豆腐地蔵

2021年11月09日 | 東京のお散歩
新義真言宗の宝珠山東福院は、慶長十六年(1611)に大澤孫右衛門尉の開基によって
祐賢法印が麹町(現在の平河町あたり)に開山した寺院で、寛永十一年(1634)に現在地に移転しました。



昔、この寺の付近表向き豆腐屋を営むものの、影では高利で金を貸し、女を囲っていた強欲な男がおり、
そこに毎晩豆腐を買いに来る坊さんがいました。

後でその坊さんが払った代金を調べると、樒(シキミ)の葉っぱに変わっていたので
これは狸か狐の仕業と思い、かの坊さんが再び豆腐を買いに来た際に、遂に坊さんの左手を切り捨ててしまいました。

翌朝、切り落とした手から流れたと思われる血痕を辿っていくと、東福院前まで続いていて
門の中では左手欠けたお地蔵さんが笑って立っていたという。

その坊さんは、豆腐屋を懲らしめるためにお地蔵さんが化けたものだったと気付いた豆腐屋は
それまでの罪を悔やんで豆腐屋として精進し、地蔵に奉仕するようになったと伝えられています。


この言い伝えは、慶安二年(1649)に開基孫右衛門尉の曾孫孫七郎が、早世した子の為建立した地蔵尊の左手が欠けてしまったエピソードとして言い伝えられているもので、地蔵尊像は今も「豆腐地蔵」として信仰を集めています。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする