みいちゃんといっしょ

みいちゃんとみいちゃんのパパの日記

昨日に引き続き、霞ケ浦旅行の2日目。

2024年08月05日 | 旅行

 昨日に引き続き、霞ケ浦旅行の2日目。

 宿泊した宿は、このところ定宿と化した土浦市の「湖北ホテル」。

 今回も1泊朝食付、クーポン利用で1人4,155円で利用できました。朝食が1,000円相当のビュッフェですから、3,155円で人件費・光熱水費・建物維持管理費・税金引いたらほとんど儲け無いんじゃと心配になります。

 

 で、これも恒例の朝の散歩に出かけます。日差しは強いですが、前に来た時の暑さから比べたら雲泥の差です。

第一野良猫発見。可愛いです。びっくりして、どんどん逃げていき、あっという間に姿が見えなくなってしまいました。

 

  途中、確かこの辺にGoogleMAPで確認できる神社があったはず、とよくよく見てみるとこのありさま。鳥居が倒れています。祠と鳥居に据えてあった「水神宮」の名盤が置いてありました。

まえもかなり傾いていたようです。


21年6月の様子

 下水処理場を回ると一面のレンコン畑。筑波山が結構近くに見えます。

 

 白い花がほとんどなんですが、中にポツポツとピンクの花が混じっています。
 土浦で生産されているレンコンはほぼ、金澄(かなすみ)という品種で白い花が咲く。ところが、こぼれた種子が発芽しての実生や、収穫時に掘りきれなかった根茎が地中に残り翌年また発芽するケースで、野生化してしまうと赤い花が咲くらしい。そうなると地下茎がやせていいレンコンができないそうです。農家では嫌われ者なんだそうです。

 でも、可愛いですね。

 

 さて、ホテルに戻り、お風呂に入っていから(天国だ)、これも恒例のビュッフェ朝食。冷凍ものが少なくて、安心して食べられ満足です。従業員の方も感じがいいのが何よりです。

 

 今日は、北浦(霞ヶ浦(西浦),北浦,常陸利根川を全部ふくめた湖が霞ケ浦)方面へ向かいます。

途中、トイレ休憩かねて寄った「津賀城址公園」。展望台から北浦が一望できるという触れ込みでした。

ところが展望広場に通じると思われる階段が草に埋もれて、どう進んでいいのかもわからない状況。

途中での展望で諦めて戻ることに。形のいい「北浦大橋」が見えます。

 もうちょっと案内板やメンテナンスをちゃんとしてほしかった。

 

 次の目的地は、神栖市の鹿島灘岸壁にある「1000人画廊」。
 日川浜から鹿島港方面へ続く全長約6kmの南海浜護岸壁面をキャンバスにし、一般公募による神栖市民の皆さんが大きな壁画を描く取り組み。

 海浜運動公園の駐車場に駐車。 ここから延々と岸壁まで歩きます(岸壁わきにいくらでも停めるところがありましたが、トイレが無かったのでここに停めました)。

 

 インスタ映えするとのことでしたが、すでに絵が色あせていました。

 更に、風力発電設備は1基も回っていません。
 調べてみたら、メンテナンス、強風による故障回避、3m以下の風速で止まるとか。結構風ふいていたのになぁ。この頃電力余っているって言うし、動かすと逆に金がかかるのかも。
 なんだ、結局まったく役に立たないじゃないか。どうせそんなところで、天下りと、補助金稼ぎ目的とすぐにピンときます。更に低周波による健康被害も問題になっている迷惑施設ですね。

 ということで、インスタ映えどころか気分を悪くして、早々に立ち去りました。

 さて、お昼は銚子でお魚を。

 評判のいい 魚料理「常陸」さんで。

 さすがに銚子漁港がすぐそこで、プリップリッの生きのいい刺身が出てきました。

刺身定食(1,470円 税込み)

魚河岸定食(1,720円 税込み)

天婦羅のエビも貧乏臭くない大きなものが乗っていました。アジとイカの天婦羅も大きかった。

 食事も済んで、このあと、すぐ近くの飯沼観音 圓福寺 へお参りに。

 まず、お寺の中にある銚港神社(ちょうこうじんじゃ)に参拝します。港町ならでの水の神様である龍神をまつる神社だそうです。

続いて、飯沼観音の山門(仁王門)をくぐります。

 

五重塔がある立派なお寺。千葉県唯一の五重塔だそうです。

本堂は改修中でした。

 正徳元年(1711年)に造立された一丈七尺(約5.4メートル)の阿弥陀如来座像。
第2次世界大戦時に受けた機銃掃射の跡が、膝のところに数ヶ所残っているのだそうですが、事前の知識なく確認できませんでした。

 

 最後は、確かまだ行ったことのない、銚子電鉄の外川駅に立ち寄りました。

銚子電鉄の終着駅。
 レトロな駅舎で銚電のぬれ煎餅の販売、各種鉄道グッズ、記念切符などの土産物を販売していますが、この日はすでに閉店。改札も車内でとの案内でした。

 往年の姿に修復されたデハ801も留置しています。前は中を見学できたそうですが、今は中止されています。

 

 さて、2日間の日程も終わり、海沿いに家まで一般道を帰ります。
 途中で寄らなければよかったと後悔した山武郡横芝光町の農産物直売所「ひかり」へ寄って野菜を仕入れました(用が足りなくて結局、家の近くのスーパーで買い足しました)。

 

 

 

 






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またまた、霞ケ浦周辺に一泊で出かけました。

2024年08月04日 | 旅行

 またまた、霞ケ浦周辺に一泊で出かけました。

 気になっていた佐倉のひまわり畑(佐倉里山自然公園)を見てからと思ったのですが、目的地についてみたら駐車場(この駐車場もただの草っ原で穴に車が嵌らないよう恐る恐る駐車するしまつ)から炎天下を30分も歩く場所だったので諦めました。みなさんどうやって行っているのでしょうか(違法駐車か)?

 ちょっとでもひまわり畑に近づこうと思って先に進もうにも、擦れ違えない畦道が続き、結局は車を止めるところはないようでした。

 ということで、無駄な回り道をしましたが、ここから一路霞ケ浦の湖畔のまち阿見町へ。

 昼となったので恒例のお蕎麦を。なんか前に来たような記憶があったのですが、牛久大仏に行ったときにも寄った店でした。「味わいそば 大名」

「常陸秋そば」の手打ちです。冷やしたぬき(790円税抜き)

天丼セット(1,100円 税抜き) リーズナブルと思えるのは、物価高にならされた所為か?悲しい....。

 

 昼食も終わり、今日の第一目的地、霞ケ浦のほとり「予科練平和記念館」へ

 帝国海軍は、若年から技術を習得させ熟練した航空機搭乗員の養成をするため、昭和5年に、「海軍飛行予科練習生」(通称:予科練生)制度を設け、「横須賀海軍航空隊予科練習部」を設置。予科練習生の増員等の理由により、昭和14年に「霞ケ浦海軍航空隊」に移転「霞ケ浦海軍航空隊飛行予科練習部」となった。


「予科練平和記念館」ホームページより

 

 残念ながら、館内は撮影禁止のため、貴重な資料はカメラで記録できませんでしたが、今の日本人が忘れてしまった「今だけ、金だけ、自分だけ」の真逆を行く、当時の日本人の尊い精神と教養の高さに触れることができました。
 また、土浦海軍航空隊で予科練時代を過ごした甲種第10期生を中心として神風特攻隊が編成されたことを知り、現代では財務省の高級官僚をはじめとしてエリートほど卑怯で利己的な奴が多いのと対照的で、ほんとうに今の日本人の現状を情けなく思いました。

 SDGs なんて、くだらない詐欺思想教育なんてどうでもいいから、小学校でこのくらいちゃんと教えろと思います

五省(ごせい) 

