久しぶりに、福岡県の様子を取り上げようと考えました。もっとも、現在のところ、福岡県に入ったのは、2012年8月28日〜31日および9月3日〜6日に西南学院大学法学部で集中講義を担当したのが最後となっています。そこで、過去をたどると、私のサイトに掲載していた「待合室」の第307回として「久留米の一番街、六ツ門町」という記事を2009年3月30日から4月7日まで掲載していました。今回は、その記事の再掲載です(文章の一部を修正しています)。写真は、全て2008年9月6日に撮影したものです。約12年前の久留米市中心街の様子を紹介させていただくということになります。
2004年度から2012年度まで、西南学院大学法学部で集中講義「税法」を担当しておりまして、中休み(土曜日および日曜日)には県内各所を訪れるようにしていました。2008年度には福岡県外にも足を伸ばしましたが、福岡県内では朝倉市の旧甘木市地区と久留米市を歩いてみようと思っていました。そこで、今回は久留米市の様子を取り上げます。
2009年2月28日を最後に、井筒屋久留米店が閉店しました。これは2008年夏に発表されていたことで、私も知っていました。それだけに、久留米市の市街地がどのようになっているのか、見ておこうと思ったのでした。
大分大学時代、何度か久留米を通っています。また、久留米インターチェンジの近くにある久留米ゆめタウンに入ったことがあります。たしか、オープンして間もない頃でしたが、私はそのことを全く知らなかったのでした。大分県内にある郊外型ショッピングセンターにも大規模のものがありますが、久留米ゆめタウンの規模は、当時大分市内にあった郊外型ショッピングセンターのいずれよりも大きかったと記憶しています(その大きさに驚かされた記憶があります)。
西鉄天神大牟田線の特急停車駅、西鉄久留米を降り、西口のほうに出ます。ロータリーを抜けるとすぐに一番街商店街があります。ここが久留米を代表する商店街なのです。しかし、私は、これまでこの商店街を歩いたことがありません。JR久留米駅を利用したこともありません(西鉄久留米駅から離れています)。大分時代は自動車で走り回っていましたし、西鉄久留米駅を利用して岩田屋のある東口を回ったことはあるのですが、何故、今まで西口を歩いたことがなかったのか、よくわかりません。
その一番街ですが、上の写真は、土曜日のお昼近くの様子です。商店街に入る前から不安を抱えていましたが、的中しました。御覧のようにシャッターを閉めている店舗が多いのです。しかも、たまたま定休日であったということではないというのがわかるのです。シャッターに不動産屋の広告(?)が貼られている所もありました。
久留米市といえば、筑後地方を代表する都市です。人通りが多くて不思議ではないのですが、自動車社会はこの地域にも確実に到来し、定着したようです。久留米ゆめタウンはもとより、筑後川を渡ればそれほど遠くもないという鳥栖市にも郊外型ショッピングセンターがあります(何故かここにも入ったことがあるのです)。郊外に大規模なショッピングセンターができれば、品揃えの面でもサービスの面でも、商店街はひとたまりもありません。大分時代に何度も経験しています。
また、久留米市は福岡市からそれほど離れている訳でもありません。JR久留米駅から博多駅までの所要時間がわかりませんが(快速でも結構長い時間、特急の通過待ちをしているくらいですから、あまり便利でないのです)、西鉄久留米から特急に乗って30分ほどで福岡市の中心街である天神に出られるという事実も、商店街の人通りに影響を与えているのでしょうか。東京への一極集中を全国的現象とすれば、その地域版のようなことが九州では起こっています。九州全体であれば福岡市に集中する傾向、一県内であれば県庁所在都市に集中する傾向です。久留米市も、まさにこうした傾向に巻き込まれているような印象を受けました。
一番街を通り抜けます。さらに商店街が続きます。二番街はアーケードのない、短い商店街でした。それから六ツ門町に入り、再びアーケード商店街となります。
途中に、オープンスペースのような場所があります。 久留米市役所が設置している六角堂広場です。閉店した久留米井筒屋の東側にありますが、アーケード商店街に面している入口はどちらかと言えば裏側のようなものです。また、地元のFM局であるドリームスエフエムのサテライトスタジオもあります。その近くに、上の写真にある郵便ポストを見つけました。首都圏では既に過去のものとなっていますが、九州では所々にこのようなポストが残っています。
ちなみに、現在は福岡市中央区長浜一丁目にある九州朝日放送(KBC)は、開局当時、この久留米市に本拠を置いていました。この近所だったとのことです。
六ツ門町の商店街を歩き通しました。ここは商店街の西端で、その様子を撮影してみました。
