再び、東急大井町線に戻ります。今回、利用したのはここです。
OM03、戸越公園駅です。両隣の下神明および中延は高架駅ですが、戸越公園駅は地上にあります。
ここから東のほうへ向かうと大崎高校と戸越小学校があり、そして駅名の由来ともなっている戸越公園があります。熊本藩主の細川家の下屋敷があった場所で、1890(明治23)年には三井家が所有するところとなり、1932(昭和7)年に東京市に寄附されました。公園となったのはその3年後です。現在は品川区立の公園であり、東海道五十三次を模したという回遊式庭園があることで有名です。
駅は1927(昭和2)年7月6日に開業しましたが、当初は蛇窪という名でした。この付近にあった村の名前です。現在は、隣の下神明駅の近くにある東海道本線(品鶴線)の蛇窪信号場に名を留める程度となっています。
現在の駅名となったのは1936(昭和11)年1月1日のことです。所在地は品川区戸越五丁目となります(余談ですが、池上線にある戸越銀座駅の所在地は品川区平塚二丁目です)。
この駅には、大井町線や池上線にある地上駅の多くと同じく、跨線橋がありません。従って、乗り場ごとに改札口があります。一旦改札口を抜けてホームに立ち入ると別の乗り場には行けませんので混乱を来しかねませんが、2番線の改札口では初乗り運賃の切符と大井町乗り換えのJR線の切符しか買えないようになっています。案内表示も御覧のようになっています。この乗り場からでは下神明と大井町にしか行けませんので、わかりやすいと言えます。
すぐそばの踏切を渡ると1番線ホームの改札口があります。下り電車に乗るにはこちらを利用しなければなりません。ちなみに、急行は通過します。
1番線ホームの改札口にある運賃案内では、下神明と大井町について表示が抜けています。この乗り場からでは行けないためです。荏原町駅などにおいても同様の運賃案内が表示されています。
さて、戸越公園駅の名物(?)とは何でしょうか。過去のものとなってしまいましたが、ドアカットでした。2013年2月23日まで、5両編成のうちの大井町側2両、すなわち1号車と2号車のドアが開かなかったのです。現在でも九品仏駅では5号車のドアが開きませんので、全駅でドアが開くのは3号車と4号車だけであるという時代が長かった訳です。
これは、戸越公園駅のホームの長さが20メートル車3両分程度しかなく、両端に踏切があったためです。大井町側の踏切を移設することにより、ようやく解消されました。ドアカットの痕跡が、上の写真に示されています。かつて踏切があった場所なのです。
編成が短ければドアカットは発生しませんが、長くなり、ホームを延長することができなければ、ドアカットを実施せざるをえません。かつては東横線の代官山駅、菊名駅、東急多摩川線の鵜の木駅でも行われていましたが、代官山駅および菊名駅では改良工事が行われ、鵜の木駅については4両編成の運行がなくなったことにより、ドアカットが解消されました。九品仏駅が残るのみとなっていますが、同駅の場合は高架化か地下化を行わない限り、解消の見込みはありません。
こちらが、ホームの延長によって移設された踏切です。今回は撮影していませんが、道路、区画が不自然なものとなっているため、すぐにわかります。
私が通勤のために利用する田園都市線には踏切が一箇所もありませんが(長津田駅付近にはかつて存在しましたが、現在はありません)、大井町線などには多く存在します。同線で踏切がないのは大井町駅と下神明駅の間、北千束駅と大岡山駅との間、大岡山駅と緑が丘駅との間、上野毛駅と二子玉川駅との間です。大井町駅から旗の台駅までの間は、高架駅と地上駅とが混在していますので、思い切って全区間を立体交差化してもよかったと考えられるのですが、費用対効果などの面ではあまり意味がないのでしょう。
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