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ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2001年12月23日、シーボルト居宅跡

2020年09月21日 00時00分00秒 | 旅行記

 私のホームページ「川崎高津公法研究室」では、2002年から2014年まで「待合室」というコーナーを設けていました。そこで、私が歩いた街などの写真と雑文を掲載していたのです。掲載分は原則として保存しているのですが、消失したデータ(主に写真)もあります。また、2014年掲載分が見当たりませんので、都営三田線途中下車シリーズの数回分が掲載できないままとなっています。

 さて、今回は、2002年10月12日から同月25日まで第24回として掲載した分の再掲載です。但し、写真1枚が消失しています。文章は掲載時のままとしましたので、長崎電気軌道の運賃など、現在とは異なる内容もあります。御注意ください。なお、写真撮影日は2001年12月23日です。

 

 第15回目「平和の意味を問う」でも1枚だけ掲載したシーボルト(Dr. Phillip Franz von Siebold, 1796-1866)の居宅跡を紹介します。言うまでもなく、江戸時代後期、長崎は出島にあったオランダ商館の医師として来日したドイツ人です。彼の功績は、何と言っても、日本の植物などを世界に紹介したことです。帰国時、禁制の日本地図を所持していたことによって国外退去処分を受けましたが、その後、もう一度来日しているとのことです。長崎滞在中に日本人女性と結婚しました。その時に生まれた娘は、明治期に女医となって活躍しました。なお、彼の名字ですが、シーボルトというのはオランダ語の読み方なのでしょうか。ドイツ語であればズィーボルトとなります。

 居宅跡は、小さな公園のようになっています。敷地面積もそれほど大きくありません。入った瞬間、建売の敷地とあまり変わらない広さではないかと思われました。今では、御覧のように、建物が全く残っていませんので、ここで彼がどのような生活をおくったのか、などのようなことは、ここに立っているだけでは推測がつきません。

 上の写真は、敷地に入って左側にある居宅跡です。右側には書斎跡があります(下の写真)。ここにどのような書物が並べられたのか、彼がどのような研究を進めていたのか、色々なことを考えていました。

 そして、1945年8月9日に長崎の街が一瞬にしてカタストロフに見舞われることになるとは、想像もしていなかったことでしょう。また、彼が勤務していた出島は、当時は人口の島でしたが、今では周囲も埋め立てられ、島ではなくなっています。

 長崎市内の観光地を回る時には、路面電車が一番便利です。100円均一ですし、500円で一日乗車券を手に入れれば、大体の所をまわることができます。長崎の場合、廃止された区間は一つもありません。下の写真は蛍茶屋電停です。ここから3系統(赤迫行き)に乗ると長崎駅や浦上方面に、5系統(石橋行き)に乗ると眼鏡橋、浜町、大浦天主堂方面に行けます。また、蛍茶屋からでもシーボルト記念館に行くことができますが、遠回りになります。

 

 ※第15回目「平和の意味を問う」:2002年8月2日から同月16日まで掲載。

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学生寮運営会社の破産

2020年09月20日 09時00分00秒 | 社会・経済

 私が生まれ育った高津区は、従業員寮はもとより、学生寮が多かった所です。今でも溝の口駅・武蔵溝ノ口駅周辺や武蔵新城駅周辺には学生寮がいくつかありますが、かつてはもっと多かったと記憶しています。坂戸にもありましたし、二子新地駅の近くにもいくつかありました(これは國學院大学の学生から聞いた話です)。

 しかし、首都圏の有名大学でも学生寮に入る学生は少なくなったようです。何年前の話か覚えていませんが、東京大学や早稲田大学でも首都圏出身者が7割以上を占めているということを聞きました。もっとも、首都圏の鉄道網などを考えれば、学生寮に入る人が少なくなるのも理解できます。東京都23区、とくに山手線より内側であれば、遠距離であっても親元から通学できるという学生が多いでしょう。私が担当したゼミの学生でも何人かおりました。学生寮に入居するための費用と通学定期券の費用を比べれば、ということになります。

 このようなことを記したのも、2020年9月18日11時付で、朝日新聞社のサイトに「学生寮運営会社が破産 寮生300人が退寮迫られる(新型コロナウイルス)」という記事(https://www.asahi.com/articles/ASN9K7265N9HUTIL021.html?iref=comtop_list_edu_n03)が掲載されているのを見つけたからです。

