今回は、日本史を勉強された方であれば、一度は耳にしたことがあるはずの場所です。
2009年6月25日、私は、大東文化大学法学部法律学科主任として、神奈川県内の私立の高等学校を訪問しました。その一つが横須賀市内にあるので、南武線で川崎駅に出て京急川崎駅まで歩き、京浜急行本線の快特に乗りました。時間が少々早かったこともあり、堀ノ内駅で普通電車に乗り換え、本線の終点、浦賀駅で降りてみました。
実は、横須賀市を訪れるのは約30年ぶりでのことでした。しかも浦賀駅を利用したのは初めてです。
地形の関係で、浦賀駅の改札口に行くには階段を登らなければなりません。三浦半島は、山が海岸線の近くにまで迫るような地形をもっており、京浜急行の本線、久里浜線、逗子線のいずれも、山の中を走っています。また、海の近くを走っているとしても海は見えません。トンネルも少なくないのですが、カーブも多く、快特などの優等列車でもスピードが少々落ちます。京浜急行で速いといえば本線の品川~横浜、とくに京急川崎~横浜でして、横浜以南はカーブが続き、いくつものトンネルを抜けます。
浦賀駅前の交差点です。終着駅の寂しさのようなものはありませんが、商店街の様子が少々気になります。もっとも、駅前に店舗はあまりありません。もう少し時間があれば、歩いて海岸に出て、黒船が現われたという場所のほうに行きたかったのですが、時間的な余裕はこの駅に来るという程度しかなく、電車で横須賀中央に行かなければならなかったのでした。
浦賀駅のホームから眺めています。階段状のマンションなどがあり、山の途中まで住宅地が伸びていることがわかります。京浜急行の沿線で横浜以南にはこのような場所が多いのです。住宅地としては地形的にかなり厳しいと思われます。ただ、溝の口駅の西のほうに、もっと大規模な階段状マンションがあります(しかも北向きです。国道246号線からであれば見えますが、田園都市線・大井町線から見えるかどうかはわかりません)。
もう一枚、ホームから撮影した写真です。真ん中に見える木々の右側などに建物があるのですが、何の建物でしょうか。また、左側には住宅地があることがわかります。乗り換えが必要であるとはいえ、横浜、品川、泉岳寺、さらに新橋や日本橋に出られますので、住宅地としての需要はあった、ということなのでしょう。
浦賀駅に停車する新1000系で、この編成はステンレス製の車体となっています。京浜急行というと赤色に白帯ですが、側面はステンレスの銀がそのまま利用されています。何故か、京浜急行には新旧の1000系が走っていますが、番号などはどのように付けて区別しているのでしょうか。もっとも、旧1000系と新1000系は似ても似つかないスタイルです。新1000系は、2100系などとよく似ており、ファンでなければ区別がつかないでしょう。私も、番号がなければ区別できません。ちなみに、長期間にわたって大量に製造された旧1000系は、一部が高松琴平電気鉄道などに譲渡されています。
ここは本線の終点ですが、堀ノ内~浦賀には快特などの優等列車が走りません。優等列車は堀ノ内から久里浜線に入るのです。そして、久里浜線内の各駅に停車します。
先ほど、約30年ぶりに横須賀市を訪れ、浦賀駅を初めて利用したことを記しました。実は、私にとって京浜急行は非常に縁が薄く、羽田空港へ行く時を除いてあまり利用したことがありません。沿線に行くような用事があまりないこと、京急川崎駅がJR川崎駅から少し離れていること、とくに泉岳寺~横浜が便利なのか不便なのかわからないこと、などによります。長い間、本線では泉岳寺~金沢八景しか利用したことがなく、しかも横浜~金沢八景は一度しか利用したことがなかったのです。高校訪問という機会がなければ、利用することはなかったでしょう。
さて、この電車に乗り、堀ノ内で快特に乗り換えて横須賀中央駅に向かうこととします。
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