新型肺炎(コロナウイルス)の影響により、多くの国々が深刻な打撃を受けています。日本も然りです。経済活動はもとより、教育などについても損失は計り知れません。期間の長短の問題ではないだけに厄介ですし、一度機会を失うと、取り戻すこと、または再び得ることは、不可能とまでは言えなくとも困難です。
そのような中で、今回、こんな記事をブログに載せてよいのかと考えましたが、こういう時だからこそ、少しでも和みの気持ちが現れるならば、ということで、掲載します。元は私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。
第177回:「東急目黒線途中下車(4) 大岡山駅(その1)」(2006年7月24日〜31日掲載)
第178回:「東急目黒線途中下車(4) 大岡山駅(その2)」(2006年7月30日〜8月7日掲載)
第179回:「東急目黒線途中下車(4) 大岡山駅(その3)」(2006年8月7日〜18日掲載)
いずれも、写真撮影日は2006年6月28日です。冒頭の「(その0)」のみ、イントロダクションのような文章を新たに付け加えましたが、「(その1)」の冒頭の一行を削除しましたが、それ以外は誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。
(その0)
さて、皆様は大岡山をどのように読まれるでしょうか。
「そんなの『おおおかやま』に決まってるじゃないか」とおっしゃる方も少なくないでしょう。しかし、私は「おおかやま」という発音をよく耳にしました。かく言う私も、会話などにおいては「おおかやま」と発音していました。関東、というよりは武蔵国の荏原郡や橘郡の方言のようなものではないかと思うのですが、目黒区公式ホームページにおいても言及されています(https://www.city.meguro.tokyo.jp/smph/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/michi/chimei/seibu/oooka.html)。東急目蒲線、大井町線の車掌さんのアナウンスでも「おおかやま」と発音されることが多かったと記憶しています。
ここから本編に移行し、2020年から2006年に遡ります。
(その1)
今年(2006年)の9月25日、目黒線の急行運転が開始されます。停車駅は、目黒、武蔵小山、大岡山、田園調布、多摩川、武蔵小杉で、妥当なところです。その停車駅の一つで、大井町線との乗換駅、しかも、大井町線の当初の開業区間の終点でもあった大岡山駅を取り上げます。
大岡山駅です。1923年(大正12年)に、東急の前身、目黒蒲田電鉄の目黒~丸子(現在の多摩川線沼部)が開業しました。その時からの駅です。大井町線(当初は目蒲線の支線)の大井町~大岡山が開業したのは1927年(昭和2年)です。
東急は駅名や線名の改称が多いことでも知られていますが、この大岡山駅は開業以来、一度も改称されていません。
一方、路線名のほうはと言えば、まず、1963年(昭和38年)に大井町線が田園都市線と改められます(その3年後に溝の口~長津田が開業)。そして、1979年(昭和54年)に、田園都市線の大井町~二子玉川園(2000年8月に、旧駅名である二子玉川に改称)が分離され、大井町線に改称されました。そして、2000年8月、目蒲線が目黒~田園調布と多摩川~蒲田に分割され(田園調布~多摩川は東横線と重複)、目黒~田園調布が目黒線(田園調布からは東横線の武蔵小杉まで運転)、多摩川~蒲田が多摩川線となっています。
ちなみに、多摩川駅も何度か改称されており、開業当初は多摩川でしたが、1926年(大正15年)に丸子多摩川に、1931年(昭和6年)には多摩川園前に、1977年(昭和52年)には多摩川園に改称されました。そして2000年に、元来の名前である多摩川に戻ったのです。このような例として、他に田園都市線・大井町線の二子玉川があります。
私は、長らく地上駅としての大岡山になじんできましたが、1997年(平成9年)に地下化され、現在の駅になっています。地上時代は、たしかこのあたりに橋がかけられていて、そこに駅舎がありました。そして、西側に目蒲線、東側に大井町線が通っていました。目蒲線が3両編成、しかも緑色の旧型車ばかり、大井町線も4両だったり5両だったり6両だったりで、1970年代までは旧型車ばかり、その後も東横線のお古や改造車ばかりであったため、自由が丘などと比べてものんびりとした雰囲気がありましたが、地下化されてからはそのような空気は消えました。
この駅を利用する方なら御存知でしょうが、いつの間にか、燕の巣がつくられていました。鳴き声が聞こえたので、屋根を見たら巣がありました。それで、撮影してみました(ひな鳥には申し訳なかったかな?)。
