サンダルで行ける三県境

2018年08月29日 | 埼玉のお散歩
日本国内には、40箇所以上の三県境がありますが
その大半が、川の合流点や山頂、山脈の尾根にあって
サンダル履きで気楽に行ける場所などではありません。


埼玉、群馬、栃木の三県境は、渡良瀬川と谷田川の旧河道が
これら三県の県境でしたが、渡良瀬遊水池造成にともない
流路変更の結果、旧河道は廃川となって埋め立てられたため
駅から徒歩数分という場所に、日本で唯一の平地の三県境が出来ました。


東武日光線柳生駅から600mm、徒歩10分ほど。





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狭山湖

2017年11月08日 | 埼玉のお散歩
埼玉県所沢市と入間市に跨る、東京都水道局の水源となるダム湖で、昭和二年に着工し
7年の歳月をかけて、狭山丘陵の柳瀬川による侵食谷を利用して造られたアースダムです。

多摩川の小作取水堰と羽村取水堰から取水したものと、狭山丘陵の湧水を貯水し
東村山浄水場と境浄水場へ送水され、東京都の上水として利用されています。


(取水塔)
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狭山丘陵

2017年11月07日 | 埼玉のお散歩
狭山丘陵は、関東造盆地運動によって傾斜している洪積層「狭山層」を基盤とした丘陵で
下末吉海進期に海底となった他は、概ね陸地だったと考えられている場所です。

古多摩川による砂礫や古相模川による堆積物が扇状地状に厚く積もり、台地を形成しました。

古多摩川は、青梅付近からこの丘陵の北側へ流れ、荒川へ向かっていましたが
関東平野の隆起等で流れを南東へ変え、古多摩川流路は入間川などに変わり
新しい流路によって多摩丘陵と分離される形で取り残されたのが狭山丘陵です。

このため、秩父や奥多摩などの山塊とは切り離された高台で、丘陵の周囲に都市が点在する
特異な地勢になっています。


(狭山丘陵。正面はトトロの舞台のひとつ「七国山」のモデル「八国山」)
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草加

2017年05月15日 | 埼玉のお散歩
煎餅で有名な草加は、日光街道2つ目の宿場街。

現在の、いわゆる「煎餅」は、江戸時代に草加宿で売り出されたのが最初とされています。
それを記念して、東武線の駅前に煎餅を焼く「おせんさん」の像があります。

草加は中川、綾瀬川、伝右衛門川、八条用水、葛西用水、谷古田用水などが流れていて
古くから水害にも悩まされてきました。

また、古くから流路変更や水路の開削が行われていたこともあって、一部地盤が弱い地域もあり
幕末の江戸直下地震、安政地震では震度5程度であったにも関わらず
旧河川の埋立地が液状化を起こしたと記録されています。








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鷲宮神社

2016年11月30日 | 埼玉のお散歩
久喜市にある鷲宮神社は、関東最古の神社と伝えられ
お酉さまの本社ともされる神社です。

関東最古とされる史実的根拠はありませんが、社伝によれば
神代に天穂日命とその供奉者の出雲族らによって、東国経営のため
この地の鎮守として創建されたとしています。

また、一説には崇神天皇の時代に、河内から東国へ移った土師氏が
利根川(当時の流路は現在の荒川放水路である旧中川ないし隅田川)を上り
この地に上陸、移住した際に先祖を祀ったともされ、
そのために「土師の宮」とも称されています。

何れにしても中世には関東総社とされ、東国武士の崇敬を集めていたので
関東最古級の神社であることは間違いありません。

また近年では、アニメの舞台として知られる様になり、土師祭りでは
「らき☆すた神輿」が渡御するなど、アニメファンの参詣も増えています。


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柳瀬川の一口メモ

2016年11月27日 | 埼玉のお散歩
柳瀬川は、東京都西多摩郡瑞穂町と、狭山湖(山口貯水池)内の沢などを水源として
埼玉県志木市で新河岸川に合流する、延長26.8キロメートルの一級河川です。

この川は黒目川や入間川などとともに、古多摩川の流路と考えられており
武蔵野台地の扇状地を形成した河川とされています。

古多摩川は、青梅付近から東に流れ、現在の柳瀬川や黒目川流路を流れ
古荒川(現在の古利根川流路付近から綾瀬川、古隅田川付近)に合流し
古東京川として浦賀沖で海に注いでいました。

浦賀水道の海底にある深い侵食谷は、その時に形成されたものと思われています。

約2万年から1万3千年に活動した立川断層によって、古多摩川は切り離され
現在の多摩川の流路へと変わり、古多摩川は別の水源をもつ
幾つかの荒川水系の小河川として、残りました。

柳瀬川は、そんな「名残川」として、今でも狭山湖の水のうち
東京都水道局に取水されなかった水と、水再生センターからの水、
流域の湧水などを合わせて、流れています。
(狭山湖の湖底には、今でも柳瀬川の流路の谷が残されているそうです)


(柳瀬川を渡り柳瀬川駅に進入する東武東上線)
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