朝日新聞社の「論座」という言論サイトがあります。よく見て、「これは」という記事は読めるように保存しています。今回は、9月25日付の「地方の腐敗は日本の腐敗 議員も市長も記者さえも『はりぼて』か」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020092300003.html?returl=https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020092300003.html&code=101WRA)という記事が目につきました。高知大学准教授の塩原俊彦氏によるものです。
私も、7年間だけですが地方の国立大学に勤務していました。その間、時々ですが新聞社や放送局からコメントを求められることがありました。そのおかげで大分県の状況などをよく見るようになり、サテライト日田問題などに首を突っ込むことにもなりましたし、市町村合併問題にも取り組むことができました。住民のフリをして某市の合併問題に関する説明会に行ったこともあるほどです。コメントなどでは言いたい放題、と言うほどではないですが少々手厳し目の意見などは言ったつもりです。また、私は2003年に「リーダーたちの群像~平松守彦・前大分県知事」という論文を書いておりますが、これが掲載された月刊地方自治職員研修2003年10月号が職員研修所に置かれていて、職員の方が「読みましたよ」などと声をかけてきたこともありました。当時、職員研修所でも仕事をしていたので、内心はヒヤヒヤしていましたが、どこかで「おれは国家公務員だぞ」と開き直っていたかもしれません(2004年3月末日まで、国立大学の教員は国家公務員でした)。もっとも、そういう意識がなければ、新聞社や放送局などからコメントを求められても答えられません。
塩原准教授は「地方にいると、その腐敗ぶりは目を覆うばかりである」という文章で記事を始めます。まさにその通りであると言えるでしょう。情報公開関係などで「これはないだろう」という事件を知ったりすることも少なくありません。一つ覚えているのは議員の視察旅行の話で、その日程表が旅行会社のパック商品に書かれているコースを逆にしただけというものでした。
地方政治の腐敗といえば、記事に書かれている富山市議会の問題は最たるものですが、チューリップテレビがよく取り上げたと思っています。書籍も出版されており、青葉台のブックファーストで何度も見かけました(購入したかどうかは覚えていません)。地元の問題は地元のマスコミではなく、隣県のマスコミなどが取り上げたりすることもありますし、大手新聞社、雑誌社などのほうがよく取り上げるということもあります。
塩原准教授があげる「とくに印象に残っている」問題は3つあります。これは地域によりけりかもしれませんが「なるほど」と思いましたし、私自身の経験からも納得できる部分があります。
第一にプライヴァシーです。とくに情報公開請求なのですが、これが「追及を受けている側に筒抜けになっていた」という事例があります。先の富山市議会問題がそうであったようです。例のさくら問題で、野党が「桜を見る会」の招待者名簿の開示請求をした日に名簿が廃棄されたと報じられていましたが、仮に請求直後に廃棄されたとしたら立派な証拠隠滅です。富山市議会問題もさくら問題も根は同じということでしょう。国も地方も公文書の意味がわかっていないということになります。そればかりでなく、塩原准教授は情報公開(開示)請求者のプライヴァシーが保護されていないという点です。私自身はこの点を経験していませんが、ありえない話ではないと思います。
塩原准教授は地方公務員法第34条第1項をあげて、筒抜けは同項に違反する旨を記しています。おそらくは御存知であっても記されなかったのではないかと推察されますが……。これ以上のことを記すのはやめておきましょう。
余談ですが、地方移住を推進する地方自治体や地域は、プライヴァシーを理解する必要があります。そうでないと、東京などの都市から移住してきた人たちがいても、結局はまた離れてしまいます。この手の話は地方創生関連のサイトで時折見かけます。また、プライヴァシーと直接の関連があるかどうかはわかりませんが、閉鎖的であるという点も、UターンやIターンの定着に結びつきません。せっかく来てくれた新定住者に失望を与えてどうするのですか?