案内板に糞がたくさん付いていて、真下にも糞がたくさん落ちています。そのため、ホームセンターでも売られているコーナーポストが置かれています。それはともあれ、燕という鳥の習性なのか、よくぞこんなところに巣を作って、ひなを育てたりするものだ、と感心します。東京工業大学は、とにかく鳥が多い所ですから、燕の天敵もいることでしょう。それなら、大岡山駅のほうが安全だ、ということなのでしょうか。
大岡山駅の改札を出てすぐ左に進むと、大岡山駅前交差点で、そこに有名な東京工業大学が見えます。この写真の奥が、東京工業大学大岡山校舎です(他に、田園都市線すずかけ台と京浜東北線・山手線の田町に校舎があります。)。
大岡山という地名は目黒区にあるのですが、大岡山駅は大田区北千束にあります。このあたりは、目黒区、大田区、世田谷区の区界付近であるため、かなり複雑になっています。東京工業大学は目黒区にあることになっていますが、敷地は大田区石川町にまたがっています。目黒線を目黒から乗りますと、起点の目黒駅から西小山駅までは品川区、洗足駅は目黒区、大岡山駅は大田区、そして奥沢駅は世田谷区にあるのですが、田園調布駅で再び大田区となります。
ちなみに、大田区というのは、大森区と蒲田区が1947年(昭和22年)に合併して誕生した区で、大岡山駅周辺は旧大森区の地域です。
地上駅だった頃の跡がどこかに残っているのかもしれませんが、こうして駅周辺を眺めてみても、面影はありません。景色が変わってしまうと、以前の様子などを思い出せなくなるものです。
駅を出てすぐに、洗足(目黒線)・北千束(大井町線)方面に向かいます。左に目黒線下りの線路を見ながら、大岡山駅のそばにある古本屋へ行こうと思い、歩きました。場所柄なのか、理工系の本ばかりが棚に並べられていますが、人文系や社会系にもいいものがありました。学部生時代に一度入ったことがあるのですが、その時から15年ぶりに入りました。いい古本屋は、神保町にだけあるという訳ではありません。
先の道がカーブしていますが、記憶に間違いがなければ、地上駅時代、大井町線の北千束駅方向へ向かうカーブであったはずです。さらに進むと、環状7号線に出られるはずです。
さて、次回は、駅から目黒区平町のほうに伸びている商店街のほうへ歩いてみることとしましょう。
(その2)
今回も大岡山駅周辺を取り上げます。今回は、撮影日に久しぶりに寄った、理工系の本が多い古本屋から、駅前商店街のほうへ歩きます。
この日は、その古本屋で社会科学系のよい本を買うことができました。さすが、東京工業大学のお膝元、と言うべきでしょうか。やはり、大学の近所には、一軒でもいいから、昔ながらのよい古本屋があることが望ましい、と思っています。もっとも、これだけ古本屋が多いというのも東京の特徴でして、もしかしたら古本というのは東京の文化なのかな、などと思います。
目黒線で古本探しをするのであれば、まずは大岡山です。それから武蔵小山と田園調布ですが、田園調布駅の東口にあった古本屋は、今もあるのでしょうか。
また、大井町線で古本探しをするのであれば、やはり大岡山、そして自由が丘です(但し、大井町から旗の台までは、あまりよくわかりません。時間があれば、下神明、戸越公園、中延あたりを歩いてみたいものです)。
ちなみに、大岡山から目黒線の上り電車で都営三田線直通のものに乗れば、乗り換えなしで神田神保町にも出られます。
どうでもいいものを写したような気もしますが、目黒線下り電車が地下に入る所です。写真では見えないのですが、奥のほうには大井町線の線路もあります。
また大岡山駅前交差点です。私が立っている地点は大田区北千束ですが、奥に見える東京工業大学は目黒区大岡山にあります。考えてみると、東京工業大学は、私の実家から最も近い国公立大学なのですが、まだ一度も入ったことがありません(用もないのに入る訳にはいきませんから)。
また大岡山駅です。右側にam/pmが見えますが、ここは7月13日をもって閉店しています(東急バスが経営していたそうです)。また、左のほうにTSUTAYAの看板が見えますが、ここも5月17日をもって閉店しています(やはり東急バスが経営していたそうです。大岡山駅前にはそもそもバスが通っていないのですが)。
写真の左側に行くと商店街です。早速、行くこととしましょう。
商店街の入口から東のほうに伸びる脇道です。東急病院のほうへ行けます。さらに進むと、目黒線に沿って環状7号線や洗足駅のほうへ行けるはずです。
大岡山のよいところというのは、何と行っても安い食堂などが多いことです。大岡山を学生街と表現する人はあまりいないのですが、東急沿線で最も学生街らしいのが大岡山なのです。大東文化大学に着任してからは、時折、大岡山で途中下車をして夕食や昼食をとることもあります。武蔵小山で途中下車することもあります。渋谷や目黒というようなターミナル駅ではなく、目黒線ならば大岡山や武蔵小山など、田園都市線ならば三軒茶屋などで途中下車をして食堂などを探すのが、学生時代以来の私の習性です。
