1982年4月3日、田園都市線の急行通過駅である高津駅の構内(高架下)に、電車とバスの博物館が開業しました。東京急行電鉄創業60周年事業の一環です。宮田道一『東急の駅 今昔・昭和の面影 80余年に存在した120駅を徹底紹介』(2008年、JTBパブリッシング)によれば、隣の溝の口駅に近く(実際に、JR武蔵溝ノ口駅北口から始まる商店街は高津駅付近まで伸びています)、商業施設では採算がとれないと見込まれたため、ミニ博物館が建設されたとのことです。今の高津駅の高架下には東急ストア、リトルマーメイド、モンソーフレール、はなの舞いといった店舗がありますが、30年も経てば様相は変わるということでしょう。
およそ20年間、高津駅構内に電車とバスの博物館が開かれていましたが、田園都市線の複々線化(大井町線の延長工事)に伴い、2002年9月1日に休館となり、2003年3月21日、宮崎台駅の高架下に移転、再開しました。
移転してから10年以上が経過した2013年9月10日、田園都市線の下り電車に乗り、宮崎台駅で降り、電車とバスの博物館に行ってみました。高津駅構内にあった頃には、入園料が大人も子どもも10円という安さのためもあって、何度となく行きました。宮崎台駅構内に移転してからは大人100円、子ども50円となっています。入園する際に自動券売機で切符ならぬ入園券を買い求め、自動改札機を通るのは、高津駅時代から変わっていません。
現在の電車とバスの博物館は、宮崎台駅に直結している博物館と、道路を隔てた所にあるイベント館に分かれています。イベント館の入口に、上の写真の電車が置かれています。運転席側の大きなひさしが目立つモハ510形で、御丁寧に旧字体で方向板(行先表示)が再現されています。東急の前身である目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄の車両で、1931年から1936年にかけて、当時の私鉄車両としては大量と言える50両が製造されました。両社を初めとした大合併によって東京急行電鉄が成立してからデハ3450形となります。東急の車両には、最近の例を挙げれば1000系、8590系、8090系、8500系、8000系など、地方私鉄に譲渡されるものが多く、中には大手私鉄の名古屋鉄道に譲渡されたデハ3700系という例もありますし、8500系は海外(インドネシア)にも譲渡されています。しかし、このデハ3450形は数少ない例外で、最後まで他社に譲渡されず、東急各線を走っていました(但し、旅客営業用としてでなければ、譲渡例はあります)。平成が始まったばかりの1989年3月まで現役を続けていました。
デハ3450形のトップナンバーである3450号が、デビュー当時の姿に復元されました。1989年のことで、この姿となってすぐに高津駅構内の高架下に展示されました。現在、モンソーフレールやリトルマーメードがある場所の辺りです。高津駅にあった頃には中に入ることができなかったのですが、現在はできるようです。
電車とバスの博物館には、デハ3450形がもう1両存在します。3456号で、こちらは車体の一部がカットされ、運転台部分にはパンタグラフと運転装置、台車、モーターがありまして、運転台にあるマスコンを左手で操作すればモーターが回転を始め、あの懐かしい吊りかけ駆動の音を発します(但し、すぐに切れるようになっています)。右手でブレーキ弁を操作することもできますし、放送装置なども操作できます。また、同じ3456号の別の部分も活用されており、当初はただ一部として保存されていただけですが、高津駅の時代から運転シミュレータとなっています。
博物館の中に、1969年5月に廃止された東急玉川線〔渋谷~二子玉川園(現在の二子玉川)〕を走っていた人気者、ペコちゃんことデハ200形の204号が保存されています。高津駅構内に電車とバスの博物館がオープンする前から、この電車が高津駅の改札前(後にモハ510が置かれる場所)に置かれており、中に入ることもできました。なお、電車とバスの博物館は、高津駅時代の1991年に拡張リニューアルがなされており、204号は二子新地側の3号館に移設されました。現在、はなの舞が営業している場所です。
この車両は、長らく多摩川園で保存されていました。屋外に置かれていたため、傷みも進んでいたはずです。1979年に多摩川園が閉じられ、高津駅構内に移ってきました。現役時代が14年ほどと短いため、保存期間のほうが長くなっています。
デハ200形は1955年に6編成が製造され、玉川線と世田谷線を走っていました〔玉川線と同時に廃止された砧線〔二子玉川園~砧本村)では走っていません〕。東急初のカルダン駆動車である初代5000系(渋谷駅前ハチ公前広場に展示されている車両。熊本電気鉄道では現役ですが、来年の秋までに引退することが決まっています〕と同様の超軽量モノコック車体となり、玉川線初のカルダン駆動車にして連接車、しかも超低床車両の先駆的存在でした。しかし、連接台車が1軸であったこと、保守や乗り心地に難があったことなどから、増備はなされず、玉川線の廃止とともに廃車となります。せっかくカルダン駆動車として登場したのに、後が続かず、車体に初代7000系の影響が強く見られたデハ150形は吊りかけ駆動でした。そして、玉川線の廃止をはさんで、世田谷線では長らく新車が登場せず、カルダン駆動にして連接車という車両は300系の登場を待たなければならなかったのです(但し、デハ70形およびデハ80形が1990年代にカルダン駆動に改造されています)。
なお、電車とバスの博物館には、東急バスが2台保存されており、YS-11も一部だけがカットされた状態で保存されています。東急の系列に日本エアシステムが存在しており、東亜国内航空の時代に導入されていたためです。高津駅時代からフライトシミュレーターとして利用されています。
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