このブログでは、JR北海道の鉄道路線の話題を取り上げています。2023年3月8日にも「根室本線の富良野駅〜新得駅の廃止は2024年4月1日ということになりそうです」という記事を掲載しました。昨日(3月30日)、富良野市で根室本線対策協議会役員会が開かれ、件の区間が2024年4月1日付で廃止されることで合意されたとのことです。朝日新聞社が、2023年3月30日16時付で「根室線新得―富良野間、24年3月廃止・バス転換で合意 JRと地元」(https://digital.asahi.com/articles/ASR3Z555SR3ZIIPE00L.html)として報じています。
根室本線対策協議会役員会に出席したのは、富良野市長、南富良野町長、占冠村長、新得町長(以上は沿線自治体の首長)、滝川市長、赤平市長、芦別市長、JR北海道社長、北海道の交通企画監です。記事には2024年3月末と書かれているのですが、これは3月31日に営業を終えるという意味であり、法律上は4月1日廃止ということになります。
合意の内容は、上記朝日新聞社記事によれば「廃止に併せてJR北はバス転換に伴う初期投資と廃止後18年間の赤字想定額、まちづくり支援金として4市町村に計20億9千万円を支払う。内訳は、バス運行支援金が18億1千万円、まちづくり支援金が2億8千万円(各自治体7千万円ずつ)。4市町村とJR北が支援の覚書を交わし、7市町村が廃止への同意書を提出した」とのことです。
これにより、JR北海道がいう「単独で維持するのが困難な線区」のうち、輸送密度が200人未満の路線・区間(これを赤線区というのだそうです)の全てで「廃線およびバス転換に沿線自治体の同意が得られた形となった」訳です。これはやむをえないところでしょう。輸送密度からして鉄道路線としての役割を終えているとしか評価のしようがないからです。貨物輸送が行われているのであれば話は変わってきますが、根室本線の富良野駅〜新得駅の区間では貨物輸送も行われておらず、特急が運転される訳でもなく、都市間輸送の役割は1981年秋に石勝線に移ってしまったことを考えると、地域輸送に徹するしかありません。しかし、それもできる状態ではなくなっているとすれば、鉄道路線の維持はよほどの積極的な理由が必要でしょう。むしろ、輸送密度が200人未満であるとすれば路線バスに転換したところでバス路線の維持すら難しいのではないでしょうか。ましてや、富良野駅〜新得駅の中にある東鹿越駅〜新得駅の線路が損壊したのでは、多額の工事費をかけて復旧する意味はありません。
何が何でも鉄道路線を残すという姿勢について、理解できない訳ではありません。しかし、そのようなことは、時代の流れ、経済、財政などを考慮すれば、誤った選択肢と言いうるでしょう。それだけでなく、時々沿線住民や沿線自治体から口に出される「自分は利用しないが鉄道路線は残すべきである」というような態度は、無責任極まるとしか言い様がありません。鉄道路線に固執することで、将来に禍根を残すようなことがあってはなりません。地域の公共交通の選択肢は多く持っておいたほうがよいのです。
そして、SDGsなどと声高に唱えられる状況の下で記すならば、たった1両のディーゼルカーか電車に乗客が数人程度しか乗っていないような鉄道路線は、資源の無駄遣いと言えるでしょう。どう考えても自家用車のほうが効率的であり、環境に優しいと言えます。
よく、鉄道は環境に優しい、鉄道は自家用車などと比べてエネルギー効率などに優れているなどと主張され、鉄道、バス、自家用車、航空機などが比較されていますが、しっかりとした前提をおく必要があります。
例えば、私がよく利用する東急田園都市線や東京メトロ半蔵門線の朝のラッシュ時に見られるような乗客数であれば、鉄道のほうが自家用車よりも格段にエネルギー効率などに優れているでしょう(但し、発電や送電のコストなり何なりを考慮に入れなければなりません。こういうところを、従来の、鉄道を優位に置く議論が軽視していないのでしょうか)。完全に路線バスで代替するとしたら一体何台のバス(そして何人の運転士)が必要になるかということになりますし、ましてや自家用車に置き換えたら何キロメートルもの大渋滞になるでしょう。
しかし、ラッシュ時でも1両か2両のディーゼルカーか電車で間に合うような鉄道路線は、大量輸送の意義を失っており、かえって様々な資源(これには時間や手間も含まれます)の無駄につながりかねません。勿論、高校生の通学輸送という点を忘れてはなりませんが、これもあと何年続くかということも検討しなければならない、という地域が増えていくのではないでしょうか。
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