今年(2014年)の10月13日より、「川崎高津公法研究室」の「待合室」を休止しております。そこでは「都営三田線途中下車」、「東急大井町線途中下車」、「東急池上線途中下車」、「東急多摩川線途中下車」といった不定期連載シリーズを掲載しておりました。いずれも完結しておらず、収拾がつかないような状態になっています。我ながら呆れますが、ゆっくり続けていくことにも意味はあるだろうと思いますので、今後も、果たして何年かかるかわかりませんが続けていきます。
今回は、「東急大井町線途中下車」シリーズの第8弾として、「待合室」に今年の8月19日から9月7日まで掲載した第571回の再掲載です。第7弾の自由が丘駅については、今年に入ってから第550回(1月5日から13日まで掲載)および第551回(1月13日から27日まで掲載)として取り上げていますが、写真撮影が2011年となっていますから、実質的には3年前の内容ということになります。これではいけません。今回は、今年8月11日に撮影したばかりの、下の写真の駅です。
駅ナンバリングはOM09、緑が丘駅です。両隣の大岡山と自由が丘にはさまれ、急行も通過するため、語弊はあるかもしれませんが大井町線でも屈指の地味な駅です。所在地は東京都目黒区緑が丘三丁目で、同線で目黒区に所在する駅は緑が丘と自由が丘のみとなっています。また、両駅とも世田谷区との境界に近く、駅の改札口から100メートルも歩くか歩かないかのうちに世田谷区奥沢に入ることも共通します(緑が丘駅からは奥沢二丁目か一丁目、自由が丘駅からは奥沢五丁目)。
いかにも新しそうな駅舎ですが、その通り、最近改築されたものです。それまでは、交差点に面した、円を4分の1にカットしたような形の駅舎でした。しかし、バリアフリーに対応していなかったのです。改築により、出入口に段差がなくなり、エレベーターやエスカレーターも設置されました。
この駅の歴史を記しておきましょう。現在の大井町線の区間のうち、大岡山から自由が丘までは最後の開業区間で、1929(昭和4)年12月25日に営業を開始しました。これに伴って緑が丘駅も開業したのですが、当初は「中丸山」と名乗っていました。奥沢の小字からとられたものです。1933(昭和8)年に「緑ヶ丘」と改称されています。そして、1966(昭和41)年1月20日、田園都市線溝の口~長津田の開業を前にして現在の「緑が丘」に改められました。
駅から北のほうに伸びる道路には「中根小通り」と名付けられています。目黒区の道路には、このように名称が付けられているものが多いのですが、どの程度まで普及しているのかは不明です。
道路の脇に立てられている照明灯の形から、駅前商店街であることはわかりますが、それにしても閑散としています。こちら側には商店がほとんどありません。隣の大岡山駅までは500メートルくらいしか離れておらず、道さえわかれば緑が丘駅から大岡山駅まで歩いて10分から15分程度ですので、条件が揃っていないのでしょう。ここは住宅地なのです。ちなみに、この道路には路線バスが通っています。
駅の改札口を出てすぐに左側へ出ます。こちらも商店街です。もっとも、商店の数は少なく、商店街の名称を示す看板や幟の類もありません。少し歩けば終わってしまうほど短い通りです。以前訪れたのは駅の改築前ですが、その頃には古い建物の書店か古書店があったと記憶しています(今は見当たりません)。
地図を見ると、この道路の左側が目黒区緑が丘三丁目、右側が世田谷区奥沢二丁目となっています。大井町線の下り電車は、緑が丘駅を出発するとしばらくの間、奥沢二丁目を通ります(駅はありません)。つまり、目黒区内の駅を出るとすぐに世田谷区に入り、再び目黒区に出て自由が丘駅に着き、しばらくするとまた世田谷区に入り、奥沢七丁目の九品仏駅に着く、という訳です。
駅前通りから緑が丘駅を見てみます。ホームも改築されており、雨風を避けることと日当たりをよくすることの両方を狙った構造になっていることが理解できます。規模は全く異なりますが、田園都市線のたまプラーザ駅と似ている、と言えるのではないでしょうか。
道が途中でカーブしているため、駅が見えませんが、奥へ進めば緑が丘駅です。ここまで、中華料理店、美容室、銀行の出張所、そしてコンビニエンスストアなどがありますが、商店は10軒もあるかないか、というところでしょうか。そして、この通りが商店街であるとすれば、このコンビニエンスストアの辺りで終わってしまうように見えます。その理由は……。
