せる楽器ならば満足なのだ

ギブソンやフェンダーのギターが必要か?
と問われれば答えは微妙

普通使いにはエピフォンで何の問題もない気がするのだ
廉価なギブソンを買うならばエピフォンの上級モデルを買った方が満足度が高い
本当に良く出来ているのだ

ひとつ問題があるとすれば、それはヘッドの形状なのだ
私もヤスリで削ったりしたこともあるが・・

引き算ではどうにもならない
角を足すという考え方は良いが・・・

コストや手間を考えればコスパは悪い
素直にギブソンを買った方が良い

中古のエピフォンはどうか?
日本で生産が許されていた時期のエピフォンはギブソンヘッドなのだ
この頃のエピフォンは頑張り過ぎたのだ
「うちが売れなくなったわ~」
「ダサいデザインに変更なっ!」
という流れらしい

当時のエピフォンに状態が良いタマは少ない
しかしながら、値段はそこそこ高いのだ

ヴィンテージ市場の便乗商売なのだ
どうしてもそれが欲しいという人以外には魅力無し
やはり、何処かしこに本家ギブソンに対する憧れが感じられるのだ

中古品とヴィンテージギターの線引きが曖昧なところも気になる
メーカーや年代を問わず、ヴィンテージは値段が高い
普通に小遣いで買えるような金額ではない
曖昧な表現だが・・
これ事実

楽器街などに散策に出かけてみると良いと思う
ネットの画像では質感までは分からない
何となく良さそうに見えるのがネット画像

ヴィンテージギターも同じ
照明の具合などを調整している
撮影する側も経験値を積んでいるのだ

肉眼で見る物はリアルなのだ
そこにフィルターの類いは存在しない

古い年代のギターは読者の皆さんが想像するよりも汚い
そして各部が痛んでいる
ネジは錆び、ボディもネックも傷だらけ
しかしながら、価値あるギターは車一台分の値段
この現実を自分の目で見ることは勉強になるのだ

ヴィンテージツアー?を終えた後に自宅で自分のギターに触れる
今まで感じられなかった部分が魅力的に映る
音が良くなったような錯覚をおぼえる

他人が使ったギターは何故にあんなに痛んでいるのだろうか?
私もかなり弾き込む方だが・・
ピックでボディを削った経験がないのだ
常識の傷は打痕と小傷なのだ
金属部分が使用で消耗するのは良い感じ
新品にはない良い雰囲気

大事に扱ってきたギターが柔らかく痛んで行く感じは嫌いではない
人間に喩えるならば・・
良い感じで年齢を重ねるという感じ

年齢を重ねた上品な熟女・・
という感じだろか?
傷らだけのギターには苦労してきた過酷な人生の歩みを感じる
そんなギターに大枚を叩く気にはなれないのが本音

私は基本的に新品派なのだ
染まっていないギターは好きなのだ

ブログのネタの為に数本ほど中古を買った事がある
値段も含めて中古にお得を感じたことがない
廉価なギターならば希に良い付属品がオマケで付いてくることがある

過去に購入したエピフォンには状態の良い『ボブレン』(ギブソン純正ケース)が付属していた
ギターは汚く臭いが・・
ケースはとても良い状態だった
数ヶ月使って売ってしまった

今になって思えば、ケースは惜しい事をしたと思う
ボブレンケースは高いのだ
エピフォンは新品でも買った事がある

本当に良く出来たギターなのだ
ピックアップの交換など不要だと思う

残念なのはヘッドの形状だけなのだ
最近は販売不調や市場の声を反映してヘッドの形状が変更になった
それでも『角』は許さないのだ

むしろ、ギターのデザインに制約を設けないフェンダーの度量の大きさを感じる
自信の表れなのだと思う

先日、ジャパンのストラトを弾く機会があった

ルックスはそっくりさんだが・・・
ネックを握った瞬間に違和感を感じるのだ
良い悪いではない

自分のギターとの違いなのだ
もちろん、ギターも個体でネックの形状や指板などの形状も異なる
そもそも、単純に比較などできない

あくまでも抱えた時の印象なのだ
ギターは車に感覚が似ている

私にも経験があるが・・
国産の安いスポーツカーにパーツを組み込んで改造していた時期がある
場合によると改造費は本体価格と同等になる
少しの追金で外国製のスポーツカーの下位モデルが購入できる
腐っても鯛・・
下位モデルならがらも本物が感じられる