この写真ではわかりにくいのですが、「ABC Flower」という看板がある花屋の右側と、花屋の左側にある「うなぎ蒲焼」の看板がある店の奥(隣の隣)に、青系統の色のシャッターが見えます。ここはパチンコ屋の跡です。全国的にパチンコ屋の数は減少傾向にあり、とくにここ2年ほどの減少率は拡大しているようです。一説にはパチスロ機への規制が強化され、一斉に規格変更がなされたためであるというのですが、それだけではなさそうです。パチンコ屋は、たいてい入口などが大きいので、跡はとくに目立ちます。
交差点をはさんで六ツ門町アーケードの向かい側に、明らかに大型商業施設があったと思われるビルがあります。既に看板から何からが取り払われています 。この辺りに、2005年11月に閉店したダイエー六ツ門店があったという話を聞いたのですが、その跡なのでしょうか。
やはり、これはダイエー六ツ門店の跡であるようです。このビルを所有していたのは、第三セクターの六ツ門プラザという株式会社ですが、2007年に破産手続開始決定を受けています。 閉店の理由には様々なものがあるのでしょうが、中心街の空洞化が大きな一因であることに誤りはないでしょう。
1990年代、ダイエーは深刻な経営不振に陥り、全国の店舗を整理し始めました。1990年代から閉店が相次いでいて、よく新聞のローカル欄でも取り上げられていました。たとえば、1999年、福岡ダイエーホークスが日本一になりましたが、それから程なく、2000年になってすぐにダイエー大分店が閉店しました。後に建物も解体され、現在は別のビルが建てられています。このブログで取り上げた大牟田市の新栄町駅付近(「大牟田駅から新栄町まで歩く(2007年9月8日)その1」「大牟田駅から新栄町まで歩く(2007年9月8日)その2」、「大牟田駅から新栄町まで歩く(2007年9月8日)その3」および「再び、大牟田駅から新栄町まで歩く(2010年9月5日)」を御覧ください)にもダイエーがあったということですが、既に更地と化しています。今記したのは、私が端的に知っている例に過ぎません。現在、ダイエーがイオンの系列に入っていることは御存知のとおりです。
同じ交差点から、方角を変えて街並みを撮影してみました。 この先を進むと大牟田や熊本へ行けますが、奥に見える信号を右折するとJR久留米駅のほうへ行けるのでしょうか。案内標識には駅のことが書かれていません。
この辺りは、私が大分大学に勤務していた頃に自動車で通っています。何年前のことであったか覚えていないのですが、その時も、車の通行量が多い割には人通りの少ない所だという印象を受けていました。
また六ツ門町のアーケードを歩きます。 私が住んでいる川崎市の商店街、たとえば溝口、新城、元住吉(いずれも、首都圏でも物価が安いことで知られています)であれば、土曜日の昼ともなると人通りが多くなります。しかし、大牟田市といい久留米市といい直方市といい朝倉市の旧甘木市部分といい、中心街の人通りがあまりに少ないのです。それでも、久留米市六ツ門町から一番街にかけては、大牟田市の新栄町、直方市のJR直方駅周辺、田川市の田川後藤寺駅周辺などよりも人通りが多いかもしれません。また、右側に自転車が並べられているのも気になります。何の店の前であったか覚えていませんが、新栄町などでは見かけなかったものでした。
空洞化と言えば、私が実際に見て歩いた中で最初に、しかも最大の衝撃を受けたのが大分県中津市の新博多町でした。その後、大分市、別府市、臼杵市、津久見市、佐伯市、竹田市、日田市などを歩いて、自動車社会の進展による郊外型大規模店舗(ロードサイト店)の発展と中心街の空洞化を、宮崎県の延岡市、福岡県内などで度々目にしました。
六ツ門町を通り抜け、 一番街を通り抜けて、西鉄久留米駅前に戻ってきました。他の鉄道路線との接続はありませんが、特急停車駅です。 また、福岡(天神)方面から特急に乗った場合に甘木線に乗り換える場合は、この駅が乗換駅となります。特急が宮の陣に停車しないからですが、以前から甘木線の電車は西鉄久留米の隣の花畑から発着していました。現在、大部分は大牟田~甘木のワンマン運転となっています。そのため、西鉄久留米駅からの上り普通電車は、2両編成の甘木行きと4両編成の福岡(天神)行きがそれぞれ30分毎に発着することとなっています(平日昼間などの場合)。一方、下り電車ですと、特急は大牟田まで行きますが、急行の大部分は花畑止まりです(特急が花畑と大善寺を通過していた頃には大善寺まで各駅に止まっていました)。また、普通電車は2両編成の大牟田行きと4両編成の大善寺行き、となっています(やはり平日昼間などの場合)。
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