愛宕神社の出世の石段。
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時は寛永十一年(1636)春、徳川家光の増上寺御成の帰途、愛宕神社の下を通った際に、愛宕山の上に紅白の梅が満開に咲いている。
それを見留めた家光は近習たちに「馬に乗ってあれを採ってまいれ」と言ったが誰も動かない。
それもそのはず、愛宕山は将軍一行のいる道から計算しても七十尺(比高22m)近くある高さ。
そこへ四国丸亀(一説には高松)の間垣(曲木とも)平九郎なる者、馬に跨り男坂の石段(現在は86段 勾配40度)を見事昇降し
将軍へ手折った梅を献上し、泰平の世においても馬術の稽古を怠らない姿勢を褒め称えられ、その名は1日にして日本中に轟きます。
その逸話を以て、出世の階段と呼ばれるようになりました。
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