
■メイン写真
三陵墓西古墳から、都介野岳を望む
■今回のコース
榛原駅⇒(奈良交通)⇒南白石バス停→貝那木山(城山)→都介野岳→三陵墓古墳公園→
来迎寺→小治田安萬侶墓→都祁水分神社→山邊の御井→西田酒造→南白石バス停
→(国道369号)→倉本酒造⇒(奈良交通)⇒榛原駅
登山としての価値がある山かどうかは疑問が残るが、登ってみたら大展望が
広がり、周辺は豊かな歴史に彩られたランドマークにあふれ、歩いていて
楽しくてしかたない。そんな里山の旅を約束してくれるのがこのエリアだ。
南白石バス停から南へ歩き始める。
奈良交通ホームページには載っていないのだが、じつは南白石バス停まで
乗らなくても、自由昇降区間なので「城山登山口」なる隠れバス停が
あり、そこで降りた方が近いことが、バスに乗って初めて分かった。
マイカー移動ばかりでお茶を濁していると、分からなかったことだ。

のどかな農村風景。ヒメオドリコソウが群生している。

貝那木山(城山)への入口には、「白石行者 お山 頂上まで600m」と書かれた
筒に杖が数本入っている。

バス停からの標高差は約140m。難なく登れる山頂直下の二の丸跡に、園芸種の
シャクナゲが満開だった。
シャクナゲの横には、天文年間(1532-1555)にここに城を築いた多田氏
(多田源氏の流れ)の供養塔が立っていた。

八大竜王の石標からの展望はすばらしく、都祁の盆地が一望のもと。

すぐ上が貝那木山城の本丸があった頂上。標高597m。三角点がある。
南側から都介野岳(別名、都介野富士/都介富士)を目指すが、これは失敗。
濃い笹薮を分けて進むが、昨日の雨で地盤は緩く、ズルズル滑りながら急斜面を
たどる。

なんとか都介野岳の山頂へ。
誰かを連れてくるときは、遊歩道からアプローチしたい。

遊歩道は、このように階段が整備され快適。途中に役行者堂がある。

道端に、可憐なショウジョウバカマを見つけた。
今日の山歩きはこれで終わり。
里に下りて、次に三陵墓古墳公園へ歩を進めた。

ここには大和高原最大の、全長約90mの前方後円墳・東古墳と、
直径約40mの円墳・西古墳があり、それぞれに埴輪のレプリカが装飾され、
公園化されている。

古墳の上からの眺めも、なかなかのもの。

次に来迎寺へ。行基が開創したと伝わる。

本堂の裏には、約100基の五輪塔が並ぶ。興福寺や多田源氏にまつわる人々の墓だ。
中でも延慶3年(1310)の銘が入る宝篋印塔は、国の重要文化財。
この無住の寺に、こんなすごい文化財があるとは。
なお。本尊は阿弥陀如来坐像も、重要文化財。
本堂内の木造善導大師坐像は、鎌倉時代初期のもので、快慶作と推定されている。

釣鐘の下には卍文字。これは結構ユニークだ。

続いて小治田安萬侶(おはりだのやすまろ)の墓に寄る。
誰かって? Mr.Dashも知らなかったが、奈良時代の役人(従四位下)だそうだ。
1912年、茶畑の開墾中に墓誌、木櫃、和同開珎土器、鏡などが出土。
火葬墓だったそうだ。ふう~ん。

お次は都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)へ。
飛鳥時代に創祀された最古クラスの神社で、大和国の水分四社(都祁・宇陀・吉野
・葛城)の一つ。
地域の水資源の配分を定めた神社なのだろう。
裏手にある朱塗り・春日造の神殿は、国の重要文化財。
ここにも「大物」があったぞ。
本殿を守る狛犬は、鎌倉時代後期の作で、非常に珍しいものだという。

すぐ近くにある西田酒造さんの「両白」の樽を発見!

