![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/1c/76a6ff4527969984d8512394635a98c0.jpg)
■メイン写真
飯盛城址の石垣に萌える
■今回のコース
野崎駅→野崎観音→観頂ノ行場→七曲り→辻ノ新池→絵日傘峠→飯盛山→
四条畷神社→四条畷駅
写真のストックがちょっと古くなったので、河内飯盛山を軽く歩いてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/7e/64baa8caeca8a04d63ab8590fd0b850d.jpg)
野崎観音(慈眼寺)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/b7/e6c34d4e229837e27e4162d348c0fed6.jpg)
すぐ裏手を上がったところが、野崎城址だ。
最近、戦国最初の天下人(畿内制圧)と言われる三好長慶が飯盛城を居城とした頃、
ここが出城として使われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/4b/37d9c0ce60a132d36b7151f4df8c0d04.jpg)
飯盛山を目指す。まず北条からの林道に合流する。
ヒガンバナがたくん咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/43/b1a15dedba3ed7496d79a373a429d4dc.jpg)
廃墟となっている妙成寺跡には、不動明王像が並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/b7/274f0ebc0aab203491db53fe1468bb7a.jpg)
灌頂ノ滝に寄り道。滝の落ち口には自然のものではなく、石でできた樋がつけられているため
水流は細い一条の流れとなって落ちていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/d1/cf5323da38121d4c299985e04b78334c.jpg)
七曲りに入り、辻ノ新池を過ぎる。絵日傘峠の手前は、ちょっとした急登だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/b0/153b88b9195b02e980ca5793605669e9.jpg)
飯盛山直下、飯森山城址の虎口にはちょっとした石垣が残る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d0/12050a6ef76fbddb10b9dc0c49f1098b.jpg)
飯盛山の山頂には、イケメン楠正行像が立つ。
正行は、楠正成の嫡子。南北朝時代の正平三年(1348)、四條畷の戦いで、
北朝方の高師直と戦って討死した。正成との「桜井の別れ」があまりにも有名で、
かなり美化されている。
像の下には、この8月に始まったばかりの「願かけ登山」の願い札奉掲所が設置された。
麓の四条畷神社で「願い札」(初穂料500円)を受け取り、願事を書いて神社に参拝し、
ここに「願い札」を奉掲するものである。
要するに、今回はこの写真を撮りに、わざわざ登ってきたのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/d4/18fecca824a5f58c51d1d234835cc7f0.jpg)
山頂の北側には展望台があるが、老朽化で2階に上がれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/e9/aac7f3cb96bdf86a1cc6721d1eb1a93a.jpg)
それでも、地べたからの眺めも捨てたものではないのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/53/2663cb712a80ac47d07cdebed68352e9.jpg)
飯盛山城は、南北朝時代の戦いのあと、戦国時代になって三好長慶が摂津国から
移ってきて、ここを居城としたのだが、城に石垣を設けたのは当時、先駆けとなったものという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/cf/25a9c5bb49a30617c4ce5a14b11285f4.jpg)
二の丸跡も、なかなかの展望である。
旧摂津国、河内国が一望できるあたり、いいい位置に城を構えたといえる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/6e/7307fd437c6735dbdf10ec87278efacf.jpg)
四条畷神社への下りは、一部にまっすぐな急坂がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/75/6992b25e9f632461381f812d2f0ac8a0.jpg)
御机神社との分岐で左折し、四条畷神社へ下る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/1f/8b4c90d4eb7eeae07021d3ea50e0f0c9.jpg)
四条畷駅に下る途中、なくなっていた大鳥居が復活していた。平成3年に建てられたもの。
登山道そのものは、大きな変化がないが、こうした細かい変化をできるだけきっちり
押さえておきたいから手間がかかる。
飯盛城址の石垣に萌える
■今回のコース
野崎駅→野崎観音→観頂ノ行場→七曲り→辻ノ新池→絵日傘峠→飯盛山→
四条畷神社→四条畷駅
写真のストックがちょっと古くなったので、河内飯盛山を軽く歩いてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/7e/64baa8caeca8a04d63ab8590fd0b850d.jpg)
野崎観音(慈眼寺)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/b7/e6c34d4e229837e27e4162d348c0fed6.jpg)
すぐ裏手を上がったところが、野崎城址だ。
最近、戦国最初の天下人(畿内制圧)と言われる三好長慶が飯盛城を居城とした頃、
ここが出城として使われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/4b/37d9c0ce60a132d36b7151f4df8c0d04.jpg)
飯盛山を目指す。まず北条からの林道に合流する。
ヒガンバナがたくん咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/43/b1a15dedba3ed7496d79a373a429d4dc.jpg)
廃墟となっている妙成寺跡には、不動明王像が並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/b7/274f0ebc0aab203491db53fe1468bb7a.jpg)
灌頂ノ滝に寄り道。滝の落ち口には自然のものではなく、石でできた樋がつけられているため
水流は細い一条の流れとなって落ちていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/d1/cf5323da38121d4c299985e04b78334c.jpg)
七曲りに入り、辻ノ新池を過ぎる。絵日傘峠の手前は、ちょっとした急登だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/b0/153b88b9195b02e980ca5793605669e9.jpg)
飯盛山直下、飯森山城址の虎口にはちょっとした石垣が残る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d0/12050a6ef76fbddb10b9dc0c49f1098b.jpg)
飯盛山の山頂には、イケメン楠正行像が立つ。
正行は、楠正成の嫡子。南北朝時代の正平三年(1348)、四條畷の戦いで、
北朝方の高師直と戦って討死した。正成との「桜井の別れ」があまりにも有名で、
かなり美化されている。
像の下には、この8月に始まったばかりの「願かけ登山」の願い札奉掲所が設置された。
麓の四条畷神社で「願い札」(初穂料500円)を受け取り、願事を書いて神社に参拝し、
ここに「願い札」を奉掲するものである。
要するに、今回はこの写真を撮りに、わざわざ登ってきたのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/d4/18fecca824a5f58c51d1d234835cc7f0.jpg)
山頂の北側には展望台があるが、老朽化で2階に上がれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/e9/aac7f3cb96bdf86a1cc6721d1eb1a93a.jpg)
それでも、地べたからの眺めも捨てたものではないのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/53/2663cb712a80ac47d07cdebed68352e9.jpg)
飯盛山城は、南北朝時代の戦いのあと、戦国時代になって三好長慶が摂津国から
移ってきて、ここを居城としたのだが、城に石垣を設けたのは当時、先駆けとなったものという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/cf/25a9c5bb49a30617c4ce5a14b11285f4.jpg)
二の丸跡も、なかなかの展望である。
旧摂津国、河内国が一望できるあたり、いいい位置に城を構えたといえる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/6e/7307fd437c6735dbdf10ec87278efacf.jpg)
四条畷神社への下りは、一部にまっすぐな急坂がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/75/6992b25e9f632461381f812d2f0ac8a0.jpg)
御机神社との分岐で左折し、四条畷神社へ下る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/1f/8b4c90d4eb7eeae07021d3ea50e0f0c9.jpg)
四条畷駅に下る途中、なくなっていた大鳥居が復活していた。平成3年に建てられたもの。
登山道そのものは、大きな変化がないが、こうした細かい変化をできるだけきっちり
押さえておきたいから手間がかかる。