溝口の商店街を歩いています。書き忘れていましたが、ノクティ、溝口中央商店会、溝の口駅前商店街、いずれも溝口一丁目の話です。
ノクティの前から続く商店街も、ドン・キホーテ(旧長崎屋)のそばにある三つ角を過ぎると、人通りが少なくなります。左側にあるメガネストアーの場所には、1980年代の初め頃までイトーヨーカドーがありました。現在のイトーヨーカドー溝ノ口店は久本三丁目にあるパークシティ溝の口の中にありますが、そちらは1985年頃にオープンした所です。
ここにイトーヨーカドーがあった頃には食料品売り場がなく、しかも売り場が二つの建物に分かれていました。あまり入ったことがない上に、30年以上も前の話ですから、ほとんど記憶にありません。わずかに、この建物の2階にグーテンバーガーの自動販売機があったこと、別の建物にレコード屋があったことを覚えているくらいです。
脇道です。奥に田園都市線の高架がかすかに見えます。その少し手前に高津中央病院があり、高架の先には、溝口では有名な十字屋があります。
こちらにあったイトーヨーカドーの話ですが、左側のメガネストアーの他、右側にも店舗がありました。現在は建て替えられた上でマンションとなっており、1階に薬局があります。上の写真ではわずかに「処方」と書かれた黄色い看板が見えますが、そこがかつてのイトーヨーカドーです。
1980年代に現在のイトーヨーカドー溝ノ口店が開店してから、右側の建物にはザ・プライスがオープンしました。イトーヨーカドーのディスカウントショップというような店です。一家でよく行ったのですが、あまり良い思い出がありません。正直なところ、サービスはいまひとつでした。例えば、ということで一つだけ記しておきましょう。父親の仕事の関係で、挨拶の品として持って行くためにタオルを買おうとすると、タオルに巻かれている紙に値札シールが貼られているのです。そのような物を年始の挨拶などとして相手に渡す人はいないでしょう。常識で考えてわからないかと思うのですが、サラリーマンの家庭ではわからないのかもしれません。他にも、不快な思いをさせられたことが何度かありますが、決定的なことがあったために二度と行かなくなった、ということ以外には記さないこととしておきましょう。
1990年代には客も減っていたようです。そして、いつのことかよくわからないのですが、閉店していました。
メガネストアー、石原文具店本店のそばの交差点です。ここは面白い形をしており、三叉路が二つ続くのです。上の写真では右に脇道が伸びていますが、その手前に、次の写真に登場する三叉路があり、左に脇道が伸びています。
最近ではゲームセンターを見かけることが少なくなりました。神保町のミッキーが閉店した時、渋谷センター街にあった渋谷会館が閉店した時には、新聞などでも報じられました。
溝口も、1980年代には、長崎屋の屋上にあったゲームコーナーを含めれば5軒くらいあったはずです。今はムサシボウルの1階と、この交差点のそばしかありません。もう少し歩いて二子に出るとラウンドワン高津店がありますが、最寄りは高津駅です(そこが開店するまで、高津駅の周辺にはゲームセンターがなかったはずです)。
右手前に石原文具店本店が僅かに写っています。当初からここにあったのではなく、再開発事業の伸展とともに移転してきました。以前はJR武蔵溝ノ口駅から少しばかり武蔵新城駅方面に歩いた所にありました。たしか溝ノ口百貨店という名前だったと記憶していますが、呉服店、履物店などと同居していました。小売市場というものでしょうか。ちなみに、現在はノクティプラザ1となっています。
その奥に見えるホームセンターは島崎商店本店金物店で、こちらは創業からかなりの年月が経っているはずです。私は小学生時代から何度か入ったことがあります。ホームセンターというと郊外にあってチェーン店ばかりであると思われがちですが、溝口には地場のホームセンターがあるのです。また、溝の口駅と高津駅の周辺には、現在も金物屋、園芸店がいくつかあります。関心のある方は歩き回ってみることをおすすめします。
右に石原文具店本店、左に島崎商店本店金物店という通りです。少し奥に三田文具店があります。私が初めて製図用の補助軸(ドイツのSTAEDTLER)を買った所で、こちらは昔からここにあります。
右側の少し奥に溝ノ口中央郵便局があります。記憶に誤りがなければ、そこに、末長一丁目に移転する前の高津郵便局があったはずです。さらに進むと、左側にパークシティ、右側に神奈川県高津合同庁舎、てくのかわさきがあります。高津区役所があった場所です。
みよし(三吉野)のという和菓子屋などがある建物です。1月3日ということで、閉まっていました。この建物を通り過ぎると二ヶ領用水で、溝口一丁目は終わります。
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