この商店街は大田区にありますが、脇道を西のほうに入ると目黒区になります。地図で見る限りは結構ややこしい所です。
御覧のように道幅はかなり狭く、昼間から夕方にかけては自動車が入ることができません(夜になると車が入ってきます)。こういう商店街は歩きやすいし、買い物もしやすいのですが、首都圏や京阪神地区以外では廃れてしまっているのが実情です。いや、首都圏でも、郊外型の大規模店舗が増えてきています。私が住んでいる川崎市も同様でして、たとえば駅前商店街にあるスーパーマーケットの客が減り、駅から離れている場所にある、駐車場を完備しているスーパーマーケットの客が増えているようで、最近ではそのような店が増えているのです。とくに宮前区にその傾向が強く見られます。
右側にレコード屋があります。最近、街のレコード屋は珍しくなりました(TSUTAYAなどを除きます)。現在の私の自宅の最寄り駅がそうでして、以前は四軒あったのですが、今は一軒しかありません。溝口には、長崎屋や旧イトーヨーカドー(その後にプライスというディスカウントショップになり、現在はマンション)にもありましたので、おそらく五軒か六軒あったはずですが、この前楽器屋に入ったらCDなどの販売をやめていましたので、おそらく今は二軒くらいしかないはずです。目黒線の沿線は一通り歩いているのですが、大岡山と武蔵小山以外でレコード屋を見たことがありません。そう言えば、大分市もレコード屋が少ないところで、中央町でしか見たことがありません(郊外では書店でCDが売られています)。
振り返って、駅のほうを撮影してみました。よく見ると、この商店街は所々で道幅が広くなったり狭くなったりしています。しかし、自動車で走ったりするのでなければ、道幅の多少の変化は問題ではありません。大分時代の私のように、郊外型大規模店舗に慣れてしまうと、こういう商店街のよさがわからなくなったりするものですが、こうして歩いてみると、一種の懐かしさも覚え、いいものです。
(その3)
今回で、大岡山駅周辺は最後となります。さらに商店街を歩き、大岡山駅に戻って、目黒線で帰ろうと思いますが、また途中下車の機会もあるでしょうし、さらにゆっくりと歩いてみたいなどと思います。
この脇道を進み、さらに歩いていくと目黒区に入ります。そして、大井町線の緑が丘駅まで行けるはずです。大井町線といえば、ごく少数の例外を除いて、駅間距離が1キロメートル未満という路線でして、大岡山駅から緑が丘駅までであれば、十分に歩ける距離です。私も、一度だけですが歩いたことがあります(緑が丘駅を利用したことが一度しかないのですが)。
「街を知りたければ路地へ行け」という格言はありませんが、路地に入ることによって、その街の空気がわかるということがあります。私の場合ですと、三軒茶屋駅周辺がそうでしたし、渋谷区の常盤松や恵比寿あたりもそうでした。
花屋さんがあります。こういう類のものはどちらかというと苦手ですが(名前を覚えられないため)、川崎市宮前区や横浜市青葉区のホームセンター(この種の店舗には、中学生時代からなじんでいました。以前から横浜市青葉区には多かったからです。大分大学時代には近所にあったので何度となく足を運びました)ではよくみています。しかし、商店街の中にある花屋さんが、歩道にも花を出しているというのは、私にとっては久しぶりの光景でした。
花屋さんの向かい側に運送屋さんがあります。ここの門番(?)をしている犬を撮影したのですが、技術のせいか、あまりよく写っていません。利口な犬だったのか、私を見てもやかましく鳴いたりはしません。
ハイビスカスが売られていました。私がよく行くホームセンターでは、種や苗はあるかもしれませんが、こういう形で売られていません。大岡山で見られるとは予想もしないことでした。
別のハイビスカスです。他の種類の花もありましたが、やはり、かなり目立ちました。
またまたハイビスカスです。
少し歩くとクリーニング屋があります。ここの門番(あるいは呼び込みのための店員?)は熊の大きなぬいぐるみでした。以前から、時々、こういうお店はありましたが、最近でも時々見かけます。それにしても、汚れたりしないのでしょうか。いや、汚れても大丈夫なのでしょうね。
今回で、大岡山駅周辺を終了しますが、歩いていると、また寄りたくなる街です。歩いているうちに、大井町線の緑が丘駅、北千束駅、あるいは目黒線の洗足駅まで行けそうです。道さえわかれば、池上線の洗足池駅まで歩けるでしょう。また、環状7号線を使えば、東横線の都立大学駅まで歩くことも可能です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます