ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

うしでんしゃ 横浜高速鉄道Y000系デハY013+クハY003

2018年12月30日 00時00分00秒 | 写真

2018年10月11日から2020年3月末までの期間限定で、横浜高速鉄道こどもの国線(第二種鉄道事業者として東京急行電鉄が運営)で「うしでんしゃ」が走っています。

 こどもの国線の起点、長津田駅(KD01、DT22)の7番線に「うしでんしゃ」が到着しました。撮影日(12月26日)はこどもの国の休園日だったのですが、何故か子どもが多かったのでした。こどもの国ではなく、この電車が目当てなのでしょうか。

 「うしでんしゃ」としてのラッピングが施されているのは、横浜高速鉄道のY000系デハY013+クハY003です。上の写真の車両はデハY013で、こどもの国側(下り側)の電動制御車です。奥(6番線)には田園都市線で長らく活躍を続ける東急8500系が停まっています。

 Y000系は1999年に製造された車両で、目黒線で活躍する東急3000系を基にしていますが、側面が3扉、ATOやTASCのための装置が付かず、など、線区に応じた違いもあります。但し、ワンマン運転対応であることは共通しています。

 なお、Y000系は、こどもの国線用の電車としては5代目にあたります(初代および2代目は東急旧3000系、3代目は東急で2両しかなかったアルミ車体の7200系デハ7200+クハ7500、4代目は東急旧7000系)。 

 こどもの国線は、元々、現在のこどもの国の位置にあった田奈弾薬庫から長津田駅までの専用線の跡を活用した路線で、1967年に開業しました。こどもの国の開園からおよそ2年後のことです。

 開通時から長らく、線路などの施設をこどもの国協会が保有しており、東急が委託を受けて運行していました。そのため、この線を定期運行のために走る車両は東急の社紋を外して(または隠して)いました。もっとも、東急では自社の路線として扱っているのですが、運賃が全くの別立てであるため、注意深く見れば東急線でないことは明白です。

 鉄道事業法の施行とともに、こどもの国協会が第三種鉄道事業者、東急が第二種鉄道事業者となりましたが、こどもの国への来園者のための路線であるという性格は変わらず、始発は8時台、終発は18時台、平日ダイヤ、休日ダイヤとは別に休園日ダイヤがありました。横浜市内の路線ですが、単線で運行本数も少なく、通勤通学には使えないような路線でした。

 しかし、1980年代から、横浜市内にしてはのどかなこの沿線にも宅地化が進み始めました。通勤路線化の要請もあったといいます。そのためには本数を増やすなどの対策を採らなければならないのですが、こどもの国線の第三種鉄道事業者がこどもの国協会であるということが問題となりました。同協会は社会福祉法人であるため、通勤路線を保有するとなれば法人の目的から逸脱します。そこで、1997年、みなとみらい線の第一種鉄道事業者である横浜高速鉄道に譲渡されました(みなとみらい線の開業は2004年です)。2000年には、列車交換が可能である恩田駅が開業し、運行本数は少ないものの、通勤路線化が果たされます。それでも、こどもの国来園者のための路線であるという性格、そして沿線に長閑な風景が多く残されている点は変わりません。

 この「うしでんしゃ」は、2018年10月11日から2020年3月31日までの実施が予定されている「こどもの国線楽しモウ」というイベント(http://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20180918.pdf)の一環で運行されています。こどもの国の中に雪印こどもの国牧場があることが、ラッピングの由来となっています。

 ちなみに、このイベントは東京急行電鉄、社会福祉法人こどもの国協会および株式会社雪印こどもの国牧場により行われています。第三種鉄道事業者の横浜高速鉄道は関与していないようです。

 こどもの国は、今上天皇の御成婚記念として開園したという歴史があります。バブル経済最盛期の1989年1月8日から始まった平成の世も2019年4月30日をもって終わりますが、その間に日本は大きく変わりました。

 長津田駅、恩田駅およびこどもの国駅の周辺も、平成の間に変化が見られました。しかし、この辺りにはまだ田園風景が残されています。こどもの国の存在が大きいのかもしれません。

 ★★★★★★★★★★

 最後に余談を。

 こどもの国は、私の小学生時代(1970年代後半)には遠足の定番コースでした。遠足以外でも家族で何度か行っています。牧場などもあり、緑豊かな場所ですが、印象に残っているのは、至る所にこれとわかる形で弾薬庫の跡があること、東急玉川線(玉電)の車両が何両か保存されていたことです。もう何年も入っていませんが、今でも弾薬庫の跡は残っていることでしょう。車両のほうは全て解体されてしまったそうです。

 私が通っていた小学校には、こどもの国にまつわる伝説があります。私より下の学年で、こどもの国へ遠足に行ったのですが、定休日で中に入れず、周囲でお弁当を食べて帰ってきた、というものです。嘘のようですが本当の話です。


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