みいちゃんといっしょ

みいちゃんとみいちゃんのパパの日記

一泊で茨城県牛久へ行ってきました。Part 2

2023年03月17日 | 旅行

 一泊で茨城県牛久へ行ってきた旅行の二日目です。

 恒例の朝の散歩。 結構茨城もソーラーパネルが目立ちました。騙されちゃっているんだよなぁ....。

 

 牛久沼までは直線距離では近いのですが、水辺までは、葦が密生していて近づけません。ところどころ葦が焼いてあって沼面が望めます。

 

  遊歩道も整備されていないようで(湿地でずぶずぶで施工が困難そう)、延々と隣接する畑のあぜ道を歩くという感じでした。
 対岸に「かっぱの小径」という遊歩道が平成24年にできたそうですが、いつかまた訪れたときということで....。

 

 

 さて、ホテルに戻って朝食です。イカそうめんがついていたり、なかなか洒落ていておいしかったです。アジの開きも新鮮でよかったです。
 ごはんは五穀米と白米がチョイスできました。

 

 藁につつんだ水戸納豆がついていました。

 

 こうやって藁を開けて食べればいいものを、結わってある紐を切ってしまって、藁がバラバラになって収拾がつかなくなってしまいました。

 後になって、子どもの時に食べた記憶が蘇って、開け方を思い出し、大爆笑でした。

 

 さて、ホテルをチェックアウトして、まずは近くにある「千勝神社(ちかつじんじゃ)」に参拝です。

 

 立派な鳥居です。「千度勝つ!」ということで、合格祈願や就職・起業成功祈願にご利益があるそうです。

 

 御祭神は、猿田彦大神(天孫降臨の際に、天照大御神に遣わされた邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内した神)、「諸願成就の神」と崇められているそうです。

 境内は森閑としており、霊験あらたな気分が満ちています。お祓いを受けるときは「短パンやジャージではだめ」としつこく案内放送がされていました。きっと過去にもめ事があったのでしょう。

 

 境内の桜のつぼみがほころび始めていました。

 

 さて、お参りも済み、今日のメインイベント、筑波研究学園都市の一画にある「宇宙航空研究開発機構 筑波宇宙センター」に到着。 

 1972年に開設(50周年事業を開催していました)した、人工衛星の開発・運用、宇宙飛行士養成と活動推進、ロケット・輸送システムの開発などを行う JAXAの事業所。

 

 まずは、展示施設「スペースドーム」へ。

 

 実物大の人工衛星やロケットエンジン、「きぼう」日本実験棟の実物大モデルなどが展示されています。

 

 データ中継衛星「こだま」(軌道上を周回する宇宙機と地上局との通信データを中継)。
 こんなでかいもの打ち上げられる技術って驚きです。たまに失敗したってしょうがないですよね。

 

 予想はしていたのですが、私たちやUSAから修学旅行に(?)来た高校生以外は見学者全員がマスクをしていました。
 この人たちは一生マスクは外せないのでしょうね。
 なんせ精神病ですから、治療が必要なわけですよ。まずは病気だということの「受容」が必要だと思います。

 

 様々なミニチュアも展示されています。

 

 次は、企画展示やミュージアムショップのある「プラネットキューブ」へ。

 

 50周年にちなんだ展示がされており、ミュージアムショップは人でごった返していました。
 惑星マグネットガチャポンやハヤブサIIキーフォルダー、星座柄の傘などを買ってしまいました。

 

 広報・情報棟の壁には、歴代の宇宙飛行士がミッションごとのパネルで展示されていました。マトリックス風とかトゥエンティフォー風などのテーマで撮影されていたりと、遊び心があって面白いです。

 

 最後はH-II ロケットの前で記念撮影で締めくくります。でかい!!
何度も言いますが、こんなでかいもの打ち上げるのですから、たまの失敗は許してあげて。

 

  さて、今回の旅行の最後も「道の駅」です。

 利根川沿い、千葉県香取郡神崎町の「発酵の里こうざき」。
 「発酵」をテーマとした道の駅で、発酵食品を中心とした市場やレストランがあります。

 

 味噌や醤油、甘酒などまあまあの品ぞろえでした。

 

 施設内のレストランで味噌など発酵食品を使ったメニューを食べました。

 

 ここからすぐの外環(神崎IC)に乗り、大栄JCTで東関東自動車道に入り、帰路につきました。

 

 

 

 

 



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一泊で茨城県牛久へ行ってきました。Part 1

2023年03月16日 | 旅行

 一泊で茨城県牛久へ行ってきました。

牛久ってこんなところ 

 

 まずは、トイレ休憩兼ねて、酒々井プレミアムアウトレットに寄ってみました。

 

 三菱地所が各地に開発しているアウトレットのひとつのようです。

 

 アウトレットと名のつくところへ寄ったのは初めてですが、別に傷物とか型落ち品を売っているわけではなく、有名店が軒を並べている単なる大規模商業施設なんですね。

 JUN や ROPÉ なんて、懐かしい店もありました。

 

 広くてお店も多く、小休憩のつもりが1時間ぐらい過ぎてしまいました。
 あらかじめこのブランドのこれが欲しいと決めて行けば、専門店の品ぞろえが良く目的が達せられると思いました。

 長居したため、次の目的地は、お昼ご飯店となりました。

 圏央道の阿見東ICを降りてすぐの「味わいそば 大名」でお蕎麦を食べました。

「常陸秋そば」を出してくれます。

 ブランド品種で、実が大きく、粒ぞろいが良く、黒褐色の見た目にも大変美しい蕎麦だそうで、口に含んだ時の甘味と、鼻腔に広がる芳醇な香りが特に優れているといわれているそうです。

 

 たしかにおいしかったです。田舎蕎麦の「鴨汁蕎麦セット(たまごかけご飯つき)と暖かい「肉南蛮けんちん蕎麦」を食べました。

 田舎蕎麦なのに喉越しのいいおいしい蕎麦でした。

 

 さて、次は今日のメイン、牛久大仏の見学です。

 

 でかい!!全高120mで「青銅製立像」で世界一高いものとしてギネス認定されているそうです。

 

 事業主体が浄土真宗東本願寺派本山東本願寺で、1993年に完成したもの。

 

 胎内に入る前に、なんと、おさるショーのサービスがありました。これがなかなか面白かったです。

 

 内部にはパネル展示等があり、歴史や仏教の世界について学ぶ事ができるようになっていました。

 特に、3階の蓮華蔵世界(World of the Lotus Sanctuary)の 3,300体の胎内仏に囲まれた部屋は圧巻でした。30万~100万円で納骨して永代供養してもらえるそうです。

 

 周りは牛久浄苑という公園墓地になっていて、桜や芝桜の時期に来たらすごく綺麗そうでした。

 さて、いい時間になったので、今日の宿泊地に向かいます。

 ここから車で40分ほど、牛久沼にある「レイクサイドつくば」です。プールやテニスコートなどスポーツ施設を併設するリゾートホテル。

 

 外観はちょっとうらぶれた感じでしたが、中はきれいで、部屋の設備も最新のものでした。

 そして、ごはんがなかなか豪華でおいしかったです。量もちょうどよかったです。

 夜食の「おにぎり」までつけてくれました。

 

 温泉は黄金色したちょっとしょっぱい、いいお湯でした。露天風呂の方が広くて、牛久沼が遠くに望める立派なものでした。


公式ブログより

 

明日(Part2)に続く

 

 

 

 

 



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東国三社巡りの完結の旅に行ってきました。Part2

2023年02月28日 | 旅行

 さて、昨日に引き続き「東国三社巡りの旅」の続きです。

 旅の朝が明けました。

 

 「大洗 鷗松亭」は、朝ごはんもおいしかったです。面白かったのが自分で作るハムエッグ。アルコール燃料でその場で作ります(右端の土鍋)。

 

 チェックアウトを終え、出発です。
 まずは、那珂湊おさかな市場でおみやげを買います。ここは、忘れもしない大地震に遭遇した 22年3月のいそざき温泉旅行の時にも来ています。

 

 生のお魚はさすがに買って持ち帰ることができません。金目と鮭(どちらも宮城県産~なんじゃそりゃ!!)の干物を買いました。

 

 さて、再び「大洗 鷗松亭」の近くまで戻り、すぐ隣の「アクアワールド茨城県大洗水族館」を見学。

 

 鴨川シーワールドよりも規模が小さいような感じがしていて、それほど期待していなかったのですが。これがすごくおもしろい!!