80mほど離れたところにあるのが、山邊の御井。
今でも清らかな水をたたえている。
万葉集に、「山辺の 御井を見がてり 神風の 伊勢娘子ども 相見つるかも」
という歌があるという。
鈴鹿の山辺の井戸だという説もあるが、ここだという考え方もあるようだ。

山邊の御井のほとりにショウジョウバカマが咲いており、1株だけ、白花が存在感を
放っていた。

西田酒造。
残念ながらここでは酒の販売はしていなかった。
南生駒の「菊司」さんは、数年前に柘植に蔵を移されたが、
どうやら、ここに隣接する設備を使われているようだ。

ツクシがあちこちで見られた。春本番。
ともちゃんが一緒だったら、きっと大収穫祭になったことだろう。
南白石バス停に戻ったが、バスの時間まで2時間ある。

バス道を榛原方面に歩き、倉本酒造さんへ。
看板が出ていないが、パレットを積んだ建物を見つけたので、ここだと思い訪問。

生産量が限られ、飲めるところが少ない倉本酒造のお酒。
話し上手な社長さんのこだわりは、自分で米を作り(だから大量生産できない)、
地元の井戸水を使うこと。水は硬い方だというが、「御所みたいにちょつと掘ったら
湧き出てくるのが羨ましい」と、5本も井戸を掘削した苦労を語る。
甘口から超辛口まである中で、その名も「倉本」を1本購入。

「蔵、見ていきますか?」と言われ、喜んで見せて頂く。5つの銘柄がここで醸される。
冬は気候が厳しい都祁の地。蔵は0度プラマイ1度にほぼ保たれるという。
さすが、昭和20年ごろまで氷室が使われていただけの土地だ。
かつては、このあたりでは高野豆腐の生産も行われていたそうだ。
ところで今日、最初に笹の藪漕ぎをした場所は、倉本さん所有の土地とのことで、
驚いた。
バスがの時間までまだ余裕があったので、バス道を榛原方面に歩いたら、
貝が平口まで行けてしまった。
三陵墓西古墳から、都介野岳を望む
■今回のコース
榛原駅⇒(奈良交通)⇒南白石バス停→貝那木山(城山)→都介野岳→三陵墓古墳公園→
来迎寺→小治田安萬侶墓→都祁水分神社→山邊の御井→西田酒造→南白石バス停
→(国道369号)→倉本酒造⇒(奈良交通)⇒榛原駅
登山としての価値がある山かどうかは疑問が残るが、登ってみたら大展望が
広がり、周辺は豊かな歴史に彩られたランドマークにあふれ、歩いていて
楽しくてしかたない。そんな里山の旅を約束してくれるのがこのエリアだ。
南白石バス停から南へ歩き始める。
奈良交通ホームページには載っていないのだが、じつは南白石バス停まで
乗らなくても、自由昇降区間なので「城山登山口」なる隠れバス停が
あり、そこで降りた方が近いことが、バスに乗って初めて分かった。
マイカー移動ばかりでお茶を濁していると、分からなかったことだ。

のどかな農村風景。ヒメオドリコソウが群生している。

貝那木山(城山)への入口には、「白石行者 お山 頂上まで600m」と書かれた
筒に杖が数本入っている。

バス停からの標高差は約140m。難なく登れる山頂直下の二の丸跡に、園芸種の
シャクナゲが満開だった。
シャクナゲの横には、天文年間(1532-1555)にここに城を築いた多田氏
(多田源氏の流れ)の供養塔が立っていた。

八大竜王の石標からの展望はすばらしく、都祁の盆地が一望のもと。

すぐ上が貝那木山城の本丸があった頂上。標高597m。三角点がある。
南側から都介野岳(別名、都介野富士/都介富士)を目指すが、これは失敗。
濃い笹薮を分けて進むが、昨日の雨で地盤は緩く、ズルズル滑りながら急斜面を
たどる。