 東京都は武蔵野市に開成という会社があります。学生寮(学生会館)を運営していました。内訳は、女子学生寮が6、男子学生寮が2で、武蔵野市、中野区、杉並区、板橋区、武蔵野市、三鷹市および調布市にあります。

 9月9日、開成は東京地方裁判所から破産宣告を受けました。新型コロナウイルス感染症の影響によるとも言えるのですが、それは決定打であるというにすぎないようです。上記記事にも「近年経営が悪化していたところに、新型コロナウイルスの影響による入寮者減が拍車をかけたとみられている」と書かれています。

 詳細についてはよくわかりませんが、元々、この会社は物件を借り上げる形で学生寮を運営していたようです。2000年代に2つの物件を自ら取得したのですが、これが裏目に出たのか「借入金が増えて財務体質が悪化し」たとのことです。2000年代といえば、大学進学希望者の地元志向が強く言われるようになった時代であると記憶しています。バブル崩壊後、庶民の生活は下がる一方でした。そして、先程も記したように、東京大学や早稲田大学など首都圏にある有名大学でも首都圏出身者が増えていました。地元志向という点では首都圏も同じです。いや、私自身の経験などからしても、首都圏出身の大学進学希望者ほど地元志向あるいは首都圏志向が強い人はいないでしょう(医学部進学希望者は別としておきますが)。私が学部生であった頃にも、片道2時間以上をかけて通学する学生は少なくなかったのでした。

 その意味において、学生寮は新型コロナウイルス感染症がなかったとしても衰退傾向にあったと言えます。家主としても、と書きかけたのですが、続きを書くのはやめておきます。記事にも「近年は利用が減少傾向で、コロナ禍の影響が出る前で8~9割の稼働率だった」と書かれており、杉並区内にあるこの会社の学生会館(サイトで特定できますが、敢えて記さないでおきます)では2017年度まで40室全てに入居者がいたものの、それ以降は減少しており、今年の春は24室のみ入居者がいるということでした。入居率6割では苦しいでしょう。結果として、学生会館長へのボーナスはなく、給料は未払いで、9月10日からは入居学生に対する食事も出されていないとのことです。

 原因の一つに新型コロナウイルス感染症があることは否定できません。大学でオンライン授業が増えれば、学生寮に入居する意味がないからです。新入生であれば東京に来ないでしょう。私も、首都圏から遠く離れた実家でオンライン授業に臨んでいる学生の例を知っています。

 ただ、現在も入居している学生がいます。8の学生寮を合わせて300人近いそうで、ほとんどの学生が「10月末までの退寮を10月末までの退寮を迫られている」ということです。学生寮の運営を引き継いでくれる会社などがあればよいのですが、その可能性があるのは1つだけというのでは、混乱が生ずるでしょう。9月中旬または下旬から後期が始まる大学が多いのですから。

 また、1年分の賃料を先払いしている学生(またはその親)もいます。問題は返還の可能性です。

 学生寮を運営する会社の破産という事件一つからでも、あれやこれやの事柄が複雑に絡んでいます。時代の変化を読みとることもできるでしょう。

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養老鉄道の一日乗車券

2020年09月19日 22時30分55秒 | 写真

 昨年(2019年)の11月に養老鉄道を利用したことは「養老鉄道養老線の7700系7703F 大垣駅」と「揖斐駅 養老鉄道7700系7703F」において記しました。その際に使用したのが、下の写真にある1日乗車券です。

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正しい日本語は存在しない?

2020年09月18日 22時59分40秒 | 日記・エッセイ・コラム

 朝日新書に『知っておくと役立つ街の変な日本語』という本があります。その著者である飯間浩明氏に関する記事が、9月17日付で朝日新聞社のサイトに掲載されていました。「『誰しも、昨日の言葉で今日は語れない』 “時代の鏡”を磨き続ける辞書編纂者・飯間浩明の美意識」です(https://www.asahi.com/and_M/20200917/15172072/?iref=comtop_list_andm_n04)。