シートに座ってハンドルを握った感じが違うのだ
走り出す前から、その走りがイメージできるのだ

これはギブソンやフェンダーのギターに通じる部分なのだ
精度を超えた何かを感じるのも事実
それが良いか悪いか、必要か否かは自分の気持ちと相談なのだ

その感覚や雰囲気にお金を出せるか?
それに尽きるのだ
海外ギターの上級モデルはさらにその上の感覚
他人に自慢したい・・
という自己顕示欲のような感情ではないかと思う

私も何かの縁でロレックスを使っているが・・
ご存じのように必要に駆られて買ったわけではない
必要か否かと問われれば微妙
むしろ、不要な気もする
メンテにお金もかかる

そこには高級スポーツカーやカスタムショップ製のギターに通じる部分がある
少しだけ自慢したい気持ちなのだ
自己満足を得たいならば、自宅で眺めていれば良いのだ

ロレックスが価格に見合った性能があるか?
と問われれば微妙
100万円近い時計が日常使いに必要か?
必要はないと思う
しかしながら、他人のウケは良い
見られ方が変わった気がする

”ロレックスを身につけているおじさん・・”



決して悪い扱いを受けることはない



読者の皆さんにもギブソンの購入で迷っている方がいると思う
どのような気持ちでギブソンを捉えているのだろうか?

その辺りの心持ちを明確にすると購入までの道のりが整理できるのだ
お金に余裕があるならば、何も迷うことなどないのだ

趣味の世界は心がすべて
自己満足の極みなのだ

先日のジミヘン風の曲も廉価のテレキャスで弾いたのだ
あえてテレキャスを使ったのだ
ピッチが正しければ楽器は成立するという事を証明したかった
値段が安いギターを馬鹿にする人がいるのも事実
馬鹿にするような人がどのような立ち位置なのだろうか?
楽器を馬鹿にする人は楽器に泣くことになる

私の知り合いにもそんなおじさんがいるのだ
ギブソンならば何でも良いと思っている節がある

「やっぱしギブソンじゃねぇ!?」

この言葉におじさんのすべてが集約されているのだ
私の廉価のテレキャスターを馬鹿にしていた
「ギブソンとかフェンダー持ってるのに何で買ったの?」
「今更じゃねぇ!? 過去にエピとか買ったことあるだろ?」
私のギター歴にも詳しいのだ

ギター弾きには各々の事情があるのだ
私にとって廉価テレは不可欠なのだ

自宅のギターを守るという意味を兼ねているのだ
テレがあるからレスポールとストラトが安泰なのだ

相変わらず廉価のテレを売ってくれと言われているのだ
「6万じゃ無理? 7万でもいいよ」
7万円出せるならば上のクラスが買えるのだ
「このレリックの感じが好きなんだよ」
「メチャクチャカッコいいよ 売ってよ」
世の中は広いのだ
変わった人など掃いて捨てるほどいるのだ

人間は自分を基準に物事を判断しがち
自分が信じられないことをすべて嘘だと片付ける
浅いのだ
私の話が眉唾ものだと感じる人には何を言っても無駄なのだ

以前にお話したが・・
ポールニューマンが使っていたロレックスが10億円で落札された
クラプトンが使っていたストラトも2億円近い金額で落札された
何十年かしてクラプトンが亡き人になれば、その価値は倍増する
ジョンレノンが散髪で切った髪が売りに出された
当時、散髪した理容師が持っていたのだ
それが本物だという証明は一緒に撮った記念写真
その髪の毛が数十万円で落札された
いずれも数十年前の逸話だが・・・

中古品の金額は欲しい人の気持ちで決まるのだ
一方の新品は市場の相場で決まる

海外ブランドにとって日本は良い市場
良場なのだ

最近は若い年代を中心にギター離れが加速
高額なギターが思ったように動かない事に海外ブランドはイライラしている
某有名自動車メーカーも市場から撤退することを決めた

売れる市場にはどんどんと良い製品が入ってくる
売れなければどんどんと消えていくのだ



巷のギター弾きは市場に自分が影響しているとは努々思わない
良くも悪くも蚊帳の外

読者の皆さんはギター市場にどのような印象を抱いているだろうか?
お近くにリアル楽器店がある方は時間があるときに訪れてみていただきたい
簡単なネット検索でもギター市場の今を感じることが出来る

長くなったのでこの辺で・・・😊 



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