今回も東急大井町線途中下車です。第10弾となる今回は、第9弾で取り上げた北千束駅(OM07)から各駅停車大井町行きに乗り、品川区に入って旗の台駅を過ぎて次の駅です。
荏原町駅(OM05)です。急行は止まりません。1927(昭和2)年7月6日、大井町~大岡山の開業と同時に開業しました。所在地は品川区中延五丁目となっています。
現在の品川区は1947(昭和22)年に成立しており、それ以前は品川区と荏原区に分かれていました。あまり厳密ではないのですが、荏原区は現在の品川区の西部と考えてよく、目黒線の武蔵小山駅および西小山駅、池上線の戸越銀座駅から旗の台駅まで、および大井町線の下神明駅から旗の台駅まで、ということになります。荏原町という駅名は、当時の自治体である荏原郡荏原町に由来するようです(荏原町が東京市に編入されて荏原区となります)。
2番線、つまり大井町方面のホームにある改札口です。この改札口は新しく、設置されてから10年ほどしか経っていません。それまでは1番線ホームにしか改札口がなかったのです。
大井町線、池上線および東急多摩川線の各駅のうち、地上にあり、かつ対向式ホームの駅に共通する点は、ホームのそれぞれに改札口があること、および跨線橋がないことです。例えば、戸越公園駅、尾山台駅、戸越銀座駅、久が原駅、下丸子駅、武蔵新田駅を例としてあげておけばよいでしょう。
もっとも、通常、原則に対しては例外があるものです。まず、池上駅の場合、1番線にしか改札口がなく、かつ、東急で唯一、構内踏切が存在します。次に自由が丘駅の場合、跨線橋があります。旗の台駅も同様です(かつては構内踏切がありました。また、大井町線の場合は東側が高架、西側が地上で、大井町線のホームの下に連絡通路が設けられていました)。そしてこの荏原町です。跨線橋があり、そのためもあったのか、長らく改札口が1箇所しかなかったのでした。
大井町線の地上駅によくある案内です。下り電車に乗るためにはそばの踏切を渡って下さい、ということです。ただ、荏原町駅には跨線橋がありますので、2番線の改札口から入って1番線に向かうことは可能です(この点が、戸越公園駅、尾山台駅などとは異なります)。
2番線の改札口の前にある細い道路ですが、ここを進むと文教大学付属小学校、さらに昭和大学病院へ行くことができます。だいぶ前のことになりますが、私が中学生であった時に、荏原町駅で降りて昭和大学病院まで歩いたことがあります。昔は旗ヶ岡駅への近道であったかもしれません。
踏切のそばに法蓮寺があります。日蓮宗八幡山の寺院で、公式サイトに寄れば、総本山が身延山久遠寺、直接の本山が池上本門寺であるとのことです。鎌倉時代に開山されたとのことで、10月にはお会式が行われます。
その北隣が旗岡八幡神社です。公式サイトに寄れば、長元元年と言いますから西暦で1028年、平忠常が内乱を起こします。これを平定すべく、源頼信が討伐に向かいますが、途中のこの地に宿営し、八幡大神を奉齋したといいます。池上線にあった旗ヶ岡駅、および現在の旗の台駅の名称の由来もこの神社にあります。かつては中延八幡宮ともいいました。
なお、品川区の中延六丁目には源氏前小学校があります。かつて源氏前という地名があったようで、やはり旗岡八幡神社に由来するようです。八幡様は源氏の守護神であるからでしょう。
東急沿線に限ったことではありませんが、身近な所にも歴史は眠っているものです。とくに品川区には多いような気がします。今回は参拝などをしておりませんが、機会を改めて伺いたいと思っています。また、旗岡八幡神社にも訪れていません。これではいけないのですが、今回の目的ではなかったのでした。
法蓮寺の入口に、江戸幕府第11代将軍徳川家斉にまつわる話の案内板が設置されていました。品川区教育委員会によるものです。家斉と、この寺の住職が角力(相撲)をとりました。時の将軍を相手にするのですから、住職も手加減をしそうなものですが、全く手加減をすることなく、家斉を負かせてしまいました。すると、将軍は叱責などすることなく、賞めたという話があるそうです。
「目黒の秋刀魚」という有名な落語がありますが、その目黒には鷹番という地名があります。目黒区や品川区では鷹狩りがよく行われていたようです。
今回は、品川区にある各駅の様子を見たいと考えていました。かつて、この荏原町駅には貨物ホームもあり、大井町からこの駅までの電車も設定されていたそうで、それなりの需要があったのでしょう。街の規模も小さくないはずです。また、大井町線の駅には、付近にバス停がないという所が少なくない上に、駅前にバスが乗り入れるという所もほとんどないのですが、荏原町駅の1番線ホーム改札口の前にはバスが乗り入れていたといいます。踏切を渡り、南へ向かいます。