 アシカとイルカのショー

 

 おねえさんではなくて、なんとイルカの背にアシカが乗っています。

 

 水槽展示もテーマが絞ってあって面白い。

クラゲ。まさに映画「アビス」そのもの。むっちゃ光っています。

abyss2.jpg
「アビス」

 

 サメもすごい迫力。

 思わず、みっちゃん~!!と叫んでしまった「ネコザメ」

 

 飛ぶように水中を泳ぐペンギンも可愛かったです。

 

 コンセプトがいまいちわからない「宇宙兄弟」とのコラボ。このコラボで、宇宙から見た水の惑星・地球の海のふしぎを紐解いていくとのことだそうです。

 

 さて、三社廻りの仕上げ、「息栖神社」に向かいます。

 大洗から結構距離があって1時を過ぎたので、初めて入る「ばんどう太郎」で食事。それもそのはず、東京には一軒もないようです。

 

 期待していなかったのですが、これが、ファミレスとは思えないなかなかの味でした(かつリーズナブル)

 

 さて、腹ごしらえも終わったので、今日のメインイベント「息栖神社」へ参拝です。

 二社とは異なり、駐車場も小規模でした。

 

 息栖神社・鹿島神宮・香取神宮の三社は、葦原中国平定(=国譲り)の際に地上に遣わされたとされる神様をそれぞれ祀っているとのこと。

 

 

 神門を振り返ります。由緒ある神社はどこも森閑としていてパワーを感じます。

 

社殿。

 

 一の鳥居には、船着き場があります。

 

 その先の土手を登ると、常陸利根川(利根川の本流ではなく霞ヶ浦に繋がっています)を望めます。

 

 駐車場に戻ると地域猫が3匹日向ぼっこをしていました。

 

 猫を可愛がって、家路につきました。さてご利益はあったのでしょうか?

 いや、神様におねだりしてはいけません。自分はこのように努力していきますと願いを報告するのだそうです。

 明日はもう3月です。

 

 

 

 

 



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東国三社巡りの完結の旅に行ってきました。Part 1

2023年02月27日 | 旅行

 東国三社巡りの完結の旅に行ってきました。

 東国三社巡りとは、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、香取神宮(千葉県香取市)、息栖神社(茨城県神栖市)の三つの神社を巡ることです。

 江戸時代から、この三社を巡ることは「お伊勢まいりの禊の三社参り」と言われ、関東以北の人が伊勢神宮の参拝を終えた後、帰る途中で東国三社を参拝するという風習のことを表したり、また、三社を参拝すると伊勢神宮に一度参拝したのと同じご利益が授かると信仰されてきたそうです。
 現在では、三社の配置によるトライアングルエリア内には強力なパワーが存在しが、人生に迷った人にご利益を授けると云われているそうです。

 香取神宮には、既に2012年07月に参拝しています(なんともう10年も前なんですね!!)ので、あと二社ということになります。

 ということで、まずは鹿島神宮を訪れます。東関東自動車道、酒々井(しすい)PA の休憩を挟んで潮来ICを降ります。

 一の鳥居を右に見ながら「神宮橋」を渡り2時間たらずで到着。

 

 鹿嶋市宮中地区駐車場(平日は無料、ラッキー!!)に駐車します。

 

  事前の調査通り門前蕎麦の「うちだや」さんで腹ごしらえ(平日とあってここしか開いていませんでした)。

 

岩海苔蕎麦というのが美味でした。

 

 さて、全国に約600社あるという鹿島神社の総本社である「鹿島神宮」に参拝です。

 

 広大な杜に囲まれた神社です。

 

 「桜門」(鹿島神宮大宮司が三代将軍徳川家光の病気平癒の祈願をしたところ、将軍の病気が快癒したことから、水戸初代藩主徳川頼房がお礼として奉納したという)をくぐります。

 

 日本のほとんどの神社は参道、本殿は東か南向きなのに、鹿島神宮は西から参道が始まり、神は北(鳥居をくぐった右手にしつらえてある)を向いているのだそうです。かつ、令和の大改修中なので、礼拝していて、これが本殿だと思いませんでした。

 

 その奥にある奥宮が本殿かと思って参拝してしまいました。

 

 その後、右手の森を進み「要石」(地震を鎮めているとされる、大部分が地中に埋まった霊石)を拝みます。これも、植えられた木に目をとられて、まさかそこにある小さな石が「要石」だと思いませんでした(桜門を出たあたりまで下の方は埋まっているとのこと)。

 

 その後、御手洗池を見て参拝を終わりました。1日に40万リットル以上も水が湧いているそうで、地表に降った雨が約100年の歳月をかけて地層でろ過され、湧き上がってくるのだとか。忍野八海のような青い色をしています。

 

 お決まりのお守りをいただいて鹿島神宮を後にします。

 

 そういえばNHKの「塚原卜伝」の看板が目立ちましたが、こんなドラマやっていたんですね(テレビ見ないので全然知りませんでした。受信料返せ!!)。塚原卜伝は鹿島神宮の神官の子なんだそうです。

 

 可愛い地域猫を見ながら駐車場に戻ります。

 

 鹿島神宮を出発。きょうの宿泊地に向かう途中、鹿島灘海浜公園に寄りました。九十九里とは違った太平洋の風景です。

 

 はまぐりの貝殻がたくさん打ち寄せられていました。

 

 きょうの宿泊は 「大洗 鷗松亭」 茨城県市町村職員共済組合保養所ですが、なかなか豪華です。

 

 部屋はすべてオーシャンビュー。これが素晴らしい風景です。

 夕景では、遠く筑波山(だと思う)が望めます。

 

 さて、温泉を浴びてから、お待ちかねの夕食です。食事処までの通路には、そこかしこに雛飾りがあります。吊るし雛というそうです。

 

 量少なめの夕食をチョイスしてあります。

 

 色どりもよく、おいしかったです。

 

 明日に続く

 

 

 

 

 



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きょうは家に帰ります。

2022年11月21日 | 旅行

 旅先での朝が明けました。

 

 東京よりだいぶ遅いようです。

 

 電化をする気が無いようで、気動車が中心で運用されています。

気動車の走る街

 

 今日は家に帰ります。空港へは自動車で向かうので、来た時のようなトラブルに巻き込まれることはないでしょう(と、期待したい)。

 

 

 

 

 



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旅先での夜が更けていきます。

2022年11月20日 | 旅行

 旅先での夜が更けていきます。

慌ただしくて何んだか疲れました。

 

 

 

 

 



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北陸へ出かけました。(Part3)

2022年05月13日 | 旅行

   昨日のブログの続き 

 長野の朝が明けました。金沢よりさらに山が近くまで迫って来ていますね。

 

 恒例の散歩に出かけます。善光寺表参道界隈に祀られている七福神をめぐる「善光寺七福神めぐり」がガイドブックに出ていたので、ホテルの近くの神社に行ってみました。

 まず、西光寺(寿老人)。

なんだ、このコンクリの入り口は!! と思ったのですが、

 