本題に戻りましょう。第二に情報公開です。塩原准教授は「議会改革の不徹底ぶり」としてあげていますが、議会に限りません。これは地方行政、とくに市町村単位で当てはまることでしょう。勿論、都道府県によって、市町村によってかなりの差異があります。一概に、あるいは乱暴に傾向を記すこともできません。ただ、国のレヴェルでも情報公開や公文書保存の意味を理解していない政治家が存在するほどで、塩原准教授も「当のチューリップテレビでは、事件を追ったキャスターが辞職してしまう」と書かれているように、一部の首長を除けば情報公開には敵対的な人々が少なくないことは指摘しておくべきでしょう。そうであれば、正面から情報公開条例を廃止すると述べて欲しいものです。情報公開制度を設けていながら、情報公開を進めず、開示請求者のプライヴァシーも守られないのであれば、情報公開制度が存在する意味はありません。むしろ、敵対者の存在を見つけるための制度に成り下がっており、悪の存在にすらなります。それならば、情報公開制度を廃止するほうがよいということになります(私が情報公開制度の廃止を何度か記しているのは、その趣旨です。本心から情報公開制度の廃止を唱えている訳ではありません)。
第三に、議員の居直りです。これは富山市議会問題のみならず、2019年の参議院議員広島選挙区買収事件にも共通します。「検察も弱腰である」という批判が妥当かどうかは別として(塩原准教授はこのような批判を書かれておりません)、何年も前にあった「みそぎは済んだ」のような話にもなっています。贈収賄、公職選挙法違反などの問題の当事者であっても、議員辞職をしないというような人が多いということです。まあ、昔から地方議会の議員には遵法精神の少ない人々が……。やはり、これ以上のことを記すのはやめておきます。ただ、歴史を遡って調べてみてください、とだけ書いておきます。
そして、塩原准教授は議員報酬の問題を記しています。富山市議会問題をあげて書かれているので、一般的な議論かどうかはわかりませんが、NHKスペシャル取材班『地方議員は必要か:3万2千人の大アンケート』(文春新書。私は入手していません)から引用しつつ、世襲議員の存在をあげています。「政治が商売になるから世襲が成り立つのではないか。あるいは、議員という地位をビジネスに活用することで、全体として世襲しつづけることが可能になる『おいしい』商売なのではないか」。また、政務活動費の問題もあがっています。国、地方を問わず、政務活動費の使途が怪しいと言われます。実際に、どう見ても遊興費としか思えない出費もありますし、「どうして自宅に家賃を払うんだよ?」というようなものもあります。政務活動費として正当であると強弁するなら、詳細なリポートなり論文なりを書かせるのがよいでしょう。字数は1万字以上です。勿論、領収書などの添付も必要です。
もう一つ、同感せざるをえないと思ったのが、女性議員の数の問題です。性差があるとすれば、物の見方も違うでしょう。男性議員しかいなければ、物の見方も偏ってきます。塩原准教授は次のように書かれています。
「安倍晋三政権は富山市議会の延長線上にあった。菅義偉政権になっても、それはまったく変わらないだろう。最近でも、『ニューヨーク・タイムズ』の記事は、『日本の国会議員に占める女性の割合は15%にも満たない。現職の女性国会議員102人中、安倍の保守的な自民党に所属しているのはその半数に満たない。20人の内閣のうち女性は3人にすぎない』として、日本の政治の後進性を慨嘆している。とにかく、ひどすぎるのだ。」
勿論、女性議員を男性議員と同数にすればよいという訳でもありません。候補者がいなければ話になりませんし、候補者が当選するか否かは有権者の選択によります。強制的に女性議員を増やしてよいかどうかは疑問です。ただ、有権者の意識、というよりは一人一人の意識に左右されるでしょう。よく、日本は初等教育や中等教育における政治・経済関係の教育が不十分と指摘されます。結局は教育の問題に帰すると言えないでしょうか。
ちなみに、日本でも女性議員の数が多い議会はいくつかあります。代表は神奈川県の大磯町議会でしょう。現在、大磯町議会の議員は14名で、女性議員は7名、しかも議長も女性です。また、葉山町議会は2018年の段階で女性議員が5割を超えていましたが、現在は14人中5人で約36%です。神奈川県では女性議員の割合が30%以上の市町村議会が多く、大磯町の50%、二宮町の42.9%、鎌倉市の37.5%、海老名市の36.4%、山北町および葉山町の35.7%、逗子市の35.3%、茅ヶ崎市の32.1%、綾瀬市の30.0%となっています。我が川崎市は25.0%です。市議会では北海道の江別市議会および東京都の東村山市議会がともに48.0%とのことです〔いずれも、内閣府の男女共同参画局による「市町村女性参画状況見えるかマップ」(http://www.gender.go.jp/policy/mieruka/government.html#mieruka)によります〕。