ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

三岐鉄道三岐線東藤原駅にて(完全版)

2015年07月08日 00時40分22秒 | 写真

 2012年11月13日23時28分02秒付で、このブログに「三岐鉄道三岐線東藤原駅にて」という記事を載せました。しかし、不完全な記事です。当時はホームページの「待合室」とブログを同時に行っていたので、ブログに不完全な記事を載せたのでしょう。また、同年11月11日23時51分15秒付で「三岐鉄道三岐線のクハ1851+モハ881+クモハ851」という記事もブログに載せておりますが、実はこれも「待合室」に載せた記事の不完全版です。両記事は、「待合室」に第514回として2013年2月21日から28日まで掲載した記事の一部を分割して掲載したものです。

 2014年10月に「待合室」を休止し、今年の1月に終了といたしました。このままでは「待合室」に載せた記事が埋もれてしまいそうなので、これまでのブログの記事を不完全版とし、「待合室」のほうを「完全版」として再掲載することといたします。

 三岐鉄道北勢線を乗り終えて、阿下喜駅からタクシーに乗り、員弁川を渡って、三岐鉄道三岐線の伊勢治田(いせはった)駅に出ました。ここから終点の西藤原に行きたかったのですが、電車では東藤原駅までしか行けません。2012年6月に東藤原駅構内で電気機関車が脱線するという事故が起こり、伊勢治田~西藤原が不通となりましたためです。伊勢治田~東藤原はすぐに再開されましたが、線路改良工事のために東藤原~西藤原の不通は続き、私が訪れた11月1日も、同区間ではバスによる代行輸送が行われていました(2013年1月25日に運転を再開しています)。仕方がないので、東藤原で止めておきました。なお、11月8日にも三里駅で脱線事故が発生しています。

 東藤原駅の駅舎です。1931年、三岐線の開通と同時に開業しました。当初は終着駅でしたが、同じ年に東藤原~西藤原が開業し、途中駅となりました。現在も終日、駅員が配置されています。

 三岐鉄道は、名称の通り、三重県と岐阜県とを結ぶ目的で設立された会社です。大正11年の鉄道敷設法の別表第75号に「三重県四日市ヨリ岐阜県関ヶ原ヲ経テ滋賀県木ノ本ニ至ル鉄道」が示されていますが、三岐線のルートはこのうちの四日市から関ヶ原までのルートと重なります(但し、実際には三岐線の起点は四日市市にある関西本線の富田駅です)。しかし、西藤原から先、関ヶ原までの間は、どうやら着工されていないようです。もっとも、セメント輸送という点では富田~西藤原で十分であったとも考えられます(ちなみに、関ヶ原駅から東海道本線を米原方面に進むと近江長岡駅があり、ここから住友大阪セメント伊吹工場への専用線がありました。この路線の電気機関車が三岐鉄道に貸し出されたこともあります)。

 東藤原駅は、旅客も扱いますがまずは貨物駅としての存在意義があります。貨物列車はここから富田駅まで走り、さらにJR関西本線に入ります。基本的にセメント輸送ですので、貨車も専用のものばかりです。太平洋セメント藤原工場が近くにあり、そこまでの専用線も存在します。手前の踏切は駅構内のもので、改札口とホームとを結びます。

 余談ですが、私が生まれ育った川崎市の動脈である南武線も、多摩川の砂利、奥多摩の石灰石を輸送する路線でした。元々が南武鉄道という私鉄で、路線は戦時中に国有化されたのですが、会社は太平洋不動産として存続しています。

 駅前には何故か貨車が保存されています。ホキ5700形で、セメント輸送線用のホッパー車です。日本国有鉄道、つまり国鉄の貨車ではありましたが、所有しているのは太平洋セメントなどの会社であるという、やや複雑な形態となっていました。奥にはコンテナが置かれていましたが、放置されていたということでしょうか。

 駅舎に入ってみましょう。東京では見かけなくなった切符売場の窓口があります。この駅には自動改札機は勿論、自動券売機もありません。隣の伊勢治田駅も同様です。窓口の駅員に行先を言い、お金を払うことによって切符を買う訳です。私が中学生か高校生の頃まで、武蔵小杉駅の東横線と南武線の連絡口にこんな切符売場があったことを思い出しました。

 三岐鉄道では今も硬券が売られています。2012年11月5日付で、ブログに「三岐鉄道三岐線の硬券」という記事を載せており、切符の写真も掲載しましたので、御覧下さい。

駅の中には私しかいなかったので、ゆっくりと見ていました。

 三岐線は旅客輸送も行っています。かつてはオリジナルの電車などもありましたが、ここしばらくの間は西武鉄道から譲り受けた車両が活躍しています。写真に登場するのは、西武鉄道では701系として活躍していた851系で、手前(西藤原方)から奥(近鉄富田方)へクハ18561、モハ881、クモハ851です。

 私は西武線にあまりなじみがありません。そのためか、701系と101系の区別が付きませんが、性能、仕様などは違っていたようです。

 なお、電車の方向幕は「富田」ではなく「近鉄富田」となっています。先程、三岐線の起点は富田駅と記しました。正式にはその通りですが、これは貨物列車のみの運行であり、電車は三岐朝明信号場から、近鉄名古屋線との乗換駅である近鉄富田まで走ります。四日市や名古屋などへ向かうことを考えると、JR関西本線よりも近鉄名古屋線のほうが便利であるためです。

 

 

 

近鉄富田行き電車の出発を待っている間に、貨物列車を撮影してみました。

 


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