平柳星宮神社

2021年09月21日 | 
東武日光線新栃木駅近くに鎮座する平柳星宮神社。
もともとは現在より500mほど北西側にあったものが永享二年(1430)に遷座したもので、
栃木周辺には星宮神社が多く存在するため、地名を冠して平柳星宮神社と呼ばれています。

江戸時代には明神社で、虚空蔵菩薩を本尊とした神仏習合社だったため、虚空蔵さんとも呼ばれ
五穀豊穣や巴波川の海運の商売繁盛などの守護神として崇敬されてきました。

この神社では鰻が神の遣いとされ、泥の中を突き進む姿から、困難に打ち勝つご利益があるとされ
撫でながら願い事をするとご利益が得られる「なでうなぎ」が置かれています。




なでうなぎ

拝殿


鳥居


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ジンジャー神社

2021年09月20日 | 
栃木県栃木市本町に鎮座(?)するジンジャー神社。
岩下の新生姜ミュージアム内の施設として創建されたもので
御神体は当然新生姜(の形をした立像)。

生姜の効果で夫婦や恋人の仲もポカポカアツアツになるご利益があるそうです。

拝殿の両側には狛犬の変わりに狛鹿としてイワシカちゃんがいます。

もちろん御朱印や、安産祈願のお守りも用意されています。

新生姜ミュージアム開館時のみ参拝可能です。


鳥居は「新生姜造り」
拝殿

御神体(?)

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茂林寺

2021年04月21日 | 
群馬県館林市の曹洞宗寺院青龍山茂林寺。

応仁二年(1468)、上野青柳城(館林城)の城主赤井正光(照光)が
自らが帰依していた小田原の大雄山最乗寺二十八世大林正通の為に
応永年間に正通が結んだ小さな庵に変わる堂宇を建立・寄進した寺院です。
のちに後柏原天皇の勅願寺にもなりました。

『ぶんぶく茶釜』(分福茶釜、文福茶釜、文武火の釜)の舞台としても知られ
総門と山門の間の参道両側には信楽焼の狸が並んでいます。



最寄り駅東武伊勢崎線茂林寺前駅にも狸がいる



駅から5歳児連れで10分ほど歩いて総門へ到着



総門から山門の間で狸お出迎え



本堂は応仁2年建立、享保12年(1727)に改修


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佐野市駅前の八街道祖神社

2021年04月19日 | 
東武佐野線佐野市駅は、大正三年(1914)に東武鉄道の佐野町駅として開業しましたが
多くの道が交叉する辻に駅が造られることによって、人の往来がさかんになり
悪霊や疫病が街に入ってくることを避けるために建立されました。

奥には駅開業記念碑が建てられています。



佐野市駅

駅を出てすぐ左に鎮座する八街道祖神社

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呑龍さまのお寺 宝竜寺

2021年04月18日 | 
東武線佐野市駅からほど近い栃木県佐野市大祝町の浄土宗寺院、一渓山寳龍寺(宝龍寺)。

大永三年(1523)、領主佐野泰綱の開基、遙蓮社岌順意公上人の開山で田沼町に建立され
天正十二年(1554)、一度戦火で焼失したものの慶長四年(1559)に佐野政綱によって現在地に再建されました。

当初は徳水山東根院という号でしたが、移転再建に際して泰綱の戒名から一渓山と山号を改めたそうです。

4代住職の呑龍上人は「子育て呑龍さま」と呼ばれ、捨て子や貧しい子たちを弟子として寺で引き取り教育を施し
今でも子育てや安産祈願に厚い信仰を集めています。


入口の石柱

桜吹雪の鐘楼

満開の桜と本堂



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佐野 金山大明神

2021年04月17日 | 
栃木県佐野市は、天慶二年(939)に起源を持つ天明鋳物(天命鋳物)の産地で
現在でもその伝統が受け継がれています。

金山神社は、最も鋳造が栄えた江戸時代中期寛保二年(1742)に創建され
鋳物師たちから「かねがみさま」として厚い崇敬を受けていました。

祭神 金山彦命 金山姫命
佐野市金井上町2270-1







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佐野大仏 観音寺

2021年04月16日 | 
佐野厄除け大師の東側に建つ真言宗豊山派日輪山観音寺。

室町時代に藤原秀綱(上泉信綱)の開基と謂れているそうです。
境内にはこの地で栄えた天明鋳物の「銅造阿弥陀如来座像」があり
佐野大仏と呼ばれています。

大仏は寛文九年(1669)、斎藤伝七郎・太田小左衛門尉・大川久兵衛という
三人の鋳物師たちによる合作と伝えられています。





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佐野 大和町の三日月神社

2021年04月15日 | 
佐野駅の南、佐野市役所近くに鎮座する三日月神社。

文治二年(1186)、佐野氏居城の唐澤山麓に三日月庵を建てたのが最初とされ
この際、唐澤城西側の滝上に藤原秀郷の兜に安置された守護神を祀ったのが
三日月神社の創建由来と言われています。

