ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

松浦鉄道西九州線(伊万里→佐世保)乗車記(その1)

2013年06月13日 23時22分07秒 | 写真

 (以下は、「待合室」第526回として、2013年5月23日から6月1日まで掲載したものです。なお、若干、手を加えております。)

 ようやく、昨年(2012年)秋の旅の写真を掲載することが出来るようになりました。

 2004年、私が大分大学から大東文化大学に移った年、福岡市早良区にある西南学院大学での集中講義を担当しました。それから昨年まで、(年によって若干のずれはありますが)8月下旬から9月上旬にかけて、福岡市に一週間以上も滞在しました。宿泊していたのは天神地域でしたので、何所へ行くにも楽でした。

 その間、私は、折を見て九州島内の各地を鉄道で周りました。大分大学時代の7年間は自家用車(日産パルサーJ1J→日産ウィングロードX)を運転することが多く、あまり鉄道を利用してこなかったのですが、その7年間と、集中講義担当の9年間をかけ、かなり多くの路線を利用することができました。福岡県、佐賀県、長崎県および大分県の鉄道路線は全て利用しました(ケーブルカー、ロープウェイなどは除きます)。未利用のまま残っているのは、JR九州の肥薩線、吉都線、日南線(田吉~志布志)および指宿枕崎線(山川~枕崎)、第三セクターおよび私鉄ではくま川鉄道のみです。既に廃止された高千穂鉄道の全線や西鉄宮地岳線の西鉄新宮~津屋崎も利用済みです。

 もっとも、佐賀県および長崎県については、昨年の秋にようやく全路線踏破を済ませました。松浦鉄道西九州線の伊万里~佐世保、および島原鉄道線全線が未利用のまま残っていたのです。そこで、集中講義の中休みの土曜日、2012年9月1日に敢行することといたしました。最後の集中講義のために福岡に滞在していたこの機会を逃すと、乗車することなく終わってしまう可能性が高いからです。

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 松浦鉄道は、1988年4月1日、JR九州松浦線(有田~伊万里~佐世保)を引き継ぐ形で同線の運行を開始しました。その時に線名を西九州線に変更しています。同社は2000年度まで黒字経営を続け、「第三セクターの優等生」とも称されました。佐賀県と長崎県に跨る路線で、全長は90キロメートルを超えます。もっとも、有田から佐世保まで行くのであればJR佐世保線を利用すればよい訳ですから、西九州線全線を通して走る列車はありません。実質的には、有田~伊万里と伊万里~佐世保が別個の路線となっています。私は、2009年8月31日に有田から伊万里まで利用しており、2010年、数回に分けてこの「待合室」で取り上げています。

 残る区間の踏破を目指し、西鉄福岡(天神)駅と薬院駅との間にあるホテルから伊万里駅へ向かうこととしました。しかし、ルートの選定に手間取り、なるべく待ち時間を短くしたいと思った結果、天神から特急バスを利用することとしました。西鉄福岡(天神)駅3階の天神バスセンターを7時52分に出発する昭和自動車前原営業所の「いまり」号です。天神から伊万里駅前まで1800円で、鉄道を利用するより安いことが決め手となりました。当初は天神から地下鉄空港線とJR筑肥線を利用することを考えていたのですが、唐津までで1時間以上もかかる上に、唐津~伊万里の列車が一日あたり10往復程度しかなく、唐津での接続もよくありません。

 バスは7時55分に発車しました。客は13人か14人です。都市高速と西九州自動車道を走りましたが、後者が部分開通らしく、しばらく一般道を走ったかと思うとまた自動車専用道路を走り、8時49分に唐津インターチェンジを通るとまた一般道を通ります。唐津線と筑肥線の分岐駅である山本駅前のバス停(何故か駅前を名乗らない)を通過し、佐賀県道52号を走ります。岸嶽を通りました。1970年代まで唐津線岸嶽支線が通っていたのですが、何所に跡があるのでしょうか。9時28分、伊万里駅前に到着しました。