 「当たってるなあ」と思う部分もあるのですが、いかがでしょうか。

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JR東日本とJR西日本 最終赤字の予想

2020年09月17日 07時53分30秒 | 社会・経済

 2020年9月16日、JR東日本とJR西日本が業績予想を発表しました。いずれも、国鉄分割民営化によって誕生してから最大の赤字になるという予想です。

 JR東日本の場合、2021年3月期決算において純損益で4,180億円の赤字、営業損益で5,000億円の赤字と見込まれています。2020年3月期決算では純損益で1,984億円の黒字、営業損益で3,808億円の黒字でした。1987年4月1日にJR東日本として鉄道事業を行うようになってから初めて通期での赤字となるということになります。売上高の予想は1兆9,300億円ほどで、前期に比して34.5%減です。

 JR西日本の場合、2021年3月期決算において純損益で2,400億円の赤字が見込まれています。2020年3月期決算では893億円の黒字でした。こちらは1999年3月期決算以来の赤字で、売上高は9,200億円ほどと予想されています。これは前期に比して39.0%減ということです。

 言うまでもなく、新型コロナウイルス感染拡大の影響によるところが多大であるということです。外出や移動の自粛が広がったことで、近距離も遠距離も乗客が少なくなったということでしょう。考えてみると、私も2020年4月以降、JR東日本の路線を利用したのは2回、いずれも南武線の武蔵溝ノ口駅から武蔵新城駅までたった1駅だけの区間で、しかも片道1回ずつです(記憶の限りです)。しかも、いくら昼間でもこれほどに空いている電車に乗ったことがないというほどの空き具合でした。1人で7人掛けのロングシートをゆったりと占領できるくらいで、どうかすれば真向かいも占領できるような勢いでした(勿論、そんなことはしません)。

 JRグループといえば(四国を除いて)まずは新幹線ということになるでしょうが、その新幹線も2019年(度)より7割も乗客が減ったというのです。2021年3月になっても利用客の回復の幅は小さいということになるでしょう。JR東日本に限らず駅ナカという言葉が浮かんできますが、電車の利用客が少なければ駅の構内にある店の売上げも少ないでしょう。

 JR西日本の専務が記者会見で「コロナ以前の水準」に戻らないのではないかというような趣旨を語ったそうです。その可能性はJR西日本に限らず、何処の鉄道会社でも高いでしょう。既にJR東日本は2021年3月ダイヤ改正で終電の繰上などを実施すると発表していますが、日中などの運行本数削減も考えられます。

 私は、現在住んでいる場所の関係もあって田園都市線と大井町線を利用します。両線は、緊急事態宣言の下でもほとんど運行本数は削減されていなかったのでした。勿論、乗客は非常に少なくなっています。時間帯にもよりますが、やはり7人掛けのロングシートを1人でゆったりと占領できるほどです。東日本大震災の後、しばらくの間は本数が5割程度も削減されており、その後も特別ダイヤが続いたことを思い出します。今年の緊急事態宣言の下においても運行本数が削減されておかしくなかったはずですので、田園都市線で日中に平均で5分間隔が維持されていたのは、今考えても驚きです。

 また、JR東日本、JR西日本のいずれも、多くの地方交通線を抱えています。2014年にJR東日本の岩泉線が廃止され、2018年にJR西日本の三江線が廃止されていますが、今後、他の路線で存廃論議が生ずるところも出てくるのではないかと懸念されます。また、人員削減などの「合理化」も行われるでしょう。無人駅も増加することが予想されます。

 

 話が大きく変わります。昨日、川崎市で新たに52人が新型コロナウイルスに感染したことがわかりました。同市における最多です。この中の過半数は高津区の病院で発生した集団感染によるものでした。うちから1キロメートルくらい離れた所です。

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いつ買ったのか

2020年09月16日 00時00分00秒 | 写真

うちにある定期入れです。

いつ、どこで買ったのか覚えていません。

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これが7年8ヶ月の現実(少なくとも一つの)

2020年09月15日 00時37分15秒 | 国際・政治

 看板だけは何回も掛け替えられるが、その理由は一向に明らかにされない。

 この7年8ヶ月はそのような期間ではなかったでしょうか。

 「デフレ脱却」および「経済再生」という大目標は変えられなかったのですが、それを達成するために必要な中間目標の段階で看板が掛け替えられたり、似たような看板がいくつも掲げられてたりしていたのではないでしょうか。

