鹿島神宮の要石

2023年01月13日 | 
要石は、古来「御座石」と呼ばれていた石で、上部が凹形の直径30cmほどの霊石です。

地表から7cmほど出ていますが、伝説では地中は大きく、徳川光圀が7日間掘らせても抜くことができなかったと言われています。

これは、地中に棲み大地震を起こすと考えられていた大鯰を押さえつけている石とも伝えられています。







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鹿島神宮の御手洗池

2023年01月12日 | 
鹿島神宮の七不思議の一つ、御手洗池(みたらしいけ)。

禊に使われる池で、子供が入っても大人が入っても、なぜか水位は胸の高さより上へは行かないそうです。

1日に約40万リットルが湧出すると言われている湧水は透明度が抜群で、鳥居奥の斜面から勢い良く流れ込んでいます。



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鹿島神宮

2023年01月11日 | 
茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮は、神武天皇元年に創建したと伝わる古社で、常陸國風土記(和銅六年=713年)では「香島の天の大神」がこの地に降臨したと記載されています。

朝廷による東国経営の足がかりとなり、中臣家(藤原家)の氏神として崇敬され、後に春日大社創建の際には、鹿島から武甕槌神を勧請しています。

画像の大鳥居は平成二十三年の東北地方太平洋沖地震(いわゆる東日本大震災)で倒壊した御影石の鳥居に替わって、境内の杉を使い、同寸法で建立された鳥居です。






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澳門の大晦日

2022年12月31日 | 
何年も前ですが、マカオの大晦日の風景。
クリスマスツリーはおそらく春節まで出しっぱなし…



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年末年始のマカオ

2022年12月13日 | 
未だ南欧の雰囲気が漂うマカオの街

セナド広場のクリスマス装飾

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吟在西伊豆

2022年11月12日 | 
傾聽東海白波音

仰望西空夜正深

耀耀流星看不盡

林亭友到共高吟



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関門橋

2022年10月13日 | 
北九州、門司港から見た関門橋と対岸の下関。

関門橋下関側あたりが、かの源平合戦の舞台として知られている壇ノ浦(壇之浦)です。



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佐賀の商店街

2022年09月30日 | 
静か…



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三沢駅

2022年07月16日 | 
十和田観光電鉄線在りし日の三沢駅。




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日光二荒山神社

2022年04月25日 | 
男体山(古くは二荒山と呼ばれた)、女峯山、太郎山の日光三山を御神体とし、それぞれ大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の神奈備とする二荒山神社。

二荒(ふたら)は、「にっこう」の地名語源とも言われ、男体山と女峯山の2火山を指す説、観音菩薩が住むと言われる補陀洛の転訛とする説、アイヌ語で熊笹を指すフトラからの転訛とする説などがあり
今の所、これといった決定的な由来は確定していません。

神社としての創建は、日光を開山した勝道上人が神護景雲元年(767)に、男体山を祀る祠を建てたことに始まると言われていますが、考古遺物の検証により、古代8はすでに信仰の対象として、当地周辺で祭祀が行われていたことが判明しています。








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鉢石山観音寺

2022年04月23日 | 
日光の、駅から二社一寺に向かう坂道の途中、左手に伸びる坂道をあがると
弘仁十二年(820)開山の天台宗寺院鉢石山観音寺があります。

開基は弘法大師といわれており、その伝どおり、当初は真言宗寺院で
多くの坊を持つ密教道場でした。

戦国時代に一旦衰退したものの、天海から院号を授かったことで天台宗に改宗。

現在も下野三十三観音札所第二番として、参拝客を集めています。






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福〜よ来い来い福よ来い

2022年04月18日 | 
関東地区の年末年始のテレビCMで、佐野厄除け大師と並んでおなじみの日光山輪王寺。

天平神護二年(766)に、勝道上人によって開山されたと伝えられていますが、これは日光山全体のものと考えられ、
堂宇としての日光山輪王寺の創建について詳細は不明となっています。

ただし平安時代には空海(弘法大師)や円仁(慈覚大師)の来山が記録されており
円仁によって天台宗寺院としての歴史が始まったと考えられます。

当初は満願寺の寺号が嵯峨天皇から下賜され、戦国時代に一時期衰退したものの

江戸時代初期に神君家康公の側近でもあった天海が貫主に就いたことで隆盛し
明暦元年(1655)、後水尾天皇の院宣により輪王寺の寺号が下賜されました。
合わせて門跡寺院(皇族・公家が住職に就いている寺院)となり、江戸の輪王寺および寛永寺住職と
天台座主を兼務し、世襲ではないものの「輪王寺宮」と呼ばれました。

最後の輪王寺宮は還俗して北白川宮能久親王(竹田恒泰氏の高祖父)となりました。












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大谷川越しに見る日光金谷ホテル

2022年04月14日 | 
箱根の富士屋ホテルと並んで、一度は泊まってみたいホテルです。


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旧日光市庁舎本館

2022年04月13日 | 
今市市や足尾町と合併する前まで、日光市役所本庁舎として使用された、日光市役所日光総合支所の建物。

当初は外国人観光客向けホテルの「大名ホテル」として明治三十五年(1905)に着工したものの
第一次世界大戦の影響で外国人観光客が減少し、ホテル開業に至らず昭和十八年(1943)に古河電工に売却され
従業員アパートとして使用されました。

戦後は進駐軍がダンスホールなどに一時使用し、昭和二十三年に古河電工から日光町に寄付され
二十七年から町役場として使用され、二十九年の市制施行に伴い市役所本庁舎となりました。





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上野駅の公衆電話

2021年10月10日 | 
上野駅に設置されている公衆電話。

「今、東京に着いた」
「今から帰るから」
「お土産いっぱい買ってくぞ!」
「さようなら」

かつては遠く離れた故郷とをつなぐ、北国の人たちの拠り所だったんだろう。
悲喜交交、色々な訛がその受話器を通っていった、上野駅の公衆電話。

誰もが携帯電話を持つ時代に、暇を持て余して佇むだけの終着駅の公衆電話。







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