ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2010年8月1日、松江市の大橋館と松江しんじ湖温泉駅

2015年08月11日 09時23分23秒 | 旅行記

 〔今回は、「待合室」の第382回(2010年10月1日から8日まで)として掲載した記事の再掲載です。なお、一部を修正しています。〕

 島根県は、日本の都道府県の中では2番目に人口が少なく、その県庁所在都市である松江市は、今回の記事を「待合室」に掲載した2010年10月の時点で最も人口が少ない県庁所在都市です。

 その松江市に、2010年7月31日、初めて入りました。当時、私は大東文化大学法学部の法律学科主任であり、仕事の関係で、当日の午後に米子市の郊外で仕事をしました。その後、伯耆大山駅から山陰本線のディーゼルカーに乗り、米子駅で快速とっとりライナーに乗り換え、松江駅を降りました。

 松江市を訪れたのは、やはり仕事のためですが、夕方に街を歩くことができました。松江駅の北、宍道湖の東端に近い大橋川のほうを歩いたのですが、 今や日本各地に定着して久しい現象がこの県庁所在都市にもありました。天神町商店街は、車の通行量こそ多く、しかもその日が水郷祭の初日であったために人通りは少なくなかったものの、そもそも開いている商店があまり多くなく、開いている店にもほとんどお客はいなかったのです。そればかりか、商店街には空き地も見られます。松江を訪れてからほぼ1か月後、福岡市中央区天神で久繁哲之介『地域再生の罠―なぜ市民と地方は豊かになれないのか?―』(2010年、ちくま新書)を買って読んでいたら、この松江の商店街のことが書かれていたのですが、驚いたのは、ここが中小企業庁 によって「がんばる商店街77」の一つに選ばれているという事実でした。同庁のサイトを見ると、天神町商店街が賑わっているという写真が掲載されていますが、天神市の様子だけが紹介されており、どう考えても世に誤解を与えるものとしか評価しえません。普段の状況を忠実に紹介しなければ、あまり意味がないようにも思えます。

 松江に一泊しました。宿泊していた旅館は大橋川の北側の沿岸にあります。その旅館の南側玄関のそばに「小泉八雲宿舎址」の石碑と紹介文があります。

 ここにはかつて富田旅館があり、小泉八雲は1809(明治23)年8月30日に泊まっています。その後、彼は松江に生活の本拠を置くことになります。当時の尋常中学校および師範学校の英語教師となったからです。しかも、この地で日本人女性、小泉セツと結婚しています。しかし、松江に滞在していたのはわずか1年3か月でした。

 上の紹介文には富田旅館とありますが、現在は大橋館があります。大橋館は1879(明治12)年に創業したということですから、富田旅館が現在の大橋館である、ということなのでしょう。

 仕事の前に、大橋館の周囲を歩きました。上の写真は、堀川めぐり発着場の近く、末次本町の辺りです。私が訪れたのは水郷祭の時期で、前日の夜には花火大会があり、この広場でダンスパフォーマンスが行われていました。今は朝で人通りも少なく、静かです。何となく、日本というより北京あたりにも似ているような気もしなくはないのですが、いかがでしょうか。

 フォルクスワーゲンのタイプ2が美しい形で置かれていたので、思わず撮影しました。ワンボックスカーの元祖と言ってもよいでしょう。エンジンの基本構造タイプ1、つまりビートルと同じですので、空冷エンジンです。

 ワンボックスカーというと、日本では長らく商用車として使用されてきましたし、この形を乗用車として受け入れては来なかったでしょう。ようやく、エスティマなどの登場により、ワンボックスカーも乗用車として認められるようになったといえますが、エスティマ、ラルゴなどのデザインは、やはり実用的な商用車ではなく、乗用車のものです。その意味で、フォルクスワーゲンのタイプ2とは違います。

 仕事が終わり、時間ができました。そこで、出雲大社へ行ってみることとしました。当初はJR山陰本線で出雲市駅に出ることも考えたのですが、本数が少なく、また、松江駅から少し離れた場所で仕事をしたこともあって、一畑電車(一畑電気鉄道は持株会社)北松江線の松江しんじ湖温泉駅に向かいました。名称の通り、すぐ近くに温泉がありますが、松江市役所の最寄り駅ともなっています

 この駅は元々が北松江といい、松江温泉に改称された後、現在の駅名となっています。北松江線はこの駅から電鉄出雲市駅までの路線なのですが、時刻表を見ると松江しんじ湖温泉→電鉄出雲市の列車番号が偶数、電鉄出雲市→松江しんじ湖温泉の列車番号が奇数となっています。つまり、松江しんじ湖温泉→電鉄出雲市が上り電車ということになります。山陰本線であれば松江→出雲市は下りですので、逆になっている訳ですが、これは大正時代に電鉄出雲市側から開通し、昭和に入ってから松江しんじ湖温泉まで開通したという歴史的な事情によるもののようです。

 ともあれ、その上り電車に乗ります。電鉄出雲市行ですから、出雲大社へ行くためには途中の川跡で大社線に乗り換える必要があります。私が学部生であった時代に京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)京王線で走っていた5000系が、改造された上で北松江線を走ります。内装も変えられていますが、京王線を走っていた頃の雰囲気は少々残っています。 そう言えば、山陰本線の伯耆大山~西出雲が電化されるまで、島根県内の国鉄・JR線には電車が走っておらず、当時の一畑電気鉄道の各路線でしか電車を見ることができなかったのでした。

 松江しんじ湖温泉から出雲大社までは1時間ほどかかります。単線で、宍道湖の北側を走りますが、カーブも多く、速くありません。途中の一畑口ではスイッチバックをします。 この北松江線については、何度か廃止の動きがありました。しかし、北松江線が廃止され、路線バスに転換されたとすると、地域はいっそう不便になって衰退するでしょう。そして、路線バスも撤退または縮小に向かうことでしょう。これも、今や日本各地で見られる現象です。

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