 そちらは裏口で、こちらが正面。中世の説経節や能で知られる苅萱(かるかや)上人・石童丸ゆかりの古刹だそうです。

 

 芭蕉の碑もありました、

 

 次は、大国主神社(大黒天)。いや~!!こんな貧相な(失礼!!)神社と思いませんでした。

 

 ということで、七福神巡りはこのくらいにして、ホテルに戻って朝食です。

 きょうも、ビジネスホテルの朝食は貧相でした。

 

 さて、今日の長野市内観光の目玉は、なんといっても善光寺です。

 ちょうど今、七年に一度の、『善光寺前立(まえだち)本尊御開帳』が催されています。

 絶対秘仏(住職も見たことがないそうです)である御本尊の身代わりとして、レプリカの『前立本尊』を本堂に備え、お参りするという催しです。

 

 長野駅から善光寺へは、2kmほどですので、歩いても行けますが、普通は巡回バスで行くようです。

 しかし、電車オタクはなんといっても、長野電鉄に乗っていきたいです。

 

 北鉄浅野川線と同じく、ユニークな車両が導入されています。

「成田エクスプレス」の専用車両として1991年(平成3年)に運用を開始したJR東日本の253系が、E259系に置き換えられたことで余剰となったものを導入、2011年(平成23年)から運用されている。車両愛称は「スノーモンキー」(この名称をちゃんと覚えておくべきでした。あとで勘違いを招くことになるとは)。

 

 これは特急なので、普通電車に乗って2つ目の善光寺下で下車。なんと、善光寺下までは、ずっと地下を走っていて、地元では地下鉄と呼ばれているみたいです。

 

 乗ってきた電車は、長野電鉄8500系。
 これも、見覚えのある車両。東京急行電鉄・東急田園都市線で使用されていた8500系電車を譲受し、2005年から運用されている。

 

 駅から10分ほど、結構な坂を登っていくと善光寺の「仁王門」の前に出ます。

 

 山門をくぐると、高い柱(高さ約10m)がそびえています。

 本堂建立(宝永4(1707)年)の際、松代藩が普請奉行(造築などを司る奉行)にあたった縁から、毎回市内の松代町から『回向柱(えこうばしら)』が寄進されて本堂前に立てられるのだそうです。

 回向柱は、『前立本尊』の右手の中指と“善の綱”で結ばれ、柱に触れる人々に“御仏”のお慈悲を伝えるとされています。

 そこで、大勢の参拝者が列をなして「回向柱」に手を触れています。
この作法が厳しくて「手のアルコール消毒→片手で回向柱に触れる→アルコール消毒」を警備員の人が連呼していました。

 これは、善光寺が立てた武漢肺炎感染対策で「柱の表面にウイルスの活動を抑えるとされる光触媒剤を塗った他、回向柱に触ることができるのは、1人1面のみ」という訳の分からない基準のようです。
 例年なら抱き着く奴がいたんですかね、馬鹿々々しい。『前立本尊』のお利益で、クラスターは絶対発生しませんぐらいのこと言っちゃえばいいのに。

 ゴールデンウイークには、山門まで列ができていたそうです。

 そして本堂に入って、『前立本尊』を拝み(お焼香のように、線香をたいて拝みます)、その後「お戒壇巡り」をします。

 「お戒壇巡り」は、善光寺本堂の奥にある、御本尊の真下を通る真っ暗な通路。暗闇の中を進み、途中の「極楽の錠前」を探って触れることで、御本尊と直接ご縁を結べると言われているそうです。

 前に来たときは、本当に真の闇で、ディズニーランドのスペースマウンテンさながらのアトラクションだったのですが、安全を考えたのか薄明りがともしてありました。

 かつ、感染対策で1時間に1回、中を消毒するとかで、結構待たされた上の入場となりました。

 その間に、すっかり、そんな由縁を忘れてしまって、今回(たしか50年近く前も)も「極楽の錠前」を探り当てられませんでした。次の御開帳も来ようという話になりましたので、次回こそ頑張ろうと思います。

 さて、お参りも済んだので、仲見世通りを見て歩きます。途中の案内所に牛の銅像が置かれていました。

《信心のない老婆が、さらしていた布を角にかけて走っていく牛を追いかけ、ついに善光寺に至り、のち厚く信仰したという話》から「牛にひかれて善光寺参り」という「思ってもいなかったことや他人の誘いによって、良いほうに導かれること」のたとえとなったとか。 

 

「八幡屋礒五郎」の七味唐辛子の店 すごい人だかりです。

 

「御本陳藤屋」は、江戸時代から前田家藩主が常宿だったらしい。今はイタリアンレストランになっている。

 

善光寺郵便局 景観を壊さないようになっている。

 

 小布施が本店の「栗菓子 竹風堂」で甘味をいただくことに。「マロンアイス」に「栗あんみつ」をいただきました。これが、どちらも絶品でした。あんみつの蜜は、栗を漬け込んであって、栗の風味がしみ込んでいて濃厚でした。

 と時間をつぶしていると、小布施行の電車の時間が迫ってきてしまいました。

 慌てて、再び善光寺下駅に向かいます。坂道から見る山並みが綺麗でした。

 

 こんどやってきた電車は、東京メトロ(旧営団地下鉄)日比谷線で活躍した03系。2020年(令和2年)に「3000系」として導入されたもの。

 善光寺下を出ると、電車は地下から地上に出て、長野らしい田園風景が広がります。

 

 途中、須坂の駅には車両基地があって、いろいろ留まっていました。

 

 目的地、小布施駅は観光地らしく小奇麗な駅舎でした。

 

 駅構内には、2012年(平成24年)に、全ての運用から退いた「2000系」が展示されていました。
 昭和32年に製造された長野電鉄オリジナルの特急形車両。長野電鉄の看板車両として半世紀に亘り運行してきたそうです。
 車両の中まで見学できたようなんですが、ちょっと近寄りがたい雰囲気(整備中みたいな感じの場所)で、外観だけで我慢しました。

 

 小布施は、長野で最も小さい町ながら、観光客の姿が絶えない人気の旅行先となっているそうです。

 

  綺麗に整備された街並みを見学しながら、葛飾北斎の肉筆画や版本、錦絵などが展示されている「北斎館」を目指します。途中、600年の歴史を持つという「小布施栗の和菓子屋」が点在しています。

「栗と北斎と花のまち」と言われる所以です。

 

 将軍への献上品とされた「小布施の栗」から始まる経済発展により、多くの豪商・豪農が生まれ、幕末の豪商、高井鴻山の招きで葛飾北斎は小布施に来たのが縁だそうです。

 晩年の傑作として世界的に評価も高い「八方睨み鳳凰図」や「龍図」「鳳凰図」「男浪図」「女浪図」などがここで生まれたとのこと。


「男浪図」

 館内の展示を見てびっくりしたのが、水の表現など、まるで、レオナルド・ダ・ビンチのデッサンを見ているような錯覚を覚えたことです。

 

 この光の表現の斬新なこと!! 水木しげるの背景は、絶対、北斎の影響ですね。

 

 そして、この絵に至っては、日本画の表現にはない立体表現が取り入れられているのです。

 

 北斎は、非常に研究熱心で、西洋絵画の研究もしていたようです。

 この一瞬を切り取った表現なども、写真などの表現効果を研究した結果なんじゃないでしょうか?