 私が乗ろうとする337Dは10時8分に伊万里駅を出発します。それまで40分も待ち時間がありますが、駅前には商店街らしきものがなく、商店そのものもあまりありません。2009年8月31日に訪れた時にはスーパーマーケットが入居していたらしい建物が残っていましたが、既に解体されており、広大な更地になっています。仕方がないので、駅で時間をつぶすこととしました。まずは、乗車券を買う前に駅の外からMR-600形を撮影しておきました。

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 さて、伊万里から佐世保へ向かうとすると、一般的には有田に出てJR佐世保線に乗り換えるというルートを選択するでしょう。860円で済むし、速く行けるからです。有田駅での接続にもよりますが1時間くらいで佐世保駅に着くでしょう。これに対し、西九州線の松浦経由では2020円もかかるし、乗車時間が2時間半から3時間ほど必要となります。337Dが佐世保駅に到着するのは12時39分なので2時間31分もかかる訳ですが、佐世保駅を7時8分に発車する312Dが終点の伊万里駅に着くのは9時59分なので、2時間51分もかかります。いかに長い距離を走るかがわかります。しかし、私は松浦経由を選びます。フリー切符を使うと2000円ということなので、駅で購入しました。

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 松浦鉄道の伊万里駅は、2010年4月28日に「待合室」の第360回で取り上げています。その際にも記しましたが、西九州線がまだ国鉄(JR)松浦線であった時代には筑肥線と線路がつながっており、直通する列車も運転されていました。松浦鉄道への転換後も、線路はつながっており、駅も一体のものでしたが、2002年に筑肥線と西九州線とが分断されたことに伴い、駅も別々になりました。筑肥線の山本~伊万里が非常に不便な区間であり、もしもこの区間が筑肥線の一部ではなかったら(つまり、筑肥線とは別の路線であったなら)、確実に廃止の対象となっていたでしょう。上の写真では、あたかも筑肥線の上伊万里駅に線路がつながっており、一部の列車が筑肥線に直通しているかのように思われるかもしれませんが、それは不可能なのです。

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 松浦鉄道の伊万里駅にはホームが2つあり、3つののりばがあります。1番のりば(上の写真では左側)と2番のりばは松浦、佐世保方面、3番のりば(右側)は有田方面となっています。かつては、この車止めがなく、1番のりば、2番のりばのどちらかがJR筑肥線に入っていたはずです。

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 私がいるのは「西ビル」の松浦鉄道伊万里駅です。道路の向こう側が「東ビル」のJR九州伊万里駅で、2階に連絡通路があります。

 ここで簡単に歴史を記しておきましょう。この駅は1898年に伊万里鉄道が開業させており、翌年には九州鉄道の駅となり、1907年に国有化されています。伊万里鉄道は有田~伊万里を開業させたので、長らくこの駅は松浦線に所属する駅として扱われていました。現在の筑肥線を運営していた北九州鉄道が伊万里駅に乗り入れたのは1935年のことで、その2年後に北九州鉄道も国有化されます。

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 あまり人通りも多くないのですが、低いとはいえ駅ビルにはなっています。但し、JRの駅はのりばが1つしかありません。筑肥線と名乗っていますが、同線は現在、姪浜~唐津と山本~伊万里とに分割されており、姪浜~唐津は電化されて福岡市営地下鉄空港線への直通運転も行われているのに対し、山本~伊万里は非電化で、唐津線の唐津か西唐津まで直通運転を行うのみです(山本止まりの列車はありません)。つまり、伊万里から姪浜まで(さらに博多や福岡空港まで)直通する列車はありません。本数の差も大きく、全く性格が異なるので、同じ路線名ではかえって紛らわしく思われます。

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 こちらが「西ビル」です。筑肥線よりは本数が多いためか、客も少しばかり多いようです。ここから建物に入ると右側に売店があり、左側に切符売り場があります。なお、MRは松浦鉄道の略称(愛称)です。

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YouTube: 松浦鉄道伊万里駅2番線に到着するMR-610