 館外にはゼロ戦や人間魚雷「回天」の模型が展示されています。

 この「回天」の脇を通って進んでいくと、「陸上自衛隊土浦駐屯地 武器学校」に隣接して「予科練記念館 雄翔館」があります。

 なんと、90式や10式戦車が展示されています(実際に訓練に使うのでしょう)。

203mm自走榴弾砲もありますね。

「雄翔館」には特攻撃隊員として出撃戦死した方や激戦地で戦死した方々の遺書や装備品などが展示されていました。

 あとで調べたら、更にこの建物の奥に八九式中戦車と三式中戦車が展示してあるようでした。またいつか来てみようと思います。

 

 さて、次の目的地は、筑波学園都市の「地質標本館」(産業技術総合研究所 地質調査総合センター)。

 地質標本館は、1882年に創設された地質調査所(農商務省直轄)から現在の産総研地質調査総合センター(通産省工業技術庁地質調査所が独立行政法人産業技術総合研究所の地質調査総合センターとなった)に至る研究成果を展示している。

 

 

 3時半に到着して、閉館が4時30分だったので駆け足で回りました。

夏休みということもあってか、親子連れでにぎわっていました。

 三葉虫とアンモナイト以外、地質や鉱物には、からっきし興味がなく、鉱物を見て「すげーっ!!」とか言っているこどものに感心しました。

 今日の日程は以上。
 夕飯はこのところ、チェーン店のファミレスで、まずいものを、かつ、ぼったくり料金で食べさせられて懲りていたので、ちょっと高級な回転寿司にしました。
 南房総「やまと寿司」。ぼったくられたファミレスと変わらない値段で、おいしいものが食べられました。

 

 明日に続く

 

 

 






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混雑する前に一泊旅行 茨城 土浦 つくば(2日目)

2024年07月09日 | 旅行

 昨日の続き、茨城旅行の2日目の朝です。
 今日も暑くなりそうでお決まりの熱中症アラートが出ています。小学生じゃないんだから、自分の体の調子は自分でわかるって~の!!

 

 恒例の朝の散歩。霞ケ浦の湖畔に出かけます。この間は、道路工事のため通れなかったりんりんロード(つくばりんりんロードと霞ヶ浦自転車道などを一体とした総延長約180kmのサイクリングコース)に沿って歩きます。

 

 途中、下水処理施設の排水口の先に何かおぞましいものが浮かんで匂っています。

 

 そこに魚が無数に集まって、そのおぞましいものを食べているのか、苦しくてアップアップしているのか、口を開けていました。これって未処理の下水が流れ出てんじゃないの? 霞ケ浦の水質大丈夫か!!

 

 その下水処理施設を半周したところに来ると、一面の蓮畑でした。遠くに常磐線 上野東京ライン(品川〜土浦間の運転)が見えます。

食用の蓮は白い花だけのようですが、すがすがしい美しい花です。

 

 汗だくとなってホテルに戻り、シャワーを浴びてから食事です。

 冷凍食品は少なく、地産のレンコンや白魚が出るところがこのホテルが気に入った理由です(部屋も22年にリニューアルされて綺麗です)。これで朝食つき4,535円(1,000円相当の朝食)では、昨日の夕食のファミレスでぼったくられても文句は言えないかも.....。

 

 さて、暑くならないうちに出発です。ホテルから20分程のところにある「霞ヶ浦総合公園」へ。

 

 

 湖から風が吹いてくるので、日陰にさえいれば何とか過ごせそうです。

 公園の中の施設「土浦市ネイチャーセンター(自然観察園)」の花蓮園の蓮の花が見事でした。

80品種、湖岸提沿いの容器栽培は約120品種、合計約200品種の花蓮が開花するそうです。

 

ネイチャーセンターの内部には、

1階は、世界各国に生息する魚たちや、霞ケ浦に生息する魚たちを展示。

 

2階には野鳥観察コーナーがあり、設置してある望遠鏡で野鳥観察ができます。

風車もここが管理しているみたいです。風車が回っていないとクレーム言っているおじさんがいました。

 

 

さて、次の目的地は「つくばエキスポセンター」

 1985年に筑波研究学園都市で「国際科学技術博覧会(科学万博-つくば’85)」が開催され、科学万博を記念する恒久施設として建設され、博覧会終了後は、最新の科学技術や身近な科学などに親しんでもらうことを目的に再オープンした施設。

 子ども向けの展示が多いですが、入場者はおじさんおばさんが多かった。

 悪名高い地球探査船「ちきゅう」の説明模型もありましたが、掘削の技術の自慢ばかりで、いったい何に貢献しているのかまったく説明がなく、やっぱり目的と手段が逆転(掘削することが目的と化している)しているのだと、改めて納得。まあ、人工地震を起こして回っているとは言えないか.....。

 

 これで今日の主な日程は終了。お昼は安定の「ゆで太郎 牛久栄町店」で。

ミニかつ丼セット850円 と 月見芋そば620円 リーズナブルで味は間違いないという安心感。

 

 その後、圏央道→東関東自動車を通って富里ICで降り、JA富里直売所「旬菜館」で野菜を買って帰りました。ブランドスイカが名物ですが、1個売りしかなく、2人では到底食べきれない、どでかいもので、1個4,500円もする贈答用高級品しかなかったので諦めました。

 

 






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混雑する前に一泊旅行 茨城 桜川・笠間(1日目)

2024年07月08日 | 旅行

 夏休みで各地が混雑する前に一泊旅行に出かけましたが、なんと37度を超える猛暑日となってしまいました。

 あんまり暑かったら予定を変えるというつもりで、まずは茨城県桜川市にあるアジサイで有名な「雨引観音(あまびきかんのん)」へ。

 

 ここから結構な石段(文政4年(1821)より1年2ヶ月の歳月を費して完成した大石段で、145段)を登っていきます。あち~っ!!

 

 アジサイで有名なお寺ですが、アジサイ祭りの期間中にかかわらず、ここのところの猛暑で、盛りを一挙に過ぎてしまった感じでした。

 

 雨引山楽法寺(あまびきさんらくほうじ)は、中国から帰化した法輪独守居士が587年に開山したと伝えられる古刹。聖武天皇、光明皇后の帰依が厚く、その後、弘法大師によって真言宗の道場となっている。

 嵯峨天皇の弘仁12年(821)夏、大旱魃が国中を見舞い、天皇は親ら写経、当山に奉納し降雨を祈ったところ国中が大雨に潤った。そこで勅命によって当山の山号を雨引山と定めたのが由来。

 

 「水中花」は7月1日からということで、盛りを過ぎた切り花を浮かべてあるのでしょうか。可愛いアヒルがこの花の間を泳いでいる写真がインスタ映えするようです。

 

 極楽を思わせる蓮の花がいい雰囲気でした。

 

 なんと、人を怖がらないクジャクが境内を自由に歩き回っています。

 

 境内のある丘の中腹からは、桜川市が一望できます。

 

 エンターテインメントに徹した楽しいお寺でした。

 

 さてお昼は、桜川市の岩瀬・笠間・真壁周辺が日本有数の御影石の産地であることから、沿道に石のオブジェを配して「石匠のみち」として整備した国道50号を進み、

石匠のみち

 

 茨城に来たら「常陸秋蕎麦」を食べなくてはと、「麵工房 秋田」で。

 自然薯とろろそば(田舎そば 1,155円)と、かき揚げ桜川そば(1,100円)をいただきました。蕎麦は玄蕎麦をそのまま挽く「田舎そば」と皮を脱穀してから挽く「桜川そば(更科風)」で、けっこうボキボキして蕎麦の食感を味わえます。

 

 熱風がピークに達していますが、次の目的地に向かいました。

笠間市の石切山脈です。

 明治22年の頃から採石が始まった「稲田みかげ石」の採石場。
通称「石切山脈」とも呼ばれ、岩盤が笠間市稲田を中心に南北6km、東西8kmに渡る。


 休止した採石場に地下水が貯まり、広大な岩壁が湖のような景色なっている観光施設。

 たしかに、切り出した石がそのまま湖底に残されているのが見えます。

色々な石のオブジェが展示されています。

 プレミアムツアー(入場料300円+1,000円)に参加すると、更に奥の採掘現場を専用ガイドが車で案内してくれるそうです(1時間)。

 