 とにかく、世界に誇る天才画家だったといえるでしょう。ゴッホやゴーギャンなどが影響を受けたのも分かりますね。

 

 「北斎館」を出て、来た道と違う道を通って駅に向かいます。

 途中の「いろは堂」で「おやき」を買いました。

 

 さて、事前の計画では、このあと北斎の自筆天井画がある「岩松院」へ行く予定だったのですが、歩くと30分ぐらいかかるようだし、小雨も降り出したので、予定を繰り上げて長野駅に戻ることにしました。


「八方睨み鳳凰図」

 特に、特急「ゆけむり号」と特急「スノーモンキー」の車両を混同してしまい、「スノーモンキー」が旧小田急ロマンスカーと思ってしまい、それなら14時台に繰り上げたほうがちょうどいいと思ってしまったのも、予定変更のきっかけでした。

 小布施の駅に着くと、ちょうど湯田中行き旧小田急ロマンスカーが停車していました。

 小田急電鉄で使用されていたロマンスカーの10000形「HiSE」を無償で譲り受けた車両だそうです。

 よし、「これに乗って長野に戻るぞ」と、この時も信じていました。

 対向ホームには、長野電鉄の鉄道むすめ「朝陽さくら」のラッピングがされた8500系が止まっていました。
 名前の由来は、「朝陽駅」と北信五岳が見える「桜沢駅」からだそうです。

 

 ロマンスカーは湯田中へ向けて行ってしまいました。車内ではお弁当を広げている人が多かったです。

 さて、長野駅方面の特急が入ってきて、びっくり!! 

朝見た「成田エクスプレス」の車両でした。なんという勘違い!!

まあ、ロマンスカーは写真には撮れたからいいか。ということで、一路長野駅に向かいます。

 

 車内で、先ほど購入した「おやき」を食べました。「野沢菜」と季節限定の「あざみ」。塩っ辛くなく、ちょうどいい味でおいしかったです。あと「粒あん」もよかったですよ。

 

 長野駅へは、特急だったのでずいぶん駅を省略して早く着きました。これが、乗ってきたNEXです。

 

 となりは、先に出て行った「鉄道むすめ」ですね。

 

 さて、今回の旅行日程もすべて終了し、東京に向かいます。

 

 今回、3度も乗ることになった W7系(E7系)が入ってきました。

 

 車内では、長野駅で買ったお弁当を食べて、夕食としました。
 今回、全体を通じて食事が貧弱だったのですが、かわりに胃腸の調子は良かったです。オーバーカロリー、オーバーファットの食事はやっぱり体にこたえることが分かりました。

 

 1時間半で無事に東京駅に着きました。東京はラッシュの時間。やっぱり東京はすごい人の数ですね。

 

 こうやってブログにまとめてみると、2泊3日の旅は、やっぱりすごい情報量だということが分かりました。少しは 見聞を広め、精神的に成長し利口になったかな?

 

 

 

 

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北陸へ出かけました。(Part2の2)

2022年05月12日 | 旅行

 北陸旅行2日目 金沢市内観光も 後半に入ります。

 金沢城の「鼠多門(ねずみたもん)」から城外に出て、徒歩で「
いしかわ四高記念公園」を抜けて「石川四高記念館」へ向かいます。

 

 公園では、トンビがベンチでパンを食べている女性から、パンをかっさらったところをカラスに横取りされたのを目撃。
 びっくりしたぁ。金沢城付近では結構有名なトンビみたいです。

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「石川四高記念館」は、旧四高(しこう)の校舎を利用した赤レンガ建物。四高(旧制第四高等学校)の歴史と伝統を伝える展示がありました。

 旧制高等学校は、明治時代から昭和時代前期にかけての日本に存在した高等教育機関。存続時期のほとんどにおいて、帝国大学を中心とする官公立の旧制大学学部への進学のための予備教育(現在の大学教養課程に相当)を、男子のみに対して行った、と。

 第四高等学校は、明治20年に金沢に第四高等中学校が設置され、明治27年の高等学校令公布に伴い第四高等学校と改称されたとのこと。
 いい時代ですね。楽しそうです。「マスクをしろ、人と話をするな、出かけるな。」なんですかそれ!!

 

「四高ボート部琵琶湖遭難事故」の展示

 琵琶湖に合宿していた四高の漕艇部員と京都大学の学生ら3人が、遠漕訓練中の転覆事故により全員死亡した事件。

 この事故は関西方面では大きく報道されたものの、それ以外ではあまり取り上げられなかったが、この事件を悼む「琵琶湖哀歌」が東海林太郎と小笠原美都子によってレコード化されると、そのヒットと相まって全国的に知れ渡ったそうだ。

 この歌と加藤登紀子が歌った「琵琶湖周航の歌」との関係が分からなかったのですが、メロディーや歌詞の大部分が、三高(京都大学)の寮歌である歌琵琶湖周航の歌のパクリだったようです。

琵琶湖哀歌

 

 2階部分は貸しスペースになっています。

 

 こんなところにも、「孔子学院」がはびこってきています。やっぱり日本は終わっています。

 

 このあたりは「香林坊」という地名の繁華街となっています。比叡山の僧の香林坊が還俗して、この地の町人向田家の跡取り向田香林坊(むこうだこうりんぼう)となり、以来目薬の製造販売に成功して「香林坊家」として繁栄したのが由来だとか。

 

 高級ブティック店とかが多く、食事をとれるところがなくって、名物「金沢おでん」を狙っていたのですが、迷い込んだ「堅町通り」の飲み屋のランチで普通の食事になってしまいました。

 

 さて、体力も回復したので、気を取り直して、再び循環バスに乗って「尾山神社」に向かいます。予報通り小雨が降り始めました。

 加賀藩祖・前田利家公と正室お松の方を祀る尾山神社。

 和漢洋の3つの建築様式が用いられた「神門」が特徴的です。
 それもそのはず、歴史は新しく、明治6年に旧金谷御殿の跡地である現在の社地に社殿を新築されたとのこと。また、正室であるお松の方に至っては、平成10年合祀された。

 藩祖を祀った神社を建立することが、江戸時代後期から明治時代初期に流行したそうです。

 屋根には避雷針が。これは日本最古の避雷針だそうです。

 

 1階部分が木骨煉瓦造石貼付の3連アーチとなっていて西洋風です。

 

 境内に前田利家公の銅像が立っているのですが、背中にすごいものを背負っています。

 母衣(ほろ)といって、矢をよける甲冑の補助具だそうです。いわば、アクティブアーマーですね。かっこいい。

 

 本殿も造りが西洋風で、土台の玉垣は金沢で最初のレンガ造りだそうです。

 

 

 さて、本日の最後の目的地、「長町武家屋敷」へ。

 加賀藩士・中級武士たちの屋敷跡が残り、黄土色の土塀、石畳の小路などが特徴的です。

 冬には雪から土塀を守る「こも掛け」がなされるそうで、金沢の冬の風物詩となっているとのこと。

 

 長町を流れる大野庄用水は、古くから、灌漑、物資運搬、防火、防御、融雪などの多目的用水として用いられてきたそうです。
 いまでも、滔々と流れていて、屋敷内庭園の曲水(きょくすい)に利用されているのが見受けられます。

 

 この、用水は、旧宮腰(金石港)から大量の木材を運ぶために造られたもので、金沢城築城に大きな役割を果たしたと伝えられているそうです。

 

 さて、金沢市内1日観光の予定をすべて終え、金沢駅「あんと」内にある「ドンク」で時間調整します。

 今回の旅行で、ベーカリーのイートインスペースが意外と便利(人が少ない、静かなど)なことが分かりました。「スターバックス」なんて人でごった返していて、休める雰囲気ではなかったです。

 

 新幹線に乗り、今日の宿泊地、長野に向かいます。

 