踏切があります。どう見ても大井町線の踏切ではありません。緑が丘駅は高架線上にありますし、これが大井町線の踏切であるとすると位置関係が訳のわからないものになります。
実は、この踏切は大岡山第一踏切といい、目黒線の大岡山駅と奥沢駅との間にあります。緑が丘駅から非常に近いですし、同駅のホームからも見えるような場所にあるのですが、目黒線の駅はありません。下り電車はこの踏切の少し手前から加速し始めますし、上り電車は高速でここを走り去っていきます。
踏切の上から撮影しました。奥が大岡山駅です。緑が丘駅は、大岡山を出た目黒線と大井町線が分かれてすぐの場所にあります。わかりにくいかもしれませんが、左奥にある東京工業大学の建物のそばに緑が丘駅のホームが見えます。大岡山駅が地下化するまでは、目蒲線が左側、大井町線が右側を通っていました。
この先、目黒線と大井町線が合流し、大岡山駅に着くまで、両側を東京工業大学にはさまれたような形で進みます。
目黒線の目黒~大岡山は完全に立体交差化し、踏切が一箇所もありませんが、大岡山~田園調布には何箇所かの踏切が残っています。
今度は反対側を見てみましょう。奥に東京メトロ南北線の9000系が写っており、その奥にある屋根は奥沢駅のものです。同駅は目黒線唯一の世田谷区所在駅ですので、私は世田谷区の風景を撮影したことになります。
東急では、大岡山と奥沢との間の距離を1.2キロメートルとしています。これは、目黒線の目黒~田園調布では最も離れている区間ということになります。何処から何処まで測るのかを知らないので何とも言えませんが、1キロメートルも離れているのか、と不思議に感じられました。なお、大岡山駅から奥沢駅まで徒歩、自転車、自動車のいずれかで行くとなると、少しばかりの遠回りを強いられますので、確実に1キロメートルを超えます。
踏切を渡ると、緑が丘駅からの通りはさらに続きます。今回は進んでいませんが、この先に奥沢中学校があり、さらに東玉川小学校の近くを通り、大田区石川町に出るようです。手前に商店があるものの、完全に住宅街となっています。
さて、緑が丘駅に戻り、構内に入ることとしましょう。新しくなったばかりの駅は、御覧のようになっています。奥に2番線(上り電車発着ホーム)への階段およびエスカレーターが見えます。エレベーター乗り場もあります。中程の通路を進めばトイレです。1番線(下り電車発着ホーム)への階段、エスカレーターおよびエレベーターは手前のほうに設けられていますが、この写真には登場しません。
1番線ホームへ向かう階段とエスカレーターです。幅が狭いので(幼児でなければ)二人並ぶことはできないでしょう。馬鹿みたいにエスカレーターの上を歩いたり走ったりせず、じっくりと乗りたいものです。
1番線ホームに出ました。すぐに東京工業大学の建物が見えてきます。太陽電池がビッシリと敷き詰められていますが、これで学内の一部の電力を賄うということなのでしょうか。それとも何かの実験なのでしょうか。東急線沿線では慶應義塾大学と並ぶ名門の東京工業大学は、大岡山という印象が強いかもしれません。実際に正門などは大岡山駅のそばにあるのですが、施設の一部は緑が丘駅からのほうが近いようです。
かつて、田園都市線が大井町からすずかけ台、そしてつきみ野までの路線であった頃、大岡山キャンパスからすずかけ台キャンパスまでは一本で行くことができました。今は二子玉川(場合によっては長津田)での乗り換えが必要となります。
自由が丘側を見ます。最近の改築まで、1番線と2番線とで線路の高さが異なっていました。これは地形の都合によるものであったそうです。急行は止まりませんので、ホームの長さは20メートル車5両分ということになります。
さて、今回、このブログでは初めて、「待合室」休止前から勘定しても久しぶりに大井町線の駅を取り上げました。これまで、掲載順に二子玉川(OM15)、旗の台(OM06)、尾山台(OM12)、九品仏(OM11)、等々力(OM13)、上野毛(OM14)、自由が丘(OM10)、そして緑が丘(OM09)とたどってきました。大岡山(OM08)は目黒線の駅として、溝の口(OM16)は田園都市線の駅として取り上げています。従って、残るのは大井町(OM01)、下神明(OM02)、戸越公園(OM03)、中延(OM04)、荏原町(OM05)および北千束(OM07)です。
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