 しかし、雑誌「自治総研」440号(2015年6月号)に掲載された「2015(平成27)年度税制改正の概要と論点〜地方税制の重要問題を中心に〜」において記したように、政権交代がなされてから「経済成長一辺倒の嫌いがあ」り、「地域間格差を別として 、久しく議論されている国民間の経済格差(主に所得格差)の問題や子どもの貧困問題などに税制面で対処しようとする姿勢に乏しい」状況にあったことは否定できません。2015年度税制改正においては「直系尊属から住宅取得等資金の贈与を受けた場合の贈与税の非課税」について一定の措置を講じた上で平成31年6月30日まで適用期限を延長する(租税特別措置法第70条の2第1項の改正)、『直系尊属から結婚・子育て資金の一括贈与を受けた場合の贈与税の非課税』制度の新設(同第70条の2の3を追加)など、富裕層を優遇し、所得格差や資産格差を助長しかねない内容が多くなっている」という状況です。これでは底上げなど期待できないでしょう。

 たまたま、Yahoo! News Japanに、2020年9月14日6時5分付で「年金減額、消費増税、非正規雇用増… 生活弱者、一層苦しく 安倍政権7年8カ月」(https://news.yahoo.co.jp/articles/7ae51faaaa238875f02fafe8ab8b7f53ae29dfe2)という記事が掲載されているのを見つけました。元々は北海道新聞社のサイト「どうしん電子版」に9月13日18時36分付で「生活弱者、一層苦しく 安倍政権7年8カ月 年金減額、消費増税、非正規雇用増…」(https://www.hokkaido-np.co.jp/article/459763)として掲載された記事ですが、有料会員でないと全部を読み通すことができないのでYahoo! Japan Newsに転載されているところを参照するしかありません。私があれこれ書くよりも、お読みいただくほうがよいでしょう。

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この動画は必見です

2020年09月14日 08時00分00秒 | 受験・学校

 たまたまYouTubeを見ていたら「外国語をカタカナで書かないでください!」という動画を見つけました(https://www.youtube.com/watch?v=yDG3ccWboEM)。

 これは必見です。

 いつの頃からかわかりませんが、ドイツ語やフランス語などの学習のための参考書で、発音記号ではなくカタカナで読み方などを書くものが多くなりました。私が学部生であった頃には見かけたことがないので、1990年代か2000年代からの傾向なのでしょうか。

 辞書でも、発音記号ではなくカタカナで発音が書かれているものがあります。試しに、ということで私が持っている辞書を見ると、小学館の独和大辞典第2版コンパクト版(2000年。新しい版を刊行して欲しい!)、小学館のプログレッシブ仏和辞典(1993年)研究社のリーダーズ英和辞典(1994年第19刷)では発音記号が示されていますが、三修社のアクセス独和辞典第3版(2015年第7刷)、白水社のプリーモ伊和辞典(2014年第3刷。これだけは妻の物)では発音記号でなくカタカナで読み方が書かれていました。こうしてみると21世紀になってからのことなのかもしれませんが、語学書を徹底的に読み比べた訳でも何でもないので、よくわかりません。

 付属か別売かはともあれ、CDやカセットテープで正確な発音を聴け、ということなのでしょう。そうであるとしても、発音記号を示さないのは問題でしょう。実際に発せられている音と文字とを正確に対照させることができないからです。

 以上のことは、別にインド・ヨーロッパ語族の言葉に限られません。中国語など多くの言葉についても同様です。おそらくアイヌ語についても当てはまるでしょう。

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士幌線のタウシュベツ川橋梁

2020年09月13日 14時25分50秒 | 社会・経済

 今日(2020年9月13日)の7時付で、朝日新聞社のサイトに「劣化進む旧国鉄士幌線の『幻の橋』 いよいよ見納めか」という記事が掲載されています(https://digital.asahi.com/articles/ASN9C46SVN98IIPE01N.html)。

 記事の見出しからおわかりと思いますが、現在刊行されている時刻表や地図を見ても、士幌線はありません。1980年代の国鉄改革の一環として、1987年3月、国鉄の分割民営化を目の前にして廃止されたためです。根室本線の帯広駅から北へ、十勝三股駅まで伸びていた約78キロメートルの路線で、第二次特定地方交通線に指定されていました。

 ちなみに、帯広駅からはもう一本の第二次特定地方交通線である広尾線が南へ伸びていました。こちらは幸福駅、愛国駅で有名で、名称の通り広尾までの84キロメートルの路線でしたが、士幌線より少し早く、1987年2月に廃止されています。両路線が帯広で接続するということで、士幌線と広尾線とを直通運転する急行列車もあったとか。