 篠ノ井線の霜取り列車として知られていて、現在は長野総合車両センター内での操車を担当している「クモヤ143-52」のようです。いいもの見ました。

 

 乗ってきた「かがやき512号」 金沢16時48分 発 長野17時54分 着 1時間06分 はあっという間でした。

 

 さっそくホテルに向かいます。金沢駅ほどではないですが、長野駅も立派です。

 

 今日の宿泊ホテルは、長野駅ビル直結「メトロポリタン長野」。こちらは JR東日本系列です。

 

 今日は昨日と違い、まともな夕食をとりに出かけられました。

 長野と言えば、信州そばということで、駅前のドン・キホーテの下「そば亭 油や」で

手打ちそばがメインのミニ天丼セットをいただきました。

 蕎麦の盛がけっこう多くて、かつ、丼ぶりの海老天も大きくて、おなかいっぱいです。物価はだいぶ安そうです。

 

 明日に続く

 

 

 





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北陸へ出かけました(Part2)

2022年05月12日 | 旅行

 昨日の Part1 に引き続き、北陸旅行2日目

 金沢の夜が明けました。山がこんなに近くまで迫ってきているのは、東京の都心では味わえない光景です。

 

 恒例の散歩に出かけます。朝食の調達も兼ねています。

 

 昨日はゆっくり見られなかった「鼓門(つづみもん)」を眺めます。

 

 金沢の伝統芸能である能楽で使われる鼓をイメージしているのだそうです。高さが13.7mのねじれた2本の太い柱はなかなかのものです。
 夜はライトアップされているそうですが、まさか、アホの小池の真似してウクライナカラーじゃないでしょうね!!

 

 ビジネスホテルの朝食は粗食になってしまいますね。でも、このエキナカのおにぎり、暖かくって、おいしかったです。

 

 さて、循環バスに乗って市内観光に出かけます。

 

 まずは、浅野川のほとり「ひがし茶屋街」を散策。
 文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得て、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川東側に「ひがし」の茶屋町が開かれ、大いに賑わったとのこと。

 なんと、武家はご法度で、商人と町人しか使えなかったそうです。

 紅殻格子(紅殻OR弁柄(べんがら)と呼ばれる赤色の顔料で塗られた千本格子)の茶屋(芸妓が客をもてなす飲食遊興店)が軒を連ねます。
 紅殻はベンガル産(Bengala)の塗料(酸化鉄)という意味の語であり当て字だそうな。

 

 紅殻OR弁柄は、人体には無害で、紫外線による退色もない、また、防虫防腐作用もあることから、建物の外壁を守る素材としても重宝されてきたんだそうです。粋だしね。

 

 こんどは、浅野川の対岸、主計町(かずえまち)茶屋街へ向かいます。渡っているのは浅野川に架かる浅野川大橋。向こうに見える橋は、泉鏡花の小説の舞台になったという「中の橋」。橋を渡るごとに一文支払ったことから別名「一文橋」とも言われているそうです。

 

 加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷があったことに由来。こちらは、明治期から昭和戦前期にかけて栄え、当時の建造物が多く残っているとのこと。

 

 本当に、芸妓さんの三味線の稽古の音が聞こえてきました。

 

 「暗がり坂」 鏡花は、「暗闇(くらがり)坂を下りると(中略)大川へ出るのであるが、人通りはめったにない。…心得ないものが見れば、坂とは言わず穴のような崕(崖)である」と書いているそうです。

 

 さて、再び循環バスに乗って、兼六園へ向かいます。桂坂口から入園。

 

 気温が上がって夏日になって、むっちゃ暑くて体力がそがれる坂を登っていくと、「霞が池」。
 13代藩主・前田斉泰( なりやす)がこの池を以前の三倍に拡張し、現在の形になったそうで、池の中程に浮かぶ蓬莱島は、不老長寿を表しており、形が亀に似ていることから亀甲島とも呼ばれている。

 

 ここで、驚愕の光景に遭遇。

 修学旅行の学生が集合写真を撮るときに、ボランティアガイドのおじさんが「写真を撮る時だけマスクを外しましょう」と促したのですが、なんと、みんな首を横に振って、だれ一人マスクを外そうとしませんでした。
 ガイドのおじさんが、わざわざ言ってくれたのに、それを無視して、数秒マスクを外すことも恐れているという、救いようのない子どもになってしまったようです。
 引率の教師も、せっかく、良かれと思って言ってくれたのだから「おまえら外せよ」ぐらいのこと言えないのかね。こんな常識のないバカ教師だから、横並び大好きの自立心のないこどもが作られるんだよ!!

 ああ、日本は終わったんだなと思い悲しくなりました。

写真はイメージです。

 次は、これも外せない、「唐崎松」。兼六園のなかで最も枝ぶりの見事な樹木で、前田斉泰が琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松だそうです。冬を迎えるにあたって、雪の重みによる枝折れを防ぐために施される雪吊りが有名ですね。

 

 そして、由来が分からないと、何故みんながこぞって撮影するのか分からない「徽軫灯籠(ことじとうろう)」

 徽軫灯籠は、楽器の琴の糸を支え、音を調整する琴柱(ことじ)に似ていることから、この名前が付いているとか。

琴柱」の画像 - 35 件の Stock 写真、ベクターおよびビデオ | Adobe Stock

 水面を照らすための雪見灯籠なのですが、足が片方は水の中、もう一方は石の上という微妙なバランスや、「この琴柱燈籠と、虹橋と、もう少し上流の段落ちが奏でる水音との3者で、琴そのものを表現している」ともいわれているそうで、とにかく変わった形と意匠がなんとも分からないところが特徴のようです。

 

 振り向くと、能登半島が霞んで見えます(バスガイドさんが説明しているのを盗み聞きしました)。

 

 さて、兼六園は暑すぎて体力が持たないので、これくらいにして、もとは百聞堀というお濠を道路にした上に架かる石川橋を渡って金沢城へ向かいます。

 「石川門」 規模がでかくって、スケール感が麻痺するような建造物です。

 

 復元された「河北門」の上から二の丸を眺めます。焼失した「二の丸御殿」というのをこれも復元中だそうです。

 三の丸広場を通って、

 

 「三十間長屋」へ 幅3間、長さ36.5間ほどの2階建ての多聞櫓(石垣や土塁の上に建てられる長屋造の櫓=高層建造物の総称)。金沢城では多聞櫓を長屋と呼んでいたそうで、30軒の長屋があったわけではないようで。

 

 散策に体力の限界を感じ、黒い海鼠壁(なまこかべ)が特徴的な「鼠多門(ねずみたもん)と「鼠多門橋」を通って城外にでます。この門も2020年に復元されたそうです。石川県って財力が今でもあるんですね(それとも国の補助金でがんじがらめなのかな?)。

 

話があまりに長くなったので後半へ続く。

 

 

 

 

 

 





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北陸へ出かけました。

2022年05月11日 | 旅行

 サディスト小池(都知事)と、アホのキッシンジャー(岸田総理)を倒せ~!!祈念に北陸へ出かけました。

 とにかく新幹線に乗るのは20数年ぶりなので、切符の買い方から、乗り方まで、まったくの、ど素人でドキドキしました。
 素晴らしいのが、「えきネット」。予約から、支払い、手持ちのPASMOに情報を紐づけて、チケットレスで乗れるんですね。おまけに直前の予約だったのですが、10%引きで乗れました。早期予約なら50%引きで乗れる特典もあったようです。

 

 おおっ!!入ってきました。W7系(JR西日本所有 725編成-314号車でした)!!むちゃむちゃかっこいいです。

 

 連結スペースやトイレもホテルみたいで豪華です。

 

 長野に近づくと雪を頂いた山が見えてきます。

 

 2時間半で金沢駅に到着。すごく早いです(最高速度は260キロ)。
 金沢駅前は、なんという無駄なドーム空間。雪が多いので、雪よけでお客様をお迎えするというコンセプトだそうです。

 

 金沢駅につくなり、すぐに北陸鉄道浅野川線の北鉄金沢駅に向かいます。意匠の所為か、駅までの案内表示がちっちゃくて、やっとたどり着きました。

 

 12:30の内灘ゆきに乗ります。

 

 なんと、京王井の頭線で走っていた元3000系電車です。3000系は、1960年代に製造された車両で、渋谷に出るのによく乗っていました。
 1998(平成10)年に京王電鉄から北陸鉄道に譲渡され8000系という名称で走っているのです。

 事前の情報で、ラストランだと聞いていたので、まさか乗れると思いませんでした。
 ラストランを迎えたのは、2編成で、今回乗る、モハ8801-モハ8811をはじめ3編成は現役で活躍していたんですね。ラッキー!!

