(今回は、2013年3月8日から15日まで「待合室」第516回として掲載した記事です。なお、一部を修正していますが、内容は基本的に当時のままです。)
2004年より2012年まで、福岡市早良区にある西南学院大学で法学部の集中講義「税法」を担当させていただきました。この9年間、当初は一日4コマの6日間(中休みを除きます。以下同じ)でしたが、だんだんコマ数が多くなり、2011年度および2012年度は4コマが7日間、2コマ+期末試験が1日ということで、一週間以上も福岡市に滞在する長丁場でした。このように記しておりますが、つらいと感じたことはありません。大分大学時代からよく行っていた福岡市ということで、天神界隈に宿泊し、博多、西新、藤崎、大橋へ行ったりもしました。
また、集中講義で、私自身は楽しみながら講義を行っていたという部分を持っています。これは、悪い意味ではありません。仕事にも様々なものがあり、或る程度は楽しみながらやるべき仕事というものもあります。とくに、最初の頃には私の講義を聴いたことによって大学院へ進学し、税法の研究を進めたという人が何人かいました。また、終了後に長い時間、学生と雑談をしたことも度々のことでした。これも私は楽しみにしていたのです。
また、楽しみと言えば、別のこともあります。この機会を利用して、福岡県内を初めとして九州各地へ行きました。2012年には、8月27日(初日の前の日)に太宰府天満宮へ行き(これは毎年のこと)、9月1日には天神からバスで伊万里駅に出て、そこから松浦鉄道西九州線に乗って佐世保に出て、さらに大村線と島原鉄道を乗り継いで島原市に出て、最後は島鉄高速船と西鉄天神大牟田線を乗り継いで天神に戻りました。
そして9月2日です。以前から行ってみたいと思っていた志賀島へ行こうと思っていました。福岡市東区にありますが、何故かこれまで足を運んでいなかったのです。ルートとしては幾つか考えられますが、天神から地下鉄で博多に出て、そこから鹿児島本線の快速に乗り、香椎で香椎線に乗り換える、という方法をとりました。但し、終点の西戸崎から志賀島までは離れていますので、バスを使わざるをえません。
香椎駅3番線に停車中の気動車、キハ47形です。香椎線は非電化で、現在ではキハ40系のみが運用されています。以前はキハ200系も走っていたのですが、大分や鹿児島へ移ってしまいました。そのため、国鉄時代に製造されたキハ40系のみとなっているのです。車体長と重量の割にエンジンの出力が低かったため、鈍足気動車の代表のような存在となったキハ40系ですが、後に改造されたりしているようです。
福岡近郊区間に単線非電化路線が残っているというのも、首都圏や京阪神の感覚からすれば妙ですが、JR九州になってから製造された気動車が運用されていないというのも妙なところではあります。
上の写真ではわかりにくいのですが、3番線に停車中のキハ47 79は宇美行きです。鹿児島本線から香椎線に乗り換える際に注意しなければならないのは、香椎駅の構内の案内がわかりにくいという点で、宇美行きと西戸崎行きとを間違えると大変な目に会います。
JR九州の車両には、線区ごとに様々な塗装がなされている場合が多く、香椎線はAqua Linerの塗装となっています。香椎線の香椎駅から西戸崎駅までの区間には海の中道線という愛称もあるのですが、その趣旨の塗装なのでしょうか。
ところで、香椎線の正式な区間は西戸崎駅から宇美駅までなのですが、この香椎駅で分割されていることが多いのです。元々は博多湾鉄道の路線でした。和白で西鉄貝塚線(旧宮地岳線)と接続しますが、貝塚線も博多湾鉄道の路線でした。ともに九州電気鉄道に合併し、西日本鉄道の路線となったのですが、貝塚線が西日本鉄道の路線として残ったのに対し、香椎線は国鉄の路線となりました。
路線図ないし地図を御覧になればおわかりと思いますが、この香椎線は、福岡市を通るとはいえ中心に入らず、脇をかすめるかのような形となっています。おそらく、国有化されたのは貨物輸送(この地域らしく石炭輸送)のためです。果たして、貨物輸送が廃止され、赤字路線の一つとなりました(もっとも、国鉄末期の黒字路線と言えば、東海道新幹線、山手線、高崎線、南武線、横浜線など、僅かなものだったですが)。宇美で乗り換え可能であった勝田線は、香椎線よりも条件がよかったはずであるにもかかわらず、1980年代に廃止されました。本数も少なかった香椎線ですが、ともかくも残りました。JR九州の路線となってから、本数も増えています。もっとも、電化の予定などはないようです。
香椎から西戸崎行きに乗りました。和白、奈多、雁ノ巣、海ノ中道と止まり、終点の西戸崎に着きました。
先程記したように、香椎線の起点は西戸崎です。しかし、ここは香椎線しか鉄道路線がない上に、駅前商店街もなく、住宅地と海に挟まれたような場所にあり、起点らしくない駅です。商店の数などからすれば、むしろ終点の宇美駅のほうが賑やかであるとも言えます。
実は、現在のJRの路線で、起点、終点のいずれの駅でも他の鉄道路線との連絡がないのは、この香椎線だけです。勝田線が廃止されるまでは終点の宇美で同線と連絡していましたが、歴史的な経緯により、駅舎が全く別である上に離れており、乗換駅であると言われてもすぐには信じられないような所でした。他には浜川崎などにしか類例がなかったのです(国鉄時代には尼崎駅と石巻駅が該当しました)。一方、西戸崎駅のほうは、最初から他の路線との接続がありません。地形的に見ても、他の鉄道との乗り換えなど考えられない駅です。
JR九州では、この駅が志賀島への入口であると位置づけているようです。しかし、ここから志賀島まで離れていますので、西鉄バスに乗ることとします。
勝田線は、博多駅の一つ隣、吉塚駅から筑前勝田駅までの路線でした。起点駅が吉塚ですから「香椎線よりも条件がよかったはず」と記したのです。
実際、勝田線は、福岡県内でも有数の人口密度を記録している志免町を通っていました。宇美町も、博多駅からそれほど離れていません。どちらの町も、博多駅からの西鉄バスの路線が通っています。
そもそも、福岡市が大都市であることからして、国鉄がしっかりとした対策をとっていれば、充分に存続の可能性はあったはずなのです。
ところが、国鉄は、典型的な石炭輸送路線であった勝田線の改善などを全くと言ってよいほど行わず、石炭輸送が終わったからということなのか、「ただの赤字路線として荒廃のまま放置した」と評価してよいことしか行っていません。かの宮脇俊三『時刻表2万キロ』(角川文庫)の81頁にも、筑前勝田駅の様子が描写されていますが、8時51分(吉塚行き)の次は13時46分発まで列車がなかった、ということも書かれています。
吉塚駅と言えば篠栗線の終点でもあり、同駅での発着事情もあったのでしょうが、福岡県の県庁所在都市にして政令指定都市、そして九州第一の都市である福岡市を通る路線とは思えない惨状を呈していたのが勝田線でした。当時の国鉄は、莫大な赤字を抱えてよほど余裕も何もなかったのかもしれません。