 風が吹き抜けて暑さをしのげるところもあったのですが、早々に次の目的地へ。

伏見稲荷(京都)、祐徳稲荷(佐賀県)と並ぶ『日本三大稲荷』の一つ、笠間稲荷神社です。

 祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)~須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)の間の御子
 生命の根源を司る「いのち」の根の神として農業、工業、商業、水産業など、あらゆる殖産興業の守護神として人々の生活すべてに御神徳を授けて下さる神さまだそうです。

 

 稲荷神社ということで、いたるところに狐の石像がありました。

 

 

 さて、本日の予定は終了。夕飯を食べてからホテルに向かいます。

土浦のイオンの中にある「五穀」というファミレスで夕食。

日本の「美味しい」を愉しむ、なんて能書きは良いのですが、

 

 これがぼったくりの店で、冷凍の薄い刺身に、写真と全然違う小さな鶏肉の「塩麴焼き」、魚の影が見えない「魚と揚げ出し豆腐」で4,600円も取られてしまいました。このごろ夕飯はどうもいいところに出会えません。

 

 文句をいいつつ今日の宿泊ホテル、今年の2月にも泊まった霞ケ浦のほとりにある「湖北ホテル」。快適だったので今回もここに決めました

 

明日に続く.......。

 






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梅雨のような天気の合間を縫って1泊旅行。秩父・深谷

2024年06月13日 | 旅行

 梅雨のような天気の合間を縫って(この頃の週間天気予報は精度が上がって予定が立てやすい)1泊旅行に出かけました。

 最初の目的地は秩父方面。いつもは八王子インターから一般道を行くところを、今回は圏央道を進みます。

 狭山PAでトイレ休憩。

PA定番のツバメの巣がありました。

 

 最初の目的地は芝桜で有名な羊山公園。広さ1330平方メートルの敷地に約1万株の花菖蒲が咲いているというので来てみたのですが、跡形もありません。もちろん人もいません。 

 Xを見ると【更新日:2020年6月12日】で、「例年6月下旬頃~7月上旬までが見頃となります」とあるので、早すぎたのか。それともコロナを口実にやめてしまったのか(2020年ごろを境に、開花情報が一切ない)?

 ないものは見れないので、諦めてお昼にすることに。羊山公園の入り口、10割蕎麦とあったので、「そば処 紡(つむぎ)」さんに入ってみました。

 2代目が打ったという蕎麦をいただきました(先代は玄関で涼んでいて車を誘導してくれました)。もり蕎麦(1,000円)、かき揚げ(300円)なかなかの味でした。

 

 次の目的地は、前来たときにナビで探索してもグルグル回わるだけで、とうとうたどり着けなかった「美の山公園」へ。秩父市と皆野町にまたがる標高581.5mの「蓑山(みのやま)」山頂 を整備した公園。 皆野町役場前の信号からは一本道なのが事前に分かっていたので、ここを目印に林道をぐるぐる登って無事到着。

 秩父の町を一望できる絶景です。

 

 家を探しに何度か通ったので、まるで故郷かのようにランドマークが分かります。

 反対側の展望台からは、霞がかかっていなければ、赤城山や男体山まで望めるようです。

 この公園の見どころは、山の斜面に咲くアジサイ。7,500㎡にアジサイ、ガクアジサイ、セイヨウアジサイ等3,500株程が植栽されているそうです。

 標高が高いためか、見頃は7月上旬頃から中旬頃だそうで、残念ながらちょっと早かったですね。

 これが満開になったら、さぞかし見事だと思いますが、それでも結構楽しめました(人もいないしね)。

 

 次は、長瀞渓谷にある埼玉県立「自然の博物館」へ。

 

 エントランスに強大なサメが浮かんでいます。

 カルカロドン メガロドンという15mもある巨大サメだそうで、昭和61年(1986年)に、このサメの歯化石73本が、埼玉県深谷市の荒川河床に分布する約1000万年前の地層(比企層群土塩層)から発見されたのだそうです。

 もう一つの売りが、大野原から出土した海獣「パレオパラドキシア」の化石。

 2800万~1100万年前に生息していたジュゴンに似た生態の哺乳類。国内でこれまで6体が見つかっているが、8割以上の完全な骨格がないため、生態が分からず、「パレオ(=古代の)」と「パラドックス(=矛盾)」ということばを組み合わせて名付けられた。

 前に行った秩父の北、赤平川沿いの「おがの化石館」とここの化石が全身化石として有名なのだそうです。

 約1万年前、最終氷期が終わると海面が急激に上昇し、6千年前(縄文時代前期)頃になると、現在の埼玉県の荒川、元荒川、中川などの一部の流域は海底に沈んで海になって、古秩父湾とよばれていました。 約 1500 万年前には、古秩父湾東縁が隆起し、湾 は消滅。 この際に隆起した地域が現在の外秩父山地の原型となっているそうです。

秩父の大地に眠る太古の海の物語 | ジオパーク秩父

 映画ジュラシックパークに出てきた、チーター並みの速さで走ることができるガリミムス ブラツス。

小型で頭でっかちなアケボノゾウは約250万年前から100万年前まで繁栄していたと考えられ狭山市で化石が発見された。

 この博物館の「はく製」はどれも生き生きとして可愛いのが特徴でした。きっと動物が大好きな愛情深い剥製師さんが作ったものが多いのかなと思いました。その所為か、はく製に触れるコーナーまでありました。

 

  見学を終えて、長瀞渓谷の岩畳へ出て見ます。「月の石もみじ公園」というところから河原に下りて行きました。アポロの月の石でも展示してあるのかと思ったら、高浜虚子の詩句「ここに我句を留むべき月の石」が刻まれた石碑があり、これが「月の石」の名前の由来となっているそうです。

 岩畳は結晶片岩が荒川の流れによって侵食されてできた河成段丘。 激しい川の流れによって川原の礫(れき)に覆われておらず、岩盤がむき出しになっている(岩石段丘)。

 

 さて、ここから今日の宿泊地、深谷に向かいますが、途中の「ふかや花園プレミアム・アウトレット 」の成城石井で酒やつまみなどを購入。品ぞろえも悪くただ値段が高いだけでした。
 世界初出店となるコルグショップ KORG OUTLET があったようですが、何の予備知識もなかったのでスルーしてしまいました。

 みんなここに何を期待してやってくるのですかね。早晩ゴーストタウンになるような気がします。

 

 宿泊は、深谷の「国済寺天然温泉 ハナホテル 深谷 & スパ」

 スパの利用客がひっきりなしに出入りしていて、駐車場は結構満杯でした。

 夕飯は予定していた店がなんと、テイクアウト専門で午後三時で閉店という予想外の展開に、飛び込みで「がってん食堂大島屋」に入店。

 

 ただの飲み屋のファミレスチェーン店で失敗しました。
 これとお酒で4,500円ぐらいふんだくられました。刺身は薄いし、白エビはスカスカ、天ぷらは冷凍ものを揚げただけ、ご飯は3等米という感じ。Googleマップや食べログの口コミはインチキ臭いですね。

 ホテルの部屋は微調節ができないエアコンで、つけると寒いし、止めると寝苦しいという、お世辞にも快適という感じではない部屋でした(特にこの日は昼間32度まであがっていましたので、なおさらです)。それでも昼間の疲れが出て早くに就寝しました。

 翌日、恒例の朝の散歩に出ます。近くの「東公園(あづまこうえん)」に行きましたが、朝から日差しがきついです。

 公園のすぐ南を「湘南新宿ライン」が走っています。なんで、埼玉を走るこの鉄道が「湘南新宿」なのか意味不明ですが、、山手線(山手貨物線)の池袋駅 - 大崎駅間を経由し、東北本線(東北貨物線)および高崎線と、東海道本線(東海道線)および横須賀線を直通運転する電車だそうです。そういえば通勤電車にまじって貨物列車が走っていました。