なんとか都介野岳の山頂へ。
誰かを連れてくるときは、遊歩道からアプローチしたい。

遊歩道は、このように階段が整備され快適。途中に役行者堂がある。

道端に、可憐なショウジョウバカマを見つけた。
今日の山歩きはこれで終わり。
里に下りて、次に三陵墓古墳公園へ歩を進めた。

ここには大和高原最大の、全長約90mの前方後円墳・東古墳と、
直径約40mの円墳・西古墳があり、それぞれに埴輪のレプリカが装飾され、
公園化されている。

古墳の上からの眺めも、なかなかのもの。

次に来迎寺へ。行基が開創したと伝わる。

本堂の裏には、約100基の五輪塔が並ぶ。興福寺や多田源氏にまつわる人々の墓だ。
中でも延慶3年(1310)の銘が入る宝篋印塔は、国の重要文化財。
この無住の寺に、こんなすごい文化財があるとは。
なお。本尊は阿弥陀如来坐像も、重要文化財。
本堂内の木造善導大師坐像は、鎌倉時代初期のもので、快慶作と推定されている。

釣鐘の下には卍文字。これは結構ユニークだ。

続いて小治田安萬侶(おはりだのやすまろ)の墓に寄る。
誰かって? Mr.Dashも知らなかったが、奈良時代の役人(従四位下)だそうだ。
1912年、茶畑の開墾中に墓誌、木櫃、和同開珎土器、鏡などが出土。
火葬墓だったそうだ。ふう~ん。

お次は都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)へ。
飛鳥時代に創祀された最古クラスの神社で、大和国の水分四社(都祁・宇陀・吉野
・葛城)の一つ。
地域の水資源の配分を定めた神社なのだろう。
裏手にある朱塗り・春日造の神殿は、国の重要文化財。
ここにも「大物」があったぞ。
本殿を守る狛犬は、鎌倉時代後期の作で、非常に珍しいものだという。

すぐ近くにある西田酒造さんの「両白」の樽を発見!

80mほど離れたところにあるのが、山邊の御井。
今でも清らかな水をたたえている。
万葉集に、「山辺の 御井を見がてり 神風の 伊勢娘子ども 相見つるかも」
という歌があるという。
鈴鹿の山辺の井戸だという説もあるが、ここだという考え方もあるようだ。

山邊の御井のほとりにショウジョウバカマが咲いており、1株だけ、白花が存在感を
放っていた。

西田酒造。
残念ながらここでは酒の販売はしていなかった。
南生駒の「菊司」さんは、数年前に柘植に蔵を移されたが、
どうやら、ここに隣接する設備を使われているようだ。

ツクシがあちこちで見られた。春本番。
ともちゃんが一緒だったら、きっと大収穫祭になったことだろう。
南白石バス停に戻ったが、バスの時間まで2時間ある。

バス道を榛原方面に歩き、倉本酒造さんへ。
看板が出ていないが、パレットを積んだ建物を見つけたので、ここだと思い訪問。

生産量が限られ、飲めるところが少ない倉本酒造のお酒。
話し上手な社長さんのこだわりは、自分で米を作り(だから大量生産できない)、
地元の井戸水を使うこと。水は硬い方だというが、「御所みたいにちょつと掘ったら
湧き出てくるのが羨ましい」と、5本も井戸を掘削した苦労を語る。
甘口から超辛口まである中で、その名も「倉本」を1本購入。

「蔵、見ていきますか?」と言われ、喜んで見せて頂く。5つの銘柄がここで醸される。
冬は気候が厳しい都祁の地。蔵は0度プラマイ1度にほぼ保たれるという。
さすが、昭和20年ごろまで氷室が使われていただけの土地だ。
かつては、このあたりでは高野豆腐の生産も行われていたそうだ。
ところで今日、最初に笹の藪漕ぎをした場所は、倉本さん所有の土地とのことで、
驚いた。
バスがの時間までまだ余裕があったので、バス道を榛原方面に歩いたら、
貝が平口まで行けてしまった。