慶長十二年(1607)、唐澤城の廃城に際して遷座する事になり、
三日月唐沢不動尊縁起などを携えて、現在地に三日月堂を建立し
文化文政時代までに祠堂、本社、拝殿が竣工しました。

明治五年(1872)、祭神から月読神社(月讀神社)と改称し
大正四年(1915)、現在の三日月神社と再改称されました。








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惣宗寺

2021年04月14日 | 
天台宗 春日岡山転法輪院惣宗官寺。
関東三大師のひとつ、佐野厄除け大師の正式名称です。

関東では日光山輪王寺と並んで年末年始のテレビCMでお馴染みのお寺。

その創建は天慶七年(944)、藤原秀郷によるものとされ
現在の佐野駅北側、城山公園のある春日岡に建立され
のちに佐野城築城のため現在地に移されたと言われています。

足尾鉱毒事件で天皇へ直訴しようとした元衆議院議員田中正造の墓所の一つで
亡くなった翌月の大正二年(1913)にこの寺で本葬が営まれました。
本葬には20万人以上が参列したと言われています。

明治天皇への直訴状は直訴未遂事件から112年後の平成二十五年(2013)に
佐野市に御行幸された天皇陛下
明治天皇の曾孫であらせられる明仁上皇陛下に伝えられました。










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佐野城

2021年04月13日 | 
平安時代から江戸時代初期まで、現在の栃木県佐野市周辺で栄えた
藤原秀郷の流れを汲む佐野氏の最後の居城、佐野城。

築城当時の当主佐野信吉は、関ヶ原の戦では東軍ではあったものの
元々豊臣側の近親者で、かつそれまでの居城唐澤山城では徳川政権に不都合で
現在のJR両毛線と東武佐野線の佐野駅北側の春日岡にあった惣宗寺の跡地に
徳川の意向を受けた佐野信吉が慶長七年(1602)に築城を開始しました。

しかし築城整備途中の慶長十九年に突如連座という形で改易され廃城になりました。

現在は、公園として整備されています。









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足利学校

2021年04月12日 | 
平安時代初期から鎌倉時代頃に創設されたとされるものの
正確な創設年代や創設者が不明となっている足利学校。

フランシスコ・ザビエルによって坂東の最高学府と海外に伝えられ
明治初年まで学校として存続していました。










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春の鑁阿寺

2021年04月11日 | 
足利市の鑁阿寺は足利将軍家の祖である下総源氏の足利氏の館跡に建つ寺で
金剛山仁王院法華坊鑁阿寺と号する真言宗大日派本山の寺院です。

源義家の四男・源義国の子である源義康がこの地に居を構え足利氏を名乗り
その嫡子で二代当主足利義兼が居館に大日如来を奉納した持仏堂を
建久七年(1196)に建立したことが最初とされています。

文暦元年(1234)には三代当主義氏(義兼三男)が伽藍を整備して氏寺とし
父義兼の戒名から鑁阿寺となりました。

本堂は鎌倉時代正安元年(1299)の建立で、室町時代に大改造されているものの
初期の禅宗建築として貴重なもので、国宝に指定されています。



堀を跨ぐ太鼓橋と山門

本堂と枝垂れ桜



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井草の閻魔

2021年04月10日 | 
足利市井草町の瑠璃山利性院醫王寺は、明暦年間の創建とされる浄土宗寺院ですが
度重なる大火で記録などは焼失し、正確な歴史は不明となってしまっています。

明治の足利大火では堂宇が全焼したものの、信徒が閻魔像の頭を抱えて避難し
焼失を免れたと言われています。

平成二十一年(2009)の再建時にはこの閻魔像を本尊とした閻魔堂が建立されました。





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渡良瀬橋

2021年04月09日 | 
栃木県足利市を流れる渡良瀬川(利根川水系)に架かる243.27mの橋梁で
自動車専用の下路平行弦6連ワーレントラス橋です。

明治三十五年(1902)に木橋が架けられ、大正六年(1917)に架け替えられたものの
昭和九年(1934)の陸軍大演習が足利で行われるにあたり、軍用車両など
重量のある車両を老朽化した旧橋を走行するのは危険であるとして
大演習直前に竣工させた橋梁で、渡良瀬川としては最高の橋とされています。

森高千里の楽曲で一躍全国的に有名になった事は言うまでもありません。
(作詞:森高千里 作編曲:斉藤英夫)



中橋から見た渡良瀬橋


橋の東側に建つ歌碑
(ボタンを押すと曲が流れます)


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もうひとつのさようなら

2020年09月01日 | 
昨日でとしまえんゆうえんちは94年の長い歴史に終止符を打ちましたが
遠く離れた四国の地でも、そごう徳島店が37年の歴史に幕を下ろしました。

駅のホーム側とはまるで違う駅前の賑わいも、寂れてしまうのでしょうか……



徳島駅前




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