MY LIFE AS A FOOTBALL

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人間は限りなく邪悪になる

2022年05月23日 | 個人的なメモ帳

5月23日付 山日新聞のオピニオン欄から 「世界探視鏡」
写真も記事と同じものを使用。


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ウクライナ南東部マリウポリで、破壊された建物と住民(4月)

 


ロシア・サンクトペテルブルクで演説するプーチン大統領(4月)



人間は限りなく邪悪になる   
             
            ドイツ哲学者・ボン大学教授 マルクス・ガブリエル  


「万人は万人に対するオオカミである」。
人間にとって最も危険なのは他者なのだ。


 ヒトこそは、この地球上をかつてうろついた生物の中で、
群を抜いて危険かつ最も暴力的な創造物である。
現在、ウクライナで想像を絶する人道犯罪に加担している殺人者、強姦者、サディストと比べるならば、
私には肉食恐竜ティラノサウルスも愛玩犬に見える。

 ここで私たちは極端な暴力や戦争が現代文明の産物ではないことを思い起こす必要がある。
暴力と戦争は何千年も人類と共にあり、近代化の過程で悪化した。
近代の自然科学やテクノロジーは、大量破壊兵器の出現に責任を負っている。
そして、この兵器の脅威こそが「西側」とロシア軍の衝突を阻んでいる。(抑止力)

 つまりウクライナの激烈な戦争は、
現代文明のひとつの表れであり、決して野蛮への回帰ではない。
ロシアもまた、ハイテク兵器を装備した現代の国家なのである。

 確かに極端な暴力は常に悪のイデオロギーに導かれる。
人間がウクライナで起きていることを行い得るのは、相手を人間とみなさないときだけだ。
この理由から、私たちはプーチン・ロシア大統領の思想を真剣に受けとめる必要がある。
なぜなら私たち(日本を含む西側諸国)も、
潜在的に他者を人間でないとみなすイデオロギーを持っているからだ。

 私たちは、非人間的で極端な暴力は狂人だけがなし得ると考える。
私たちはロシア人、つまりこの戦争の敵を人間でないとみなし始める。
一方で、消費社会において、
私たちは移動や通信を維持するためにロシアの天然ガスやレアアース(希土類)を必要としている。


  現代文明の病理


 人間は残念ながら、完全に理性的にもなり、同時に限りなく邪悪にもなり得ると、
心にとどめておくことが重要だ。
人間を破壊する衝動を生み出すために必要なのは、イデオロギーの過激化と機会の創出だけなのだ。
私たちはそうした衝動を、平和共存が必要な大量消費主義を含む自らのやり方でなだめている。
私はその生き方を批判しない。
それどころか、リベラルな民主主義は、
暴力に導くイデオロギーより客観的に優れていると信じている。

 ただ私たちは、
大量破壊兵器を生み出し、資源を争奪して大量消費社会につぎ込むという、
自らの暴力性に目をつぶるべきではない。
化石燃料で動く私たちの社会は、極めて暴力的だ。
それは人類を自滅へと脅かす!
ウクライナに対する集中的な暴力の激発は、現代文明の恐るべき病理の最も新しい発現に過ぎないのだ。

 この困難から抜け出す最初の1歩は、
極端な暴力は決してなくならない、
(ロシアが侵攻を始めた)2月24日に目覚めた新たな世界にいたわけでない、と認識することだ。
ウクライナで起きていることはいつものことであり、それこそが真の厄介な問題なのである。

 自分たちが、
グローバル経済に基づく永遠の平和への途上にいるという錯覚を乗り越えるべきだ。
ウクライナでの暴力の爆発は、新型コロナウイルスの世界的大流行と同様、
望ましくない分断の表れであることも認識しなくてはならない。

 私たちの問題の解決には、目の前の困難について完全にリアルに理解すること、
つまり錯覚やイデオロギーにとらわれないことが必要なのだ。


自らの暴力性に自覚を



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