JR湘南新宿ライン Tシャツ (通常印刷)

   朝食は隣に建っている「美肌の湯」の食堂でバイキング。なかなか良かったです。これで1泊4,900円では文句言えませんね。

 さて、身支度を整えチェックアウトして、30分ほど走り、熊谷市のアジサイ寺として有名な「能護寺」に行きました。

 天平15年(743年)に国家安穏・万民豊楽と五穀豊穣を祈願のため行基上人が開山し、後に弘法大師空海が再建されたと伝えられています。
 近年、妻沼(めぬま 利根川はすぐそこで沼がかつてあったようです)の「あじさい寺」として親しまれ、境内に50種類800株をこえる色とりどりのあじさいが咲いています。

 鐘楼の鐘は、元禄14年(1701年)に鋳造。乳の間(ちのま 鐘の上方の、疣(いぼ)状の突起が並んでいる部分)に百字真言の梵字が鋳込まれているのが特徴。

 

 さて、恒例の野菜の買い出しですが、道の駅より農産物直売所の方が安くて品質も良いことが多いので、来る途中で見かけたファーマーズマーケットの「あけと農産物直売所」に寄りました。

 なんだか朝からみんなすごい勢いでトウモロコシや深谷名物ネギを多量に買っていました。

 こちらも釣られて、多量に買い込みました。どれも安くていいものでした。

 

 このあと予定では、嵐山渓谷で遊ぶつもりでしたが、気温が35度にもなるとの予想で体力が持ちそうもないので、また、次の機会ということで諦めてそのまま家路につきました。

 

 






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きょうは旅の日

2024年05月16日 | 旅行

きょうは旅の日だそうな。

 松尾芭蕉が奥の細道に旅立った5月16日(陰暦元禄2年3月27日)を「旅の日」と定め、ともすれば忘れがちな旅の心を、そして旅人とは何かという思索をあらためて問いかけることを目的に、昭和63年(1988)に日本旅のペンクラブが提唱して誕生したものだそうです。

 田舎暮らしを始めたことから、ドライブや一泊旅行の機会も増えました。京都や富士山などは、政府のバカなインバウンド政策のおかげでひどい目に会っているようです。
 これからも、なるべく外国人やミーちゃんハーちゃんの行かない、静かなところを選んで旅行をしたいと思います。

 

 

 






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今日から5月

2024年05月01日 | 旅行

 今日から5月 田舎の家に来ています。

 昨日、厳島神社の野良猫には、みんなに可愛がってもらうんだよと言い聞かせてから来ました。


 首都高速の状況は平日とはいえ、連休の企業も多いのか、箱崎の渋滞を除いてはスムーズに流れていました。

 しかし、道中はすごい雨でした。もう梅雨の走りなのかもしれません。

 

 ところで、田舎の家に来ると、救急車のサイレンがほとんど聞かれないのでほっとします。

 調べてみたら調布消防署の本年の救急出動件数が、4,125件。1日30件を超えていますから、なんか、1時間にいっぺんはサイレンが聞こえるというのも気のせいでは無かったようです。

 救急隊員の方のXのポストをフォローしているのですが、大したこともないのに、救急車を呼ぶ人がいる一方で、心疾患や脳血管疾患の人が増えているそうです。確かに超過死亡がすごく増えているのは、単に高齢社会が進んだだけでは説明がつかないでしょう。

 こんな異常事態が常態化しているのに、そういうことには目をつぶって、少子化対策とかいってムダ金を使って、ろくでもない政策に税金をつぎ込み、その負担を国民に押し付けることしか考えていない政府なんて必要ないですね。

 なんか、こんな閉塞感がただよい、最貧国まっしぐらの日本に、起死回生の大逆転でも起こらないですかね.....。

 

 






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一泊旅行を兼ねてコンサートに出かけました。(2日目)

2024年04月15日 | 旅行

 東松山の「ホテル 紫雲閣」に一泊して、恒例の朝の散歩です。

 なんと、ホテルの裏が箭弓(やきゅう)稲荷神社という神社でした(というかホテルが神社の境内にあるようなつくりです)。

 「平安時代の中頃、下総の国の城主平忠常が謀反を起こし、朝廷は、源頼信を忠常追討の任に当たらせた。当地野久ヶ原に本陣を張り、野久稲荷に戦勝祈願をしたところ、明け行く空に箭(矢)の形をした白雲が現れ、その箭は敵を射るかのように飛んで行った。

 頼信は、これぞ神のご加護と奮いたち、三日三晩にわたる激戦の末、神を信じ戦う頼信軍が勝利した。

 帰陣した頼信は、ただちに野久稲荷に戦勝報告を済ませ、社殿の建て替えを寄進するとともに、野久稲荷を箭弓稲荷と改めて呼ぶようにと里人に命じた。」

という由縁。

 

 令和5年11月「箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿」が国指定重要文化財へ指定されたばかりで、祝賀イベントが行われていたようです。朝から警備の人が立っていて重文に指定されるのも痛しかゆしだなって思いました。

 たしかに素晴らしい作りです。

 

 境内にあった、なんともシュールな造形の狐の像。「めおと狐」というこの神社にまつわる民話があるそうで、それをかたどったものかもしれません。天保12年(1841年)の奉納と書かれていましたから180年以上の歴史あるものです。

 

 境内には牡丹園もあって、サービス満点の神社でした。

ぼたん祭りが4月12日から開催されているようです。

 

 さて、ホテルに戻って朝食です。宿泊料金(6,000円)に朝食が含まれていましたが、2,200円相当のバイキングのようです。
 ホテルによっては、パンと飲み物だけというところもあるようで、こちらは和食も選べて満足です。

 

 チェックアウトとして、向かったのはホテルから関越自動車道に乗って45分ほど、深谷市にある「渋沢栄一記念館」。

 

 深谷市の血洗島(ちあらいじま)に渋沢栄一の生家があり、24歳になるまでここで暮らしていたということで建設された記念館の資料室には渋沢栄一ゆかりの遺墨や写真などが展示されています。

 講義室では渋沢栄一アンドロイドによる講義を見学することができます。
「アンドロイド講義」は2日前までに予約が必要ということで諦めていたのですが、人数に余裕があって見学ができました。

 当時の渋沢栄一の風貌を忠実に再現して、アンドロイドが語る言葉を通して、在りし日の渋沢栄一の考え方を今に伝えるというコンセプト。 深谷市出身の鳥羽博道氏(株式会社ドトールコーヒー名誉会長)の寄付により2020年に制作されたもの。講義は8分間ですが、司会の方とアンドロイドとの掛け合いがあったり30分程度の内容でした。

 新一万円札の肖像になるということで、街中が盛り上がっていたのですが、どうも政商 竹中平蔵とイメージがダブってしまいます。

 2017年5月に訪ねた富岡製糸所の設立計画や調整にあたった(というか手当たり次第に明治政府の計画に首を突っ込んだ)ひとでもあったのですね。

 尊王攘夷で幕府転覆まで計画した渋沢栄一が、どういう訳か徳川慶喜に仕え、明治になると政府の近代化計画に参画するといった人生がどうも理解できずしっくりしませんでした。

 このあと、生家の「中の家(なかんち)」へ行きました。

 

 旧渋沢邸「中の家(なかんち)」主屋は、渋沢栄一生誕地に、栄一の妹夫妻が明治28年上棟した建物。渋沢栄一が帰郷した際に滞在し、寝泊まりした場所だそうです。

ここにもアンドロイドがありました。


2024 © JOMO SHINBUN

 

 中ん家のすぐ近く、大正5年(1916)、渋沢栄一により拝殿が寄進造営された諏訪神社にお参りしました。渋沢栄一が尋常小学校のころ、この神社の獅子舞に携わったこともあるそうです。

 更にゆかりの施設が近くにあるようでしたが、なにせ日差しが暑くてばててしまい見学はこれで終わりとしました。

 さて、お昼は近くの「道の駅 おかべ」で

 

