(注:今回は、2002年5月4日に「待合室」第2回として掲載した「大分市大字上判田字高取」に修正を加えたものです。)
今年は、私が大東文化大学法学部法律学科の教員となってから満10年ということになります(助教授3年、教授7年です)。それまでは、文字通りの国立大学であった大分大学教育福祉科学部に勤務していました。1997年4月から2002年3月までは講師、2002年4月から2004年3月までは助教授でした。つまり、私は7年間、国家公務員であった訳です。
大分県は、公共交通機関の利用度が低い都道府県の一つです。県庁所在地の大分市は、大分郡野津原町および北海部郡佐賀関町と合併する前から中核市であり、JR九州の日豊本線、久大本線および豊肥本線が通っており、大分駅でこの三路線が合流するのですが、典型的な自家用車社会でした。従って、他の市町村は「推して知るべし」です。私が国家公務員であった時期は、自家用車通勤を行っていた時期でもありました。
そのためなのかどうかわかりませんが、私は少しでも時間があると、愛車(日産パルサーJ1J→日産ウイングロードX)を運転して、県内のあちらこちらへ行きました。当時の全58市町村の全てを、大分市に住み始めてから1年3ヶ月弱で周っています。
川崎市に生まれ育った私にとって、大分市も大分県も未知の場所でした。
私が助教授となってから1ヶ月ほどしか経っていない2002年5月3日、久しぶりに、大分市大字上判田字高取に行きました。
(この時期、日記をつけていなかったため、「久しぶり」と言ってもどの程度の間隔があったのかはわかりません。)
大分大学から高江ニュータウンの方向に走り、 途中にある標識に従って住床に行きます。大分大学の南端を通り、急な坂を下ると、車がようやく通れるほどの狭い道になり、大分市大字上判田字住床に入ります。ここからさらに1キロメートルほど、狭く曲がりくねった山道を走ると、高取に到着します。
この辺りで道路は行き止まりとなるため、少し手前の所に車を停めました。上の写真を撮影した地点です。ここで道は分岐するのですが、どちらを進んでもすぐに行き止まりとなります。上の写真では、奥のほうに電線が見えますが、その辺りで道は途絶えます。また、この池の手前に道があるのですが、これも数百メートルほど歩くと、下の写真の通りとなります。
これでは車を進めることができません。しかも、雨のため、足下はぬかるんでいます。辺りは松林で、この写真の手前のほうには製材所か作業所らしい建物がありましたが、人の気配は全くありません。左のほうには川が流れています。おそらく、山登りに相応しい装備をすれば、この先を進み、県民の森や河原内のほうに行けるのでしょう。しかし、 そのようなことをする余裕も技術もありませんし、実際にやったことがあるという人がいるのでしょうか。多くの大分市民も、高取に行ったことがないでしょう。大分大学の裏に限らず、大分市内には、似たような所が幾つかあります。人口43万人余りの中核市とは思えない光景です。しかし、私は、或る意味で、ネオンがきらめく歓楽街より、このような場所に惹かれます。
今は住宅が立ち並ぶ高江ニュータウンも、以前はこんな所だったのでしょうか。
そして、当時、大分県でもトップクラスの「険道」と言われた県道41号大分大野線など、大分市の山間部を通る県道や林道を何度となくドライヴしていました。「若気の至り」なのでしょうか。
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