2011年11月7日付で「学校選択制を考えて見る」という記事を掲載しました。今回はその続きと言ってもよい内容です。
今日(2011年12月28日)、朝日新聞朝刊35面に「学校選択制 ブレーキ」という記事が掲載されました。きょういく朝日神奈川版11月号に掲載された記事と同じ内容もありますが、副作用を強調する内容となっています。
「希望校に偏る」というのは、選択制である以上はやむをえません。おそらく、そういうことは当然の前提であり、むしろ偏るからこそ競争として成り立つ訳です。その意味で、「希望校に偏る」ことを「副作用」なり「弊害」なりと捉えるのは筋違いです。公立学校に競争をもたらすための制度なのですから。
しかし、「弱まる地域活動」が副作用であるとする指摘については、妥当であると評価せざるをえないかもしれません。記事には神奈川県逗子市の例が登場しますが、そこでは学校が自宅から遠いことを理由として親がPTA活動に参加しない」という苦情があったとも書かれています。PTA活動以外にも、子供自身にとっても、地域活動に参加できないということは、長い目で見ると弊害が生じるのではないかと懸念されうるところでしょう。
現実的な問題としては、施設の容量があります。逗子市では、中心部の学校に人気が集中し、結局は学区外からの希望者を受け入れられないという事態が生じました。これでは選択制の意味が弱まります。
また、東京都江東区では、どこかの選挙活動と同じようなことをする親たちがいます。どういうことかというと、住民票を移してしまうのです。同区は2002年から学校選択制を実施していますが、何らかの弊害があったためなのか、2010年度から徒歩30分以内という制限が付けられています。そこで、転居したように装うなどして住民票を移してしまえば、希望する学校へ行ける、という訳です。こうなってしまうと、いったい誰の希望で学校を選ぶのかという問題が改めて問われることとなるでしょう。
また、実はこれこそが根本的な問題と言えることかもしれませんが、公立学校の場合、教員について定期的(?)に配置転換されます。つまり、異動がある訳です。同じ学校に何年も勤め続ける教員もいるかもしれませんが、何十年も同じ学校に勤務する教員はいないでしょう。その点でも、学校選択制には限界があるということになります。
もう一つ、気になるのは、上の教員の異動の点とも少なからぬ関係を持つことですが、学校側、さらに言えば教育委員会側の情報公開・情報提供の点です。これは記事で触れられていませんが、選択する側に十分な量の情報がなければ、選択するにしても意味がありません。教育関係は情報公開に消極的な部門の一つでもあるだけに、非常に気にかかるのです。
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