 深谷といったら深谷ネギですから、深谷ネギセットのお蕎麦(1,100円)を食べました。
 ねぎの天婦羅がすごい量(この下にご飯が入っています)でしたが、食べれば食べるほど消化がよくなるという蕎麦(本当でしょうか?)とのセットでなんとか完食しました。

 

 食後直売所で野菜を仕入たあと、もう時期は遅いということは分かっていたのですが、有名な熊谷の桜堤に向かいました。

 

 江戸時代から桜の名所として知られる熊谷桜堤は、「日本さくら名所100選」に選定されているそうです。約500本のソメイヨシノがおよそ2kmにおよぶ桜のトンネルをつくり、多くの人々を魅了しているそうです。

 

 多摩川住宅の外周や多摩川の土手の桜並木と大して違わないような感じでしたが、結構桜を楽しめました。

 

 

 

 

 

 

 






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一泊旅行を兼ねてコンサートに出かけました。

2024年04月14日 | 旅行

 学生時代の友人が出演するということで、一泊旅行を兼ねてコンサートに出かけました。

 場所は所沢の市民文化センター。所沢航空記念公園の中にあります。
 調布の家から一般道で1時間ちょっとで到着(環八の事故が無ければもっと早かった。本当に迷惑です)。
 所沢に用事で行くのは初めてですが、大きな街で中心街は道路もきれいに整備された立派な都市です。

 日曜日で、かつ天気が良いということもあって、公園は結構な人出。公園の駐車場は既に満杯でした。
 早めに出かけて良かったです。文化センターの駐車場にうまく停めることができました。

 遠出はコペンの出番がほとんどになってきているので、スバル R1 で遠出するのは久々です。

 

 桜の花も終わりに近かったのですが、花見に来て桜の木の下にシートを広げている人も結構いました。


C-46(カーチス・ライト社)中型輸送機  航空自衛隊入間基地で使用されていたのものを、昭和55年3月に設置

 

航空記念公園のモニュメント「少年飛行兵像」
「昭和18年、陸軍航空整備学校内に建てられたこの塔は、戦技・通信・整備の三者協力を象徴したもの。」だそうです。

 最初は、公共施設に有りがちな、左巻きの「平和の像」かと思ったのですが、ドイツ、イタリアが既に降伏し、アメリカ軍の攻撃が激しくなったときに建てられた由緒あるものだったのですね。鬼畜米英に立ち向かう意気込みが感じられます。

 

 

 午後のコンサートに備えて早めのお昼にしました。公園の周りには食事できるところがほとんどなく、文化センターのレストラン「Rocco」でランチです。

若鳥のトマト煮込みプレート(1,078円)

洋風とんかつプレート(1,210円)

 久々の洋風料理でしたが、ファミレスのような、ぼったくり感がなくて美味しかったです。

 ところで、食事しながら、呆れて目が吸い付けられてしまったのは、隣に座っていた子ども2人連れ夫婦。
料理が運ばれてくるまで頑なにマスクを外しません。
  でも食べるときは外すんですよ(あたりまえか)。そんなにマスクがしたいのなら穴あきマスクでもして、マスクしながら食事すればいいのに。

 子ども達はマスクをしていないのに、いったいこの人たちは何から誰を守ろうとしているのでしょうか(花粉症かも知れませんが、それならこんな時期に出歩くなよな。まして家の中でぐらい取れよと思います)。

 もし、この所業が子どもから、何かをうつされるのを恐れてだったら(このごろ保育園や学校での感染を殊更強調して、こどもを悪者にする風潮がありますね)ふとどきな奴ですし、子どもを守ろうしてのことでしたら非化学この上ないし、周りを気にしているなら、なんともKY(周りでマスクつけている人は従業員ぐらいでした)で主体性のない人だし。どちらにしても周りの状況と対比しての異様な光景に呆れました。 

 確かにマスクするのは個人の自由だけど、なんの予防効果もないと分かっているのにマスクをし続けている人を見ると、「あなた、それ馬鹿って顔に書いてあるのと同じですよ」ってお節介でも言いたくなってしまうのです。
 こんな宗教に対する妄信みたいな振る舞いが、世の中を暗くし、萎縮させ、子どもの精神的成長を阻害していることは確かなのですから、単なるマスクをする自由ではなくて、社会的害悪だと思うのです。

 埼玉県は知事がアホですから、必要以上に新型コロナを恐れ、徹底的に住民を意味のない規制でがんじがらめにしていたようです。このため、住民は3年間洗脳され続け、もう通常の生活には戻れない脳になってしまった人が沢山いるのかもしれません(あのアホでサディストの小池都知事でさえ、中小企業は思いっきりいじめましたが、都民に、うちの中で食事中もマスクしろとまでは言わなかったような気がします。部屋を別にしろとは言ったかな? 変わらないか)。

 さて、開場時間が近づいてきましたが、凄い入場待ちの人の列にびっくりしました。更に、無茶苦茶暑い日なのにマスク率99%にも。まあ、年寄りが多かったから仕方ないか。でも、やっぱり埼玉は異常でしょう。

 

入場すると、もう結構席が埋まっていました。パイプオルガンのある立派なホールです。

 

 会場は1,000人をこす観客だったそうで、すごく盛況でした。内容もポピュラーあり、コーラスあり、パイプオルガンとの合奏ありと盛りだくさんでした。


Copyright © 新所沢マンドリンクラブ HOMEページより

 

 久々のコンサートでとても楽しい気分になりました。人と合奏(今はコンピューターとできるので)することから、もう何十年も遠のいてしまっていたので、やっぱりいいもんだなと、その時の楽しい感覚を思い出しました。

 

 さて、午後3時も回ったので今日の宿泊地、東松山へ向かいます。一般道で1時間ぐらいでした。

「ホテル 紫雲閣」ガーデンホテルと銘打っています。

1泊 6,000円で朝食付きです。このごろ宿泊は、ビジネスホテルっぽいところの夕食抜きに決めています。

 

 一休みしてから、例によって夕食を食べに出ました。

 すぐ近くの和風レストラン「そうま」さん。
 水戸旅行で行った地元密着系ファミレス(ひたちなか市の「旬彩 海鮮処 浜漁」さん)というカテゴリが意外と良質ということが分かって、今回もあえて挑戦です。

 期待に違わず、こちらもよかったです。

直送 魚刺身御膳(1,528円)直送 魚刺身(989円) 甘海老の唐揚げ(594円)

 

 明日は深谷方面に観光に出かけます。2日目につづく

 

 

 






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水戸・ひたちなか市に一泊旅行に行ってきました。(Part 2)

2024年03月15日 | 旅行

 昨日に引き続き、水戸・ひたちなか市の旅2日目です。

 恒例の朝の散歩にでましたが、住宅地の中なので特に風景を見るところもなく(特に幹線道路はみんなぶっ飛ばしていて危なくて歩けません)、近くのひたちなか海浜鉄道「金上駅(かねあげ)」に行ってみました。ちょうど2両編成のラッピング気動車が出ていくところでした。残念。

 キハ11型2両。前の1両は、ひたちなか市にある磯崎自動車の全面ラッピング車だそうです。

 キハ11型はJR東海が1988年〜93年にかけて製造。2015年にJRで廃車になり15年12月から3両が海浜鉄道で営業しているとのこと。

 島式ホーム1面2線の無人駅ですが、券売機が置いてありました。

駅名標には、漢字の中に各駅の名物や特徴を示したイラストを描いているそうです。

金上駅は、近接する陸上自衛隊勝田駐屯地が桜の名所でもあることから、桜と特殊車両(戦車)が描かれています。戦車はガルパンの戦車を彷彿とさせる意匠ですね。

 隣の工機前駅は日立工機の専用駅を一般利用にした駅。

 さて、ホテルにもどるとエントランス前にあるオブジェが目立ちます。サメなのかクジラなのか?

