大宮の氷川神社は孝昭天皇(第5代天皇)三年に創建されたとされ
第十三代天皇成務天皇の時代に出雲国から出雲族が移住開拓し
祖神を氏神としえ祀って崇敬したとっ伝えられています。
氷川は簸川(斐伊川=ヤマタノオロチが住んだとされる川)に通じるとされ
須佐之男命、奇稲田姫、大己貴命の出雲由縁の神を主祭神として祀り
地主神である荒脛巾(アラハバキ=東日本で信仰された神)が客人神であることが
この地への出雲族定着を物語っています。
日本武尊の東征の際には、負傷した日本武尊が氷川神社に詣でて
立てるようになった事からこの地域を「足立」と呼ぶようになり
荒川流域の氷川信仰の中心となりました。
平安時代にはすでに武蔵国における高位の神社とされていたものの
室町時代までの文献では三宮とされていることが確認されており
現在でも大國魂神社の例祭などでは氷川神社は三宮として参じています。
(一宮は小野神社とされています)
いつ、どのようにして三宮から一宮へ社格が転じたのか不明ですが
室町時代後期の『大日本國一宮記』では氷川神社が武蔵國一宮とされています。
境内の池は、かつて大宮・浦和一帯に広がっていた見沼の一部とされ
さらに遡れば縄文海進の奥東京湾の入江だったと考えられています。
現在は湧水による池となっています。