 さて、今回の主題である士幌線のタウシュベツ川橋梁です。これは上士幌町にあり、名前の通りタウシュベツ川にかかる橋梁でした。もっとも、鉄道用の橋梁として利用されたのは1955年までのことです。糠平ダムが建設されたことにより、鉄道線路は移設されたのですが(同時に糠平駅も移転しています)、橋梁はそのまま残されました。そのため、タウシュベツ側橋梁は人工湖である糠平湖に沈むことになったのですが、季節による水位の変動で橋梁が姿を見せることがあるそうです。上記記事に掲載されている写真は今月8日の朝に撮影されたものです。今年は雨量が少ないために、9月でも完全な姿を見ることができるとのことでした。

 この橋梁は1937年に建設されました。日中戦争が始まった年です。コンクリートで造られていますが、既に資材がなくなり始めていたのか、鉄骨は用いられているものの、砂利が多用されているようです。全長はおよそ130メートル、高さはおよそ10メートルですが、何箇所も崩れており、完全崩壊は時間の問題と言われていました。そもそも、橋梁が水没すれば水圧の影響を受けますし、凍結と融解を繰り返せばコンクリートも激しく劣化します。コンクリートが全く水を通さないはずはなく、コンクリートにしみた水が凍結して膨張し、それが解け、再び凍結して、ということが繰り返されるので、コンクリートの劣化はかなり速いということが想定されます。上記記事にも「特に冬季は、橋に染み込んだ水が凍結して膨張するため、他の橋とは比べものにならないスピードでコンクリートの劣化が進んでいるという。劣化は『1年で50年分に相当する』という説もあるという」と書かれています。

 勿論、劣化には他の原因もあります。例えば地震です。2003年9月に発生した十勝沖地震などで何箇所かが崩落したそうです。写真や動画で見ると、えぐれたような崩れ方をしている箇所がいくつもあります。

 上記記事には、劣化を憂う声も書かれていますが、元々保存が難しいことから、崩壊しつつある姿を見届けるという意見も書かれています。形ある物はいつか壊れます。そう考えるならば、タウシュベツ川橋梁を無理に保存する必要はないとも思うのです。

 士幌線というとこのタウシュベツ川橋梁が有名なので、今回も記事になったのでした。しかし、歴史を少し振り返ると、他にも興味深い点がいくつかあります。

 第一に、士幌線の末端区間である糠平駅から十勝三股駅までの区間です。

 この部分の営業係数は22500でした。おそらく、日本でこれを超えた路線・区間は他にないでしょう。十勝三股駅付近の急激な過疎化が原因です。そこで、糠平駅から十勝三股駅までは1978年に休止され、バス代行運転となりました。しかし、廃止されてはいません。これは、士幌線の上士幌駅から十勝三股駅までの区間が鉄道敷設法別表第141号にいう「十勝國上士幌ヨリ石狩國『ルベシベ』ニ至ル鐵道」の一部であったためです。鉄道敷設法が廃止されていない以上、糠平駅から十勝三股駅までの区間を廃止する訳にはいかなかったのでした。そのため、幌加駅および十勝三股駅も休止とされました。但し、この区間はバス代行運転であるとはいえ鉄道路線と同じ扱いを受けています(運賃計算などの面においてです)。

 結局、前述のように1987年3月に士幌線全線が廃止されました。1986年に制定され、1987年4月1日に施行された日本国有鉄道改革法等施行法第110条第2号によって鉄道敷設法が廃止され、上士幌駅から「ルベシベ」駅(現在の石北本線上川駅)までの区間についても法的根拠がなくなりました。しかし、糠平駅から十勝三股駅までの区間は、休止とされたとはいえ、廃止までの間に点検も整備も行わず、放置状態であったため、帯広から糠平までの区間と異なって線路などの撤去が容易でなかったとのことで、廃線跡として長く残ることとなりました。

 第二に、糠平駅の手前にあった黒石平駅です。この駅には下り列車(帯広→糠平・十勝三股)しか停まらず、上り列車(十勝三股・糠平→帯広)は全て通過していました。しかも、全国版の時刻表にはそのように書かれていなかったのです。