 あと、初めて見た テスラスーパーチャージャー。テスラ車専用の超急速充電器で、24時間無料で利用可能だそうです。
 プリウスの一番安いのが300万円に対し、テスラは500円万ですから、このくらいのサービスがあっても元は取れませんね。
 どちらにしてもEVは購入費用がバカ高く、維持費も高くて処分にも困るようで、せいぜいお調子者が心酔する SDGs にはまっている方はどうぞという感じです。

 

 朝食です。この前泊まった土浦市の「湖北ホテル」と比べると、だいぶ見劣りします。藁入りの水戸納豆を出してほしかったです(普通のおかめ納豆でした)。

 

 さて、今日はネモフィラで有名な「国営ひたち海浜公園」へ出かけます。

西駐車場が便利そうだったので、ここに駐めて翼のゲートから入場します。

とにかく広大です。

この時期の見ごろは早咲き水仙と菜の花でした。

 

 まだ早いとは知りつつ、ネモフィラの丘に登ります。

 1輪2輪は咲いていました。

 丘の上には定番の鐘もあります。

 丘の頂上からは、那珂湊の港湾施設が一望できます。
 平成2年(1990年)には単なる砂浜だったところに巨大な施設が建設されたようです。遠浅に見えますが、コンテナ船の大型化に対応した水深-14Mの岸壁が完備されているそうです。

 結構歩いて、体力の限界を感じたのですが、一休みして

 次は、近くの「ほしいも神社」へ。

 もともと、堀田神社(徳川光圀公が塚を掘り起こした際、御神体が出土したことにより建立。 社名は、「掘って出た」ことにより堀出(ほりで)神社と命名)がある場所に、この地域の特産品「干芋」の創始者を祀った神社(令和元年に建立)。黄金色の鳥居が並んでいる。ご利益は『ホシイモのは、総て手に入る』としている。

 宮司さん所有のカラーコーディネートされたトライクが駐めてあります。勝手に乗って写真撮影OKだそうです。

 海の見下ろせるロケーションが素晴らしい

 

 お参りを終え、更にここからすぐ近くに鉄道神社があるというのでそちらに向かいます。ひたちなか海浜鉄道の始発駅「阿字ヶ浦駅」にあります。ここは前にお前りした「酒列磯前神社」まですぐの駅でもあります。

 最初鳥居がどこにあるのか分からなかったのですが、ありました。レールを組み合わせて建てられています。

 昭和の名車キハ222 がご神体。この車輌は、北海道羽幌炭鉱、石炭の街で活躍していたもの。
 2015年に湊線(茨城交通)を引退して保存されていた車両を整備して、令和3年(2021年)に「鉄道神社」となった。レールは1925年製。

 

 お守りがあってほしかったのですが、「那珂湊駅」に行かないと無いということで諦めました。

Stacks Image 44

 

 さて、今回の旅行も終わりに近づきました。昨日お約束していた「道の駅 いたこ」に寄っておみやげを買います。

 気が付くともう午後2時を回っていたので、お弁当を買って昼食にしました。

 レストランが持ち込み自由ということで助かりました。腹ごしらえをして体力を回復したところで、安全運転で家路につきます。

 そうそう、茨城県人(水戸ナンバー)の運転の荒いというか、意味不明の危険接近運転にはびっくりしました。ちょっとスピードを落として道を確認しているだけでクラクションを鳴らすは、左折している更にその外側に回り込んで一緒に曲がろうとするは、交差点で信号待ちをしていると、こちらの車線に大きくはみ出しショートカットして右折して来る車などに何度もヒヤヒヤしました。なんか煽り運転も多いようです。

 水戸藩の荒々しいDNAが根付く県民性に由来しているのでしょうか?

 

 

 

 





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水戸・ひたちなか市に一泊旅行に行ってきました。

2024年03月14日 | 旅行

 茨城県の中央、水戸・ひたちなか市に一泊旅行に行ってきました。

 水戸は、2022年3月の偕楽園以来、2年ぶりとなります。

 朝9時に出発、東関東自動車道を東に進み、終点、潮来ICで降りて、11時に道の駅「いたこ」でトイレ休憩です。ここは、帰りにもう一度寄って買い物をして帰りたいと思います。

 

 更に鹿島灘を北上。やっぱり、水戸は遠いですね。もうお昼になっているので、大洗漁港で食事にします。

 

 大洗漁協直営「かあちゃんの店」に入りました。「旦那が釣ってきたその日の地魚、 器に収まらない美味しさを私達が真心こめてご提供します。」というコンセプト。
 本当にかあちゃんみたいな女性陣が調理場で頑張っていました。

「かあちゃん御前 1,800円」

「お刺身定食 1800円」

 お昼時でしたが、平日ということもあるのか待たずに食べることができたし、内容も新鮮な刺身をたっぷり食べられて良かったです。かき揚げはすごいボリュームで、シラスや白身の魚が入っていました。

 

 このあと水戸の中心、県庁に向かいます。庁舎25階にある展望ロビーで100メートルの位置から茨城の東西南北が眺望できるのだそうです。

 立派だ!! 1999年竣工だそうな。都庁が1991年だから、都庁舎と比べてどのくらいの規模にするか悩んだろうな。

 

 展望ロビーでは、コーヒー喫茶や食事ができるようになっています。

 

 霞んでいて、富士山は見えず、筑波山ぐらいは確認できました。

 

 びっくりしたのが、まだコロナ対策やっています。茨城県庁では1年前から時間が止まってしまっているようです。

 茨城県の基本計画(2022~2025)見たら、「活力があり、県民が日本一幸せな県」(なんだか中学生の研究発表みたいな幼稚さですが)を基本理念に掲げているのに、第一目標が「新型コロナウイルス感染症対策の強化 戦略的なワクチン接種の推進」なんだと。

 こりゃダメだと腰が抜けました。大体、基本計画でこんなもの掲げて、mRNAワクチンが薬害認定されたら、どう県民に申し開きするつもりなんでしょうかね? 

 役人はあとで責任取らされるようなことはやらないのが仕事の第一目標でしょう。泉大津市長のような態度で臨んでおけば後で責任追及されないのに馬鹿ですね。

新型コロナウイルスに関する市長メッセージ(R5.9.20)

 

 呆れて早々に引き上げることに。いや~田舎役所なんですね。これだからコロナ煽り真っ最中の時は「東京からは来るな」なんて人権侵害を平気でやらかすんですよ。

 ガルパン、戦車乗っていないんですけど。これもウクライナへの忖度なのかな。じゃあ、キャラクター使うなよ。

 

 と、茨城県民をこき下ろして敵に回したあとは、水戸藩第9代藩主 徳川斉昭が、天保12年(1841年)に開設した日本最大規模の藩校「弘道館(こうどうかん)」へ

 徳川慶喜は、幼少期に弘道館で学び、大政奉還後ここで謹慎生活をおくったそうです。

 玄関前の左近の桜は、斉昭夫人 登美宮(とみのみや)吉子女王が水戸家に嫁した時に仁孝天皇から送られたもの。現在の桜は3代目(宮内庁から所縁の苗をもらった)。

 

対試場 武術の試験などが行なわれた場所。長押に斉昭書で「游於藝(げいにあそぶ)」と刻まれた扁額がかかっています。

「游於藝」は、『論語』述而篇の一節「子曰 志於道 據於徳 依於仁 游於藝」(子曰く 道に志し 徳に拠り 仁に依り 芸に遊ぶ)により、「文武にこりかたまらず悠々と芸をきわめる」という意味。「游於藝」の「藝」は六芸(りくげい)で、礼(儀礼)、楽(音楽)、射(弓術)、御(馬術)、書(習字)、数(算数)をさす。今の小中学校でも、弓矢を体育に変えて、これだけ教えりゃいいんだよ。

 上の扁額の書も然り、とにかく昔の人は教養があるんですよね。こんな字 ↓ 書ける人、今の上級国民にいますか?