 312Dが伊万里駅に到着しました。佐世保から2時間50分ほどもかかりますので、通しで乗るような人は少ないでしょうが、降りたお客は意外に多く、20人以上はいたはずです。これが337Dとなって、再び佐世保へ向かう訳です。

 西九州線は長距離にして長時間の運転を行う路線であるにもかかわらず、MR-600形にはトイレがありません。おそらくは製造および維持管理のコストのためであると思われるのですが、松浦鉄道にはトイレつきの車両がMR-500形の1両しかなく、長時間乗車する場合には途中の交換駅で用を済ませるしかありません。ちなみに、西九州線のダイヤをみると、本数が多いのは佐々~佐世保の区間です。

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 MR-600形には「肥前WEST  LINER」という愛称が付けられています。第三セクターの気動車は、やはりコストなどの関係があり、JRなど他社の車両と基本設計を共通とする例が非常に多いのですが、MR-600形も真岡鉄道のモオカ14形を基本として、日本車両で製造されています。もっとも、最近では大手私鉄でも、例えば東急5000系シリーズはJR東日本のE231系と基本的な構造が共通していますし、日立製作所のA-Trainという製造技術は東武50000系シリーズ、西武30000系、東京メトロ10000系など、多くの鉄道会社で採用されています(そのA-Trainの原型の一つが西武20000系ということのようで、西武20000系と東武50000系とでは外観で見分けがつきにくいほどによく似ています)。

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最近では鉄道会社でも地方自治体でも独自のキャラクターが採用されています。松浦鉄道も同じで「マックスくん」と名付けられています。

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 平成20年、つまり2008年の12月に日本車両で製造されたことなどがわかる記載です。同社はJR(新幹線、在来線を問わず)、大手私鉄などの車両を幅広く製造していますが、最近では第三セクターの車両も手がけています。

 第三セクター向けの軽快気動車と言えば、富士重工業と新潟鉄工所の二社が有名でしたが、富士重工業は鉄道車両の製造から撤退しており、新潟鉄工所は経営破綻のために解散したため、現在は両社の技術などを引き継いだ新潟トランシスが鉄道車両の製造を行っています。

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 有田からの615DがMR-607で到着し、駅が賑やかになりました。程なく、337Dの発車時刻となります。私を含めて10人ほどの乗客でした。

 車内は、伊万里側がクロスシート、佐世保側はロングシートで、海側は2人がけのクロスシート、山側は1人がけのクロスシートでした。

 伊万里駅を出ると、有田駅方面の線路を左に見て進みます。いきなり竹薮のような場所を抜けると東山代駅で、3人が降り、里でも2人が降り、楠久で1人が降りました。しばらく無人駅が続きます。松浦鉄道西九州線には駅員(係員)が配置されている駅が7つしかなく、佐賀県には有田と伊万里の2つだけです。楠久駅と久原駅では列車交換ができ、ATSの警告音も鳴ったりするのですが、無人駅です。

 駅に止まる際にブレーキがかかりますが、その際にも高いエンジン音が鳴ります。エンジンブレーキを利用しているのでしょうか。

 波瀬駅で少しばかり海が見えます。しかし、すぐに山の中に入ります。北松浦半島の外周を走るだけに、地形はかなり複雑です。とくに、福島口駅を出てしばらくして長崎県に入ってから、その複雑さがわかります。日本語版ウィキペディアによれば長崎県には「海岸線からの距離が15km以上の地点はない」とのことですが、海岸線が複雑である上に、北海道の次に海岸線が長く、県内の島も1000近くあります。山が海岸に迫っているような所も少なくありません。

 長崎県に入って最初の駅である今福駅の手前でATSの警告音が鳴ります。10時38分に着き、ここでようやく列車交換をしました。その次が調川という難読駅です(これで「つきのかわ」と読みます)。そして、松浦駅に着く前にまたATSの警告音が鳴りました。列車交換はないのですが、6分ほど停車します。


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