ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

都営三田線の6両編成は健在

2025年02月09日 15時40分00秒 | 写真

 毎年度刊行されている『鉄道要覧』では東京都交通局の6号線三田線と呼称される地下鉄路線の2代目車両である6300形は、元々8両編成で運行されることが前提とされていたものの、6両編成で登場し、現在も6両編成のまま運行されています。現在は、都営三田線はもとより、東急目黒線、東急新横浜線においても運用されていますので、新横浜駅まで走ることがあります。

 今回は、西台駅(I24)にて撮影した6300形の2編成です。右が各駅停車白金高輪行きの6331F、左が各駅停車西高島平行きの6323Fです。

 都営三田線というと、一般的には目黒駅から西高島平駅までの路線と考えられており、地下鉄路線図にもそのように書かれています。しかし、実際には白金高輪駅から西高島平駅までの路線であり、目黒駅から白金高輪駅までの区間は東京メトロ南北線に乗り入れる形となっています。より精確には、目黒駅から白金高輪駅までの第一種鉄道事業者は東京メトロ(東京地下鉄)、第二種鉄道事業者は東京都交通局となっています。

 令和6年度の『鉄道要覧』を読むと、興味深いことが書かれています。

 最初に開業したのは巣鴨駅から志村駅までの区間で、昭和43年、西暦に直せば1968年の12月27日です。「志村」は、高島平駅の当初の名称ですが、どう見ても志村地域でない場所にあるということで、後に改名されました(ちなみに、東隣の西台駅は志村地域にあります)。

 しかし、巣鴨駅から志村駅までの区間の免許年月日は1964(昭和39)年12月18日のことであり、実は最初に免許がなされた区間ではありません。

 私も少々驚いたのですが、三田線の中で最初に免許が出された区間は大手町駅から巣鴨駅までの区間であり、1925(大正14)年5月16日のことでした。『鉄道要覧』にはどの事業者に対して免許が出されたのかが全く書かれていませんが、東京都交通局に対して帝都高速度交通営団が1964年12月18日にこの区間の免許を譲渡した旨が書かれています。

 東京都交通局には、他の事業者から免許が譲渡されたという路線・区間が他にも有ります。

 大東文化大学の中では有名なのが三田線の高島平駅から西高島平駅までの区間で、ここは1964年12月18日に東武鉄道に対して免許が出されたのですが、1972(昭和47)年12月1日に東京都交通局に譲渡されています。

 さらに、『鉄道要覧』では1号線浅草線と呼称される路線です。浅草線は西馬込駅から押上駅までの路線ですが、当初から東京都交通局が免許を取得していた区間は西馬込駅から馬込駅まで、および蔵前駅から押上駅までのみとなっています。つまり、馬込駅から蔵前駅までは帝都高速度交通営団から免許が譲渡された区間です。1958(昭和33)年3月1日のことでした。

 なお、10号線新宿線と12号線大江戸線には、他社から免許が譲渡されたという区間がありません。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 万博、リニアモーターカー、... | トップ | 再々、南町田グランベリーパ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

写真」カテゴリの最新記事