徳川慶喜書 勝海舟に送った「雲高気静」(雲が空高く浮かんでいる。空気は心行くまで澄んで、物悲しい程である) 謹慎が解除された気持ちをこめたのでしょうか。

 

 厠の小便器 清潔ですね。甕かなんかに用を足して、窓から道に放り投げていた中世パリ市民なんかには想像もつかないでしょう。

 

 ここから、向かいの水戸城 大手門に向かいます。

 明治4年(1871)の廃藩置県で廃城となり、翌年の不審火により殿館などが焼失(怪しい!! 大体、陰謀を巡らせる奴は養鶏場みたいに火をつけるんですよね)。
 大手門は明治期に取り壊され(廃城令?)、残っていた三階櫓も1945年の水戸空襲により焼失(こんなところ、なんで空爆するんだよ)。 これにより水戸城の建造物は、弘道館の一部と薬医門を残しほとんどの遺構が失われている。

 水戸城本丸跡地は水戸第一高校や、茨城大学附属小学校・中学校が集まる文教地区になっており、校内を覗かれないためか、延々と続く竹垣の間を抜けて二の丸角櫓(すみやぐら)に向かいます。

 

2021年6月に復元された二の丸角櫓と土塀

 

 これで、今日の予定は終了。まだ、水戸城で唯一現存している「薬医門」や見晴らし台など見るところもあったのですが、さすがに歩き疲れたので宿泊地に向かいます。

 今日の宿泊は、ひたちなか市のホテル クリスタルパレス。ホテル前の駐車場は結構いっぱいでしたが、結婚式場もやっているためか、なんと500台も駐められる、だだっ広い駐車場をいくつも持っているホテルです。

 建物自体は結構古い感じでしたが、中はきれいで、

部屋も広かったです。

 

 夕食無しのプランなので、一休みしてから食事に出かけました。

 ホルムズ海峡封鎖が近いのか、ナビの精度がひどく落ちていて、だいぶ手こずりながら、上野東京ライン勝田駅の住宅街にある「旬彩 海鮮処 浜漁」さんに到着。

 

 夜は飲み屋風なのですが、これが大当たり。

 鯵の刺身(1,000円)を頼んだのですが、ちっちゃな鯵をちょこっと出すのかと思ったら、肉厚の鯵がど~んと出てきました。

奥久慈の卵焼き+しらすおろし(680円)もすごいボリューム。

 宇崎竜童みたいな板前さん(ご主人?)がぶっきらぼうに持って来てくれるのも、悪い感じがしません。

 そして、巷で評判が良かった「刺身+カジキマグロのステーキ」(1,880円)もタレにオリジナリティがあっておいしかったです。刺身も新鮮でした。

 

 食べログのランキングではずいぶん下の方(★★★ 3.02)だったのですが、頼んで口コミを書いてもらったり、味のわからないミーちゃんハーちゃんが選ぶような上位の店よりも、やっぱり自分で探さなくてはと思いました。

 明日に続く

 

 

 





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筑波山旅行 二日目

2024年02月16日 | 旅行

 筑波山に出かけた旅行の二日目です。

 

 ビジネスホテルの小さな客室ですが、2022年春にリニューアルされてとても綺麗で、びっくりするような小さな便器以外は快適でした。

 

 恒例の朝の散歩に出かけます。

 ホテルの名前が「湖北ホテル」というくらいで、霞ケ浦の北西岸にあり、新川という水路をつたって行くと、すぐに霞ケ浦に出られます。

 

 この新川から霞ケ浦にかけてはバス釣りの名所(下水道の処理センターからの温排水がある)らしく、すごい数の魚が集まってきています。オオバンやカワウ、カモメも嬉しそうに朝ごはんを食べていました。

 

 霞ケ浦にでると、そこはもう海としか言いようのない広さです。

 

 牛久の大仏も遠くに見えるそうなのですが、どれがそれなのかは確認できませんでした。

 

 さて、ホテルに戻って朝食です。一泊5,500円で1,000円相当の朝食もついていましたが、和食も充実していて(霞ケ浦名物の白魚もありました)すごくリーズナブルだと思いました。やっぱり茨城は物価が安いのかも。

 

 チェックアウト後、霞ケ浦の北沿いを利根川と並走するように通る国道354号を通って、霞ケ浦が一望できるという「歩崎公園(あゆみざきこうえん)」に向かいます。

 

 お城のような郷土資料館や水族館、森林公園などがありますが、結構昨日の筑波山登頂の疲れが残っていて、周りを少し探索するのにとどめました。

 

「帆引き船発祥の地」の碑が立っていました。
 帆引き船を使った帆引き網漁は、明治13年(1880)、シラウオ漁を目的に旧霞ヶ浦町の折本良平によって考案された。
 それまでは、大徳網という2~3隻の船を使い、20人以上の人手が必要であったものを個人操業の可能なものに変えた。これにより、網元中心の日雇いから、漁獲量にあった個人収入の道を開き、
沿岸漁民の生活安定に大きく貢献したとされる。
 その後、ワカサギ漁の主役として昭和42年(1967)までの約100年間、霞ヶ浦漁業の花形として一世を風靡したそうです。

 

 近くに「歩崎観音」があるというので、そこまで歩いて行くことに。ところが、これが結構きつい急坂を登ることになり、昨日の筋肉疲労が再び実感されました。

 境内の脇の階段を登ると、そこが景勝地「歩崎展望台」。

 

 霞ヶ浦の西方、土浦入(つちうらいり)と北方、高浜入(たかはまいり)とが一緒になる三叉沖(みつまたおき)の眺めは定評があり、茨城百景や茨城の自然100選の一つに数えられているとのこと。

 

 霞ケ浦はまだまだ見るところがたくさん残っているので、改めて訪れたいと思います。

 ここから霞ヶ浦大橋を渡り、延々と霞ケ浦を右に見ながら355号で南下します。もう一度、霞ケ浦の最東端にかかる北利根橋を渡り佐原に入ります。

 以前にも寄ったことのある「道の駅 水の郷さわら」で、恒例の野菜を仕入れました。
 入り口で、まるで通せんぼするかのように、能登地震の募金活動を4~5人の昔のお姉さんがやっていました。
 無理強いをしちゃいけませんよね。なんで、国が潤沢に財源投入しないのに、国民が税金のほかに義援金を払わなければならないのでしょうか?
 むしろ、「国はちゃんと援助をしろ」っていう示威行動をした方が共感得られるのではと思いました。

 このあと、食事ができないかと、少し走って香取市内の「やます風土村 」というところに寄ったのですが、主なメニューにラーメンしかなく諦めました。千葉県人はどんだけラーメンがすきなんだよ!!と改めて納得。
 ところで、そこで売っている野菜をみたら、佐原よりリーズナブルのような感じがして、やっぱり野菜を買うなら千葉だと思いました。

農産物直売所 やます蔵 風土村 | 千葉県の直売所 | 里の物語

 

 

 





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筑波山に出かけました

2024年02月15日 | 旅行

 筑波山の梅林がきれいだというので、1泊旅行に出かけました。泊まりがけは久しぶりです。

 東関東自動車道→圏央道→常磐道と乗り継いぎ、結構時間がかかりました(休憩入れて2時間半ぐらい)が、途中圏央道から、この間行った牛久大仏がでっかく見えて、すごいもの作ったのだなと改めて感動しました。

 

 それでも、お昼前には、霞ケ浦のほとり、土浦に着いて、土浦城址の近く「十割そば 中村麺兵衛 」でご飯にしました。

十割そば 中村麺兵衛 土浦店(土浦/そば(蕎麦)) - Retty


 個室っぽい仕切りのあるところもあって、注文はタッチパネル。あっという間に持ってきてくれます。リーズナブルで、結構おいしかったです。お勘定は今時のセルフレジで、年寄りには敬遠されるかも。

 