 

 運転席も懐かしいです。

 

 これこれ、なんとも京王電鉄の臭いのする別珍のシートとリノリュームの床。

 

 内灘駅まで17分。あっという間のローカル線です。

 

 内灘駅の車庫には元東京メトロの03系が停車していました。2020年12月から営業運転を開始したそうです。

 

  折り返し用なのか、モハ8802-モハ8812 編成もとまっていました。スノープラウ(除雪装置)がつけられているのも金沢らしいですね。

 

 ここからコミュニティーバスの「なだバス ナディ」(乗り放題100円)に乗り、一路日本海を目指します。

 

 直線距離ならいくらもないところ、町内をぐるぐる回って(金沢医科大学病院と内灘町役場は、はずせません)、30分以上かけて、ふるさと創生事業資金1億円で建てた「ほのぼの湯」に到着。

 

 側の内灘町総合公園でお昼にします。

 ここにも迷惑施設の風力発電がぽつねんと立っていました。

 

 「LOVE&BEACH/サンセットブリッジ内灘」という観光地になっているんだそうな。

 見晴らし台にある「幸せの鐘」を鳴らして愛の成就を願うのだそうです。老人には関係のないところでした。

 

 サンセットブリッジ内灘(ほんとうは内灘大橋)が見えます。向こうは河北潟(かほくがた)。

 

 金沢駅で買った、芝寿司の「笹寿司」を食べました。加賀 棒ほうじ茶 との相性は抜群で、最高においしかったです。笹の葉で唇を切らないように気を付けて食べましょう。

 

 さて、ここから見える大きな湖は河北潟。日本海が内灘砂丘でせき止められてできた海跡湖というものだそうです。かつては汽水湖であったが、干拓が行われて現在は淡水湖となっているという。

 

 潟の方まで見学したかったのですが、急に足が痛くなってしまい金沢駅にもどることに。新幹線の中で、緊張で足がつっぱっていたのでしょうか?情けない.....。

 さて、金沢駅にもどってきました。なんのことはない、ドームのエスカレーターをそのまま降りれば北鉄の駅に行けたのですね。もうちょっと大きく案内板だしてくれよ~!!

 

 今晩のホテル「ヴィアイン金沢」。入り口が上品すぎてこれもどこにあるか分かりませんでした。お上りさんみたいです。

 

 ちっちゃい部屋です。ここで、中国地方からやってくる相棒に合流します。

 

 窓から見たら、確かに駅ビル一体型のJR西日本デイリーサービスネットが展開するホテルでした。

 

 夕食は、相棒の列車が人身事故かなんかで遅れたため、レストランの予約をキャンセルして、ホテルの部屋でお弁当にしました。おいしかった「笹寿司」をまた食べてしまいました。

 

明日に続く。

 

 

 

 





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サディスト小池のリバウンドなんちゃらをぶっ飛ばせ!! 秩父市に行ってきました。Part2

2022年04月22日 | 旅行

 秩父旅行 2日目の朝を迎えました。今回は夜の地震もなく平穏な朝となりました。

 恒例の散歩に出かけます。

 そんなに高度はないのに、雲海が見られるというのがわかるような雲の具合です。

 

 秩父のシンボル、武甲山が今日もきれいです。

 

 近くにある、秩父三十四箇所の第三番札所「常泉禅寺」にお参りしました。

 

 境内も広く立派なお寺です。本堂の横の観音堂は、1870年(明治3年)に秩父神社境内にあった蔵福寺の薬師堂を移築したもので、室町時代の作、聖観音立像が安置されています。

 

 山の中腹にある墓所(年寄りには厳しい急坂)まで登ると、横瀬川に沿う街並みが一望できます。

 

 横瀬川に架かる「お止めばし」の民話が残る橋を渡ります。昔から霊場巡りの遍路が盛んにおこなわれていたようです。

 

  小一時間の散歩を終え、朝食です。夕飯をセーブしたので、たらふくいただきました。なんか卵づくしになってしまいました。

  秩父のソウルフード 「みそポテト」も乗っています。

 

 「とくとく埼玉 - 観光応援キャンペーン」のクーポンを使ってホテルの売店でおみやげを買って出かけます。

 まず、「あの花」の聖地、旧秩父橋に向かいます。「あの花」見ていた時は、秩父が舞台だとは思わなかったのですが、なるほど、名所がいろいろ出てきていたのですね。

 

 残念ながら、旧秩父橋は工事中で通行止めとなっていました。

秩父橋側から旧秩父橋、さらに初代秩父橋の橋脚を眺めます。国道299号はすごい交通量なので、気を付けて歩きます。

 秩父市のHPによれば、旧秩父橋(二代目の秩父橋)は、昭和6年5月に竣工した鉄筋コンクリート造りの三連アーチ橋で、橋長134.6m、幅員6m、現在は橋上公園(歩道橋)として利用されている。
 また、初代秩父橋は明治18年に架設され、我国でも最も古い時代のトラス橋に属している。現在は橋脚2基、親柱2本だけが残っている。明治18年12月築造銘があり、橋脚は小鹿野町産の岩殿沢石を使った切石積構造となっている。とのこと。

 現在の秩父橋のたもとには、竣功記念碑が建てられていて、地元の旧秩父橋への思い入れの強いことが窺えました。

 

 ここから、「おがの化石館」へ向かいました。

 

 小鹿野町で発掘されたパレオパラドキシアの骨格復元模型のほか、新種として認定された古秩父湾のチチブクジラなどジオパーク秩父(地質学的に価値のあるサイトや景観を管理運営する地域)内で発掘された化石を含め、国内外の珍しい化石の数々が展示されています。

 

 展示物はあまり多くないので、さっと見学して近くにある「ようばけ」に向かいます。

「ようばけ」とは、日が暮れてもしばらく陽が当たって輝くこの崖を見て、太陽の当たる崖という意味で、昔からこう呼んできたそうです。
 この崖は、秩父盆地に厚く堆積している約1550万年前の新第三紀の地層が侵食されてできたもの。

 この地層からは、パレオパラドキシア、チチブクジラ、サメ、ウミガメ等の脊椎動物化石や貝、カニ、ウニなどの化石がたくさん見つかっているそうです。

 

 さて、菓子処「栗助」で名物の「栗助」を残りのクーポンを使っておみやげにした後、

恒例の道の駅に立ち寄ります。「道の駅みなの」

 

 例によって、野菜をしこたま買い込みました。

 

 ここで、お昼となったので、御蕎麦にしました。

長瀞の「味里」さん

 

 そばつゆが「秩父産のくるみをすり入れた汁」で作られているのが特徴のくるみ蕎麦と田舎蕎麦を堪能。

 

