MY LIFE AS A FOOTBALL

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

最終目的地 ウェンブリー

2019年07月05日 | 木曜日のボール


jスポーツで「The REAL」という番組がある ↑↑↑
最近やっているのが、チャンピオンズリーグの決勝にまつわるエトセトラだ。

第2話が、RAIN IN MOSCOW(雨のモスクワ)で、
マンチェスター・ユナイテッドとチェルシーのイングランド同士の対決となった、
2007-2008 決勝。
舞台はロシア・モスクワ。
雨降りしきる中、勝負の行方はPK戦へもつれ込み、ドラマが起こる。

当時のマンチェスター・ユナイテッドのGK、ファン・デル・サールが激闘を振り返る。

は、やらないで、やらんのかい!
未見なもんで^^ 見てないんかい!


なんで第1話の方を紹介しちゃおう。

DESTINATION WEMBLEY (最終目的地 ウェンブリー)

1992年 5月20日 最後のヨーロピアンカップ決勝 
バルセロナ対サンプドリア 
決勝の地がウェンブリーだ。

ちなみにこの翌年から呼称が「チャンピオンズリーグ」になった。

この歴史的な試合を、決勝ゴールを決めたロベルト・クーマンの視点で振り返る。
クーマンが当時宿泊していたイギリスのホテルに到着するところから始まる。
待っているのがペップ・グラディオラだ。

1992年当時と現在のおふたり


 


   


製作年は2017年だから、
おふたりとも右側のビジュアルで登場している。 当たり前だろ
25周年の記念のアルバムかなんかににクーマンがサインしていると、
ペップが言う
「ストイチコフにも頼もう」と。

クーマン応えていわく
「彼はしないよ」

ふたりともニヤニヤする^^ 
目に浮かぶんだろうなぁストイチコフが。

1992年当時、ペップは21歳だったから、
クーマンがやたらと大人にみえて、事実とても頼もしかったそうだ。
ほぼ師弟関係にあったようだ。

クーマンが師匠なら、その上の大ボス、クライフは君主みたいなもんだろ。
ある時、21歳にしてサイドビジネスにいそしむペップの部屋をクライフがノックする。

「ガキんちょのくせに商売なんかしてんじゃない! サッカーに集中しろ!」
そして同じ部屋で寝ていたクーマンを指さし

「そこで寝てるヤツを見習え! このばかちんが!」
と、盛大に怒られたそうだ。

実はクーマン、その時は寝たふりをして、
事の成り行きを、ペップの怒られ具合を楽しんでいたらしい。
ペップは四六時中クライフから怒られていたそうだ^^

ペップの表情は千変万化するといってもいいほど。
ジェスチャーをまじえ、よく喋りよく笑う。
に比べてクーマンは、もの静かでとても紳士的だ。

ペップは言う。
「あのゴールで自分自身を好きになることができた」と。

凄いな。
あのゴールがアイデンティティを確立したんだな。

ペップだけでなく、登場するサポーターたちの話を聞くと、
クーマンのあのフリーキックが、バルセロナを解放したのだとわかる。
決して大げさではなく、
1992年の5月20日こそ、バルセロナの真の解放記念日であり独立記念日なのだ。
祝祭には100万人が集まったそうだ。

サッカーの力はとてつもない。

クーマンはゴール決めた直後、ラウドルップに肩を抱かれながら泣いている。
そして現在、25年前の自分の姿をパソコンの画面で見ながら、そっと涙をふくのだ。
年を取って涙もろくなったんだ。男は2度泣くんだよ と。


番組の最後は、スーツ姿のクーマンがウェンブリーに立ち、
25年前と同じ場所にボールをセットし、助走を始める・・・

素晴らしい番組なんで、男が2度泣くのを、2度観ちゃいました。

 

肩を組むクーマンとストイチコフ
珍しくはしゃぐラウドルップを見るクライフ


伝説の1発  間接だったのね


※ 相手サンプも凄いメンツだった。
  マンチーニ、ジャン・ルカ・ビアリ、ロンバルド、カタネッツ、トニーニョ・セレーゾetc.
  トニーニョ・セレーゾは、翌年のトヨタカップでサンパウロとしてリベンジするわけだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