 さて、腹ごしらえも終わったので、ここから筑波山に向かいます。
 梅林の市営駐車場に停めたのですが、入り口近くには身障者しか停められず、200mぐらい奥まったところまで更に車で登っていかないと健常者用駐車場がありません。更に、そこから梅林まで相当歩きます。
 後でわかったのですが、もっと梅林に近いところに民間の駐車場があって、料金が「200円」と300円も安い価格設定でした。なんか、身障者にも健常者にもやさしくない待遇です(帰りがけにもう一度確認したら、梅まつり用に民間駐車場も500円に値上げされていました)。世の中厳しいですね。そうやって民間はちびちびと稼いでいるのに、政府のムダ金使いといったらひどいもんです)。

 17日から梅まつり開催ということで、準備の最中でした。

 

 入口には3分咲きとのアナウンス看板が掲げられていましたが、山の斜面を延々と登っていくと、ほとんど満開となっている場所もあって、可愛い梅の花といい香りを楽しめました。

 

 梅林の中ほどにある展望台(菱露台だとおもう)からは、梅の花とともに、つくばの町が見下ろせます。天気が良すぎて霞がかかっているのが残念。

 

 この日は暑くて大汗をかいてしまったのですが、めげずに、20分程歩いて筑波神社にむかいます。

 途中、大鳥居が見えてきました。

 

 筑波神社についたと思って延々と階段を登りお参りしたのですが、こちらは、真言宗 知足院 中禅寺というお寺でした。そういえば、立っていた旗に「南無大師遍照金剛」と書いてあったのでなんか変だなとは思ったのですが。まあ、こちらも「坂東三十三観音霊場第25番札所」ということなのでご利益があるのでは。

 

 更に道を進んだところに筑波山神社がありました。

筑波山神社】口コミ・アクセスと周辺観光ガイド|種類豊富な御朱印が魅力!祈願成就にいざ恋の山へ!

 筑波山神社は、筑波男ノ神(いざなぎ)、筑波女ノ神(いざなみ)を祭神とし、 縁結び、夫婦和合の神として信仰を集めている神社。徳川家康が江戸城守護の霊山として祈願所を置いていた由緒ある神社だそうです。

 

 その神殿の脇を更に登っていくと、ケーブルカーの駅にたどり着きます。

 筑波山神社隣の宮脇駅から筑波山頂駅を結ぶ、全長1,634m、高低差495mを毎秒3.6m、所要時間8分で山頂駅の御幸ヶ原まで運行する、日本で2番目に古い大正14年10月開業のケーブルカー。

 

 筑波山は、標高877 m。筑波山神社の境内地で西側の男体山(標高871 m)と東側の女体山(標高877 m)からなる山。
 男体山の山頂は、麓より3度ぐらい気温が低く、まだ雪が残っていました。天気がいまいちで残念でした。

 

 びっくりしたのが、山頂の土産物の値段が昭和の時代かと思わせるリーズナブルさ。茨城は物価が安いのかも。

 筑波山といえば、四六のガマ(筑波山の山麓にすむという、前足の指が4本、後足の指が6本のガマガエル~ニホンヒキガエル)ですね。前足後足ともに五本指だが、前足の第一指(親指)にあたるものは、痕跡的な骨があるだけでパッと見は四本に見え、後足は、第一指のそばに番外指と呼ばれる骨のある瘤があるので、六本指に見えるからだそうです。

 

 帰りは赤い「モミジ号」で帰りました(行きは緑の「ワカバ号」)。けっこうガタガタ揺れて、おい大丈夫か!!というスリルが味わえます。

 

 さて、今日の予定はすべて終了したので、ホテルに向かいます。

 温泉宿の共同の浴場はコロナワクチンのシェディングが怖い(汗の中にエクソソーム(Exosome)としてメッセンジャーRNAが排出されるとする研究がある)し、提供される夕飯も量が多くて持て余し気味なので、今回は温泉ホテル・旅館ではなく土浦市のビジネスホテル、湖北ホテルに泊まることにしました。

 チェックインした後、夕飯を食べに出かけます。

 最初は、同じ土浦市荒川沖の評判の「たいら食堂」を狙っていたのですが、なんと行ってみたら午後6時からの営業ということで、20分も待つならと、すぐ近くの「和食 旭屋」に入ってみました。日本各地のブランド魚を食べさせてくれるという店です。

 

 店内は私たちのみという閑散とした状態でしたが、高齢のおかみさんと調理の旦那さん(だと思う)がいろいろ説明してくれて、

 「ギンポの刺身定食」(ボウズギンポだと思う) 主に道東で獲れる魚。昨今、ギンダラと並ぶ身質脂のりで高級魚となっているそうです。

「本マグロとキビナゴの二色丼」をいただきました。どちらも肉厚のアジフライが付いています。

 

 揚げ物がついて、ちょっと多めだったかなと思いましたが、結局平らげました。旅館で次々に持ってこられる食事を無理やり食べることを考えれば正解だったと思います。

明日に続く........。

 

 

 





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今日は文化の日

2023年11月03日 | 旅行

 今日は文化の日。明治節(明治天皇の誕生日)だったのを、わざわざ歴史文化を破壊して改名した日とは皮肉ですね。

 秋の園遊会ではマスクのオンパレード。国民統合の象徴が何をやっているんでしょうか。

 自分からマスクを外して早く日常を取り戻す範を見せるのが象徴の役目でしょう。

秋の園遊会開催、両陛下がユーミンに「お会いできてうれしい」:朝日新聞デジタル

 

 ところで、毎日寝て曜日の自分には関係のない祝日ですね。観光地は人出が多いと思い、出かけないようにしています。

 わざわざ人混みに出かけなくとも、散歩で十分観光気分を味わえます。

   コナラ?クヌギ?の木なのでしょうか?紅葉が進んでいます。こういう大木になるとGoogleレンズでも検索できずまったくわかりませんね。

 

 朝もやの中のメタセコイヤの並木 紅葉はまだまだです。

 

 今頃咲いているので「ボケ」かと思ったのですが、枝ぶりを見ると梅や桃の類ですね。

 

 家の窓から見えるモミジとハゼノキ? いよいよ真っ赤になってきました。

 

 庭のツワブキも花を咲かせ始めました。フキの葉と違い、葉がツルツルしています。フキですから茎は茹でで食べられるそうです。

 

 休日の1日。家にいても秋の花が楽しませてくれます。

 

 

 

 





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今日から11月。様々な秋の花が咲きだしています。

2023年11月01日 | 旅行

  今日から11月。今年もとうとうあと2か月となってしまいました。
 充実した日々を重ねていきたいと願ってはいますが、言うは易し、行うは難しです。

 朝の散歩道には様々な秋の花が咲きだしています。

図鑑 ヒイラギモクセイ(柊木犀)
 ヒイラギモクセイはギンモクセイとヒイラギの雑種と考えられており、とても似ている。見分け方はギザギザの葉の形。金木犀より淡い香りがします。

 

 月って下から欠けて来たっけ?
 自転する地球に立っている人の位置による見え方の違いだそうです。冬の昼過ぎに見える下弦の月の右が欠けて見えるが、夏の昼過ぎに見える下弦の月は下が欠けて見えるそうです。

 

図鑑 ヤクシソウ(薬師草)
 ヤクシソウという名の由来には、薬師堂で発見されたとする説、花が薬師如来の光背に似るとする説など諸説あり。江戸時代には薬用にしたという記録もあるが薬効はないそうです。

 

図鑑イヌタデ(犬蓼)
タデ科イヌタデ属の一年草。道端に普通に見られる雑草

 葉に辛味がなくて役に立たないという意味で「イヌタデ」と名付けられた。赤い小さな花や果実を赤飯に見立て、別名アカノマンマともよばれる。

 

 幻想的な朝の風景

 

 ススキが朝日に金色に輝いていい写真が撮れました。

 

 人気のない道の藪の中で動くもの発見。

 

 人家も疎らなこの付近では珍しい野良猫発見!!こんな野山でどうやって暮らしているのか?

 

 帰り道。見事な竹林。外国人でごった返す京都など行く必要ありません。

 

 

 

 

 





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