 さて、本日の最終目的地「玉淀ダム」に向かいます。

途中で、秩父鉄道を走るアニメラッピング電車に抜かれました。

秩父市を舞台にしたアニメ3部作に登場するキャラクターなどをラッピング。

「空の青さを知る人よ」

「心が叫びたがってるんだ。」

「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」

残念ながら、「あの花」以外見ていませんでした。

 

 寄居町の「玉淀ダム」に到着。

 

 荒川の上に甲府へ向かう「国道140号」バイパス、皆野寄居有料道路の末野大橋と、その向こうは「国道140号」の折原橋が架かっています。

 

 さっそくダムカードをゲットしました。自動交付機になっていました。武漢肺炎と無人対応なのでしょうか。これがあれば、他のダムカードもゲットできたところもあるのに.....。

 

玉淀ダムは、ゲート式ダム。

 昭和39年に埼玉県が建設し、現在は東京発電(株)が事業を引き継ぎ、管理を行っている。
 発電用水と農業用水を取水している。

 

 ゲートの上を自由に見学できます。

 

 見学のし甲斐がある建造物です。

 

 ということで、旅行日程はすべて終了。関越道花園ICから帰路につきます。珍しく事故渋滞に巻き込まれず、スムーズに帰れました。

 

 

 





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サディスト小池のリバウンドなんちゃらをぶっ飛ばせ!! 秩父市に行ってきました。

2022年04月21日 | 旅行

 サディスト小池のリバウンドなんちゃらをぶっ飛ばせ!! ということで、今回は近場、埼玉県秩父市に行ってきました。

 平日は、環八が混むので、ストレス軽減と時間節約を狙って、八王子ICから圏央道で向かいます。

 青梅ICでおりて、西武池袋線・高麗川と並走する国道299号を使って、正丸峠を越えていきます。

 もう目的地も近かったのですが、2時間近く走ってきたので、道の駅「果樹公園 あしがくぼ」で休憩します。

 

 イチゴとか野菜とか、おいしそうだったのですが、保存がきかないので諦めました。

 お決まりの可愛い燕の子を見ながら、目的地へ出発です。

 

 今日の第一目的地「見晴らしの丘」に到着。隣接する芝桜で有名な羊山公園は前に来たことがあるのでスルーしました。でも、まさに今、芝桜の最盛期なのにお客さんがあんまりいなかった様子なのにはびっくりしました。誘導員さんが手持無沙汰そうでした。
 埼玉県知事(全国で唯一ワクチン検査パッケージを実施している)もサイテーだからな。結局自分が損こいているんだから馬鹿ですね。

 

 秩父のシンボル武甲山がすごく近くに見えます。

 

 秩父盆地が一望できる名前の通り見晴らしのいい公園です。朝早く来れば雲海が見られるそうです。

 

 上武鉄道会社(秩父鉄道)を設立した、初代社長の柿原萬蔵(かきはらまんぞう)の銅像が秩父市街を見つめています。

 

 さて、次は、広大な敷地(375ha)の「秩父ミューズパーク」へ向かいます。公園の名称は、ギリシャ神話の人間の知的活動(学問と芸術)を司る9人の女神の総称『ミューズ(Muse)』にあやかり名付けたものだそうです。

 

 残念ながら、桜には遅く、躑躅には早い?のか、あまり見るものがありませんでした。売りだと思っていたチューリップの花壇がしょぼかった。

 

 持参したお弁当を食べます。今回はおにぎりではなく、手間をかけた太巻きとお稲荷さんです。

 

 とにかく敷地が広大なので、どこに見るものがあるのか探すのも一苦労。案内板が少なくて不親切な施設です。

 盛りを過ぎた水仙広場を見て、早々に次の目的地に移動します。

 

 金運アップのパワースポットと言われている「聖神社」へ。

 

 「お金に不自由しない」と伝えられる銭神様が祀られているそうで、「和同開珎」関連のお守りが数種類、無人スタンドになっています。さすが、ここでお金を納めず拝借したら、一生貧乏で暮らしそうですからね。

 

 岸田アホ首相のグレートリセットや世界大恐慌が来そうですから、その中にあっても安泰にくらせるよう、念入りにお祈りしました。

 

 ここから、徒歩で「和銅採掘露天掘跡」へ向かいます。

 

 すごい急坂を上ります。

 

 第一野良猫発見。

 

 むっちゃ人懐こく迎えてくれました。

 

 この子は、ひっくり返るたびに「あ~ぁ」って言う、面白い猫でした。

 

 ここからさらに山道を分け入ると、露天掘跡につきます。

 

 和銅採掘露天掘跡は、地殻変動によって露出した自然銅が発見され採集されたところだそうです。西暦708年、武蔵国秩父郡から銅が献上され、これを喜んだ朝廷は年号を「和銅」と改元し、日本最初の貨幣「和同開珎」を発行したとのこと。

 和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)は、同じ字だというのを初めて知りました。「珎」は「寳」の異体字説と「珎」は「珍」の異体字説とが対立しているそうで、現在は「わどうかいちん」が有力とか。

 さらに、すごい急な道を山の中腹まで登ると、断層面をえぐる和銅の採掘溝を覗くことができます。

 

 ということで、本日の日程は終了し、宿に向かいます。

 「ホテル 美やま」。昔ながらのホテルですが、中は立派できれいでした。

 

 結構早めにつきました。近場はやっぱり楽ですね。アロマオイルの癒し効果で迎えてくれました。

 

 部屋の下を横瀬川(荒川水系の河川)が流れていて景色もいいです。

 

 夕食は食堂で。子供連れが一組もいなくて落ち着けました。平日なのに満室の人気宿です。

 

 食事は昔ながらの旅館のメニュー。これが胃にもたれなくていいんです。

 

 食事後に、「とくとく埼玉 - 観光応援キャンペーン」のクーポンを2人で6,000円分もらいました。みやげやホテルの飲み物に使えます。すごく得した気分でしたが、ほかの泊り客に聞いたら、県民割を利用して1人5,000円も補助がでているんですよね。小池の野郎、こんなとこまで都民をいじめやがって、地獄に落ちろ!!

 

 2日目に続く

 

 

 

 





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まん防なんかぶっ飛ばせ!! 茨城県のいそざき温泉に一泊旅行にいってきました Part2

2022年03月17日 | 旅行

 さて、昨日に続いて、いそざき温泉旅行 2日目の朝があけました。

 昨日の夜の地震にはびっくりしましたが、幸いに、けがもなく、愛車 スバル R1 にも異常はなかったようです。すこし縁石から離れて駐車しておいてよかったです(段差で傾いていたので、何かの予感がして、後からバックして調整しておいたのです)。

 

 恒例の風呂上り、朝飯前の散歩に出かけます。

 

 まずは、「ホテル ニュー白亜紀」のすぐ隣「酒列磯前神社(さかつらいそざきじんじゃ)」にお参りに行きます。


 大名持命(おおなもちのみこと=大国主命)とともに国造りを行ったとされる 少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀った神社。

 社の周辺海岸の岩石群は南に約45度に傾斜して並んでいるそうで、その内の一部の北に傾いた部分、すなわち「逆列(さかつら)」の地名が社名の由来とされ、のちに酒の神様を祀るところから「酒列」となったとのこと。

 社殿に向かう300mの参道は、椿のトンネルや樹齢300年を超えるタブノキが密生して、ここもまたパワースポットにふさわしい雰囲気です。

 

 宝くじの当選祈願でも有名で、お祓いをしたジョイフル本田ニューポートひたちなか店内の宝くじ売り場から、数多くの宝くじ当選があり、高額当選した人が奉納した亀の石像は、撫でて祈ると宝くじ当選の御利益があるそうです。