 実は、上り列車は黒石平駅と糠平駅との間にあった電力所前仮乗降場に停車していました。下り列車はこの仮乗降場を通過していたのです。

 仮乗降場と記しても「何それ?」という声が聞こえてきそうです。これは、正規の駅ではなく、国鉄の下部組織として存在した鉄道管理局が独自に設置した停車場であり、原則として全国版の時刻表には登場しません(小松島港仮乗降場のような例外はありますが)。仮乗降場はとくに北海道に多く、全国版の時刻表には登場しないが北海道版であれば登場することが多いのでした。

 〈仮乗降場については、「不思議な小駅 仮乗降場」という詳細にして良質のサイトがあったのですが、今年の3月に閉鎖されてしまいました。〉

 電力所前仮乗降場も北海道版の時刻表であれば掲載されており、下り列車は全て電力所前仮乗降場を通過し、上り列車は全て黒石平駅を通過するように書かれていたとのことです。

 仮乗降場は正規の駅ではないので、営業キロは設定されていません。これは運賃計算において重要な意味を持ちます。電力所前仮乗降場を例としますと、帯広から電力所前仮乗降場まで列車に乗った場合には帯広から(一つ先の)糠平までの運賃を支払わなければならず、電力所前仮乗降場から帯広まで列車に乗った場合には(一つ前の)糠平から帯広までの運賃の運賃を支払わなければならないのです。

 第三に、中士幌駅と士幌駅との間にあった新士幌仮乗降場です。既に「仮乗降場はとくに北海道に多く、全国版の時刻表には登場しないが北海道版であれば登場することが多い」と記しました。言い換えれば、全国版の時刻表はもとより北海道版の時刻表にも掲載されない仮乗降場があった、ということです。新士幌仮乗降場はその一つ、つまり北海道版の時刻表にも掲載されない仮乗降場でした。北海道には他にもいくつか存在しており(白糠線の共栄仮乗降場、根室本線にあった稲士別駅など)、大抵は通過する列車が多いところであったようです。

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都営三田線途中下車(13) 新高島平駅

2020年09月12日 19時01分30秒 | まち歩き

 今回は、2006年12月10日から同月20日まで「待合室」の第198回「都営三田線途中下車(13) 西高島平駅」として掲載した記事の再掲載です。文章の一部を修正しています(基本的な内容の修正はありません)。なお、写真は全て2006年8月25日に撮影したものです。

 

 第184回「都営三田線途中下車(12)」で三田線の終着駅、西高島平を取り上げました。今回は、その西高島平の次の駅、新高島平を取り上げます (もっとも、実際には、撮影日には西高島平駅から歩いたので、途中下車にはなっていませんが)。既に新高島平駅も利用済みです(もっと言うならば、三田線と東急目黒線の全駅が利用済みです)。

 西高島平駅から歩いていれば、隣の新高島平駅は見えているのですが、おそらくは10分も経たないうちに着いてしまいました。西高島平駅と同じような外観なので区別がつきにくいのですが、新高島平駅です。ちょうどお昼時なのですが、 食事をここで取ろうか、高島平駅前まで歩こうか、などと考えながら、とにかく歩いてみました。

 新高島平駅の北口です。高島平駅と雰囲気がよく似ていますが、駅の構造は違っています。ただ、駅の南口には、蓮根駅から西高島平駅まで続く特例都道が通っていて、その道路に沿って緑地帯があり、団地があります。その点では高島平駅とよく似ています。

 駅の北口を歩きます。奥は高島平駅のほうで、高島平駅が見えます。こうして歩いてみても、駅の構造が似ていることもあって、どの駅前なのかわからなくなるほどです。高島平駅前のほうが少々賑やかですが、ほんの少しの違いという程度です。

 それにしても、西高島平駅と新高島平駅の周辺は自転車が多い所です。どう見ても放置自転車としか思えないものもあります。

 新高島平駅の南口には高層団地が広がっています。この点は高島平駅と共通しますが、西高島平駅とは少々異なります。三田線の南側には高層住宅が建ち並び、北側はそうでない、というのが高島平の特徴です(その例外が西台駅です)。

 新高島平駅の南口にある歩道橋の上から西高島平側を撮影してみました。南側に緑地帯が続いていることがわかります。この緑地帯は、西台駅を出てしばらくは道路の北側にあり ますが、しばらく歩くと途切れ、高島平二丁目に入ったあたりから道路の南側に緑地帯が始まり、西高島平駅の寸前まで続きます。奥のほうに首都高速5号線が見えます。手前の交差点を左のほうに行けば、また首都高速5号線に出られ、さらに赤塚方面に行けるはずです。