 

 お参りを念入りにします。もちろんお金ではなくて健康を祈願しました。

 

 さて、これも有名だそうな、海の見える鳥居をくぐって、海岸に向かいます。

 

 遠く、JERA(東京電力と中部電力の燃料受入・貯蔵・送ガス事業および既存火力発電事業等を統合した会社) の常陸那珂火力発電所の特徴ある煙突が見えます。
 その向こうは、あの有名な日本初の原子炉の村「東海村」です。昨日も来る途中に「 原子力科学研究所」などの施設を横目に見ながらホテルまでやってきました。

 

 下りた県道の途中に小高い丘があり、「比観亭跡」という史跡看板があったので、逆バンクの石段のある山道を登ってみました。

 寛政2年(1790年)11月、水戸藩第六代藩主徳川治保が、酒列磯前神社を訪れた際、見晴らしの良い小高い丘の景色に感動し、その地に「お日除け」(あずまや)を建て「比観亭」と名付けたという場所。いまはあまり広々とした風景は見れませんでした。

 

 ここから、もう一度 酒列磯前神社の境内を通って、ホテルの方へ戻ります。きのう夜見た灯台を近くで見ようとしましたが、無人で側まではいけませんでした。

 

 ここから磯崎海岸の岩場におります。

 

 この岩場の石には、今まで見たことのない石が混じっていました。

 

丸い穴の開いた石です。

  

 

 















 これは、なんと貝があけた穴だそうです。

 カモメガイという貝で、丸く膨れた部分に粗い筋が切ってあり、やすりのようです。殻を動かして泥岩に穴を掘り進むのだそうです。

 よく見ると、穴に貝が挟まっているものもありました。面白いので、一つ「みっちゃん」のおみやげに持って帰りました。

 

 ホテルに戻って、ホテルの駐車場の奥に慰霊碑があったので、不思議に思って調べてみると.....

 

 この「ホテルニュー白亜紀」の前身が「国民宿舎 白亜紀荘」で、ちょうどこの駐車場のあたりに建っていたそうです。そして、このホテルの建つ台地は磯崎東古墳群そのもので、建設にあたって数多くの古墳を取り壊すことになったそうです。
 建設前に埋蔵文化財の発掘調查が行われたところ、無数の人骨が出土し、ここに慰霊碑をたてて無縁仏として供養しているのだそうです。そんなところに車を止めて、宿泊していたとはびっくりでした。

 このホテルの敷地も酒列磯前神社の土地で、現在も、ひたちなか市は神社に土地賃貸料を支払っているのだそうです。まさにパワースポットに建つホテルですね。

 ということで、待ちかねた朝食です。
 昨日の夜は控え目にしていて、かつ夜中に地震騒ぎで小一時間起きていたので、おなかがすきました。

バイキング形式でしたが、地元の「奥久慈卵」が売りということで、何かメインが卵づくしになってしまいました。

 あと、白亜紀名物「健康ねばねば丼」や「涸沼 (ひぬま)やまとしじみ」のしじみ汁(不漁のため冷凍ものだそうです)というのも堪能しました。バイキングといっても、手作り感があってよかったと思います。

 

 では、チェックアウトして今日の第1(第2?)目的地へ出発です。

 途中、県道6号沿いに茨城県内で初めて発見された、約6,500万年前の中生代白亜紀層の観光名所があったのですが、道路工事中で車を止めるところが見当たらずスルーしました。


平磯白亜紀層(中生代白亜紀層) 観光いばらきより

 

 まず、那珂湊魚港の「那珂湊おさかな市場」で干物をゲット。生の魚がめちゃめちゃ安くて、クーラーボックス持ってくればよかったと後悔。

 

 でっかい那珂川の河口の橋を渡って、酒列磯前神社の兄弟社、「大洗 磯前神社」に到着。

 

 酒列磯前神社と深い関係にあると言われ、2社で1つの信仰を形成しているという。

 大己貴命 (おおなむちのみこと=大国主命)が、祀られており、前出、少彦名命(すくなひこなのみこと)とともに、国造りを行うため、境内前方の岬の岩礁に降臨したとされる。だから、兄弟社なんですね。

 巨大な鳥居。

 

 ここも、りっぱな社です。

 

 そういえば、大洗というえば、「ガルパン」でしたね。もうよく覚えていないけれど、市街戦では、登場したのかも。

 

 

 そして、もう一つの目玉が、波が洗う海岸に建てられた「神磯(かみいそ)の鳥居」。本殿から約100段の階段を下りたところ(つまり帰りは100段登ることになります)にあります。

 

 満潮の時に、これを波が洗ったら、すごい光景でしょうね。残念ながらこの時間は海面は下の方。神々しいカモメがとまっていました。

 地震でくずれなくって良かったですね。

 ということで、ここでもパワーをもらって、次の予定に進みます。
 カーナビに入れた住所が、統合による閉店の場所だったという落ちがついて、回り道してたどり着いた「農産物直売所 サンフレッシュ土浦」。

 例のごとく野菜をしこたま仕入れました。

 

 そして、本日最後の目的地。茨城県坂東市にある「ミュージアムパーク 茨城県自然博物館」公園と一体化した博物館です。

 

 いつも、素晴らしかった、群馬県立歴史博物館と比較してしまうのですが、不満だった点がいくつか....。

①ガキがうるさい!! 今の親や教師は「図書館や博物館は静かに利用するんだよ」なんて教育しないのですかね?施設側だってそのくらいの指導をしろよ。

マスクと手消毒と検温ばっかりに気を取られているんじゃないよ。アホ!! と言いたいです。

②1994年(平成6年)開館ということで、施設の設備がもう時代遅れになっています。ディスプレイなんか解像度が悪くて、昭和のブラウン管テレビを見ているようでボ~っとして興ざめです。

 

 ③展示が教科書的で平面的。網羅してあるが、これといった面白味がない。
 こどもだってインターネットで知識をいくらでも入手できるのだから、ここでしか見られない学べないといった特徴をださないと今後の施設需要はないでしょう。

館内フロアマップ

 

 それにしても、すごい金をかけてあって、

本場の実物化石や隕石などが、すごい数展示してあります。

 

 まさかここで、バージェス頁岩の実物化石が見られるとは思いませんでした(文句を言いながら、結構楽しんでるじゃん)。

 

 グェ~ これケモチち悪いです。H・R・ギーガーのエイリアンみたいです。

 

 みっちゃんです。でかいです。

 

 つづけて みっちゃんです。

 猫の目から見ると、世の中はどのように見えるかという興味深い展示でしたが、武漢肺炎対策で触れられませんでした。
 おい!!その分入館料割りびけよ!!

 コロナ対策を理由に権利を制限しておいて、その損失の補填は一切しないことが、平然とまかりとおる変な世の中になってしまいました。

 

 動く恐竜の展示。これもすごい金がかかっていると思います。
 最新の研究に基づき、ティラノサウルスに毛の襟巻がついていました。

 

 ということで、今回の旅行日程は終了。無事に帰途についたと思ったら、西新宿JCTあたりで、例によって馬鹿が事故を起こしていて、新宿から永福まで50分以上という大渋滞。やっぱり馬鹿は死刑でいいですね。

 しびれを切らして、西新宿を通り越して富ヶ谷で高速を下り、一般道で自宅まで帰りました。時間は同じだったかもしれませんが、どうも、まったく動かない渋滞は我慢できません。

 今回も珍道中は、パワースポットに地震のおまけつきと、大変楽しゅうございました。

 

 

 

 





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まん防なんかぶっ飛ばせ!! 茨城県のいそざき温泉に一泊旅行にいってきました Part 1

2022年03月16日 