  同じ歩道橋から、今度は西台駅方面を撮影してみました。しばらく三田線と並行し、まっすぐ進むと三田線の高島平駅、西台駅、蓮根駅、さらに志村坂下に出られます。この道路は、極端な渋滞こそないのですが、比較的交通量が多く、とくにトラックであれば全国各地のナンバーのものを見られます。福岡、宮崎などのナンバーも、この通りではそれほど珍しくありません。

 撮影の日、団地の中で夏祭りが行われるという立て看板がありました。会場は、この歩道橋のすぐそば、奥のほうでした。既にセッティングが終わっていて、いかにもお祭りのためのものという感じのBGMが流れていました。

 高島平は、高層住宅が建ち並ぶニュータウンのはしりのような場所です。そのため、団地に住み始めた人々の多くは他の地域の出身者が多いはずです。しかし、私と同じくらいの世代から、高島平に生まれ育ったという人々が多くなっているはずです。

 歩道橋を降りると、早速、夏祭りの会場に到着しました。もっとも、まだ始まっていません。撮影日の夕方からなのです。始まれば、この道も人通りが多くなるでしょう。しかし、今はお昼時、歩いている人は僅かでした。

 いかにもニュータウン、あるいは団地らしい光景と言えます。右側には高層団地、左側には緑地帯です。これが高島平駅の東方まで続きます。

 もっとも、ニュータウン、あるいは団地だからと言ってみんな同じような風景である、という訳でもありません。私は、多摩ニュータウンに近い大学に通っていましたので、時折、愛宕団地や松が谷団地の近所を通っていましたし、今もその出身大学へ車で行く時には通るのですが、こういう風景にはお目にかかったことがありません。田園都市線たまプラーザ駅付近の美しが丘団地の風景とも異なります。あるいは大阪の千里ニュータウンや泉北ニュータウンに、これに近い風景があるのかもしれませんが、泉北ニュータウンに行ったことはありませんし、千里ニュータウンには数回だけしか行っていません。大阪モノレールの沿線がやや似ているような気もしますが、北大阪急行の沿線や阪急千里線の沿線がどうだったか、よく覚えていません。

 そして、私の出身地である川崎市の真ん中あたり、とくに中原区は社宅の多い所でしたが、高層住宅なら見慣れているものの、ここまで立派な緑地帯を見た記憶がありません。

 また緑地帯を歩きます。高島平駅に向かって歩いています。このあたりには竹が植えられています。右から斜めに通っているのが歩道橋で、少しばかり興ざめという感じがしなくもありません。

 所々に石のベンチがあるのですが、そのベンチの脚の部分が面白かったので撮影しました。何故かタツノオトシゴのレリーフです。この他、ウサギ、カモメ(あるいは都の鳥であるユリカモメ?)などがありました。私が知る限りでは、新高島平駅と高島平駅との間にあるいくつかのベンチでしか、このようなレリーフを見ることはできません。

 高島平駅から西台駅のほうに向かう遊歩道には、小川を模した水路があるのですが、新高島平駅から高島平駅までの間には水路がありません。それにしても、この緑地帯には、意外に高い防音効果があるようで、歩いている間、すぐそばの都道を走る車の音があまり聞こえてきません。

 何故か竹が植えられていました。歩いている時には気がつかなかったのですが、ここに生えている竹はかなり曲がっています。私は、幼い頃、川崎市内の某所(数箇所です)の竹林などを見て育ちましたので、今この写真を見ていると、変な気分になってきます。こんなに下のほうで曲がっている竹を、あまり見たことがなかったからです。それとも、私の単なる観察力不足か記憶違いでしょうか。少なくとも、川崎市内、しかも今の私の自宅からも近い場所では、上のほうはともあれ、下のほうがこんなに曲がっている竹を見たことがないのです。

 もう少し歩くと、以前取り上げた高島平駅です。結局、駅周辺で食事を取ることはせず、そのまま歩き、大学の近所で食事をしてから研究室に入り、仕事をしました。

 これで、都営三田線の各駅のうち、板橋区内では本蓮沼を除く全駅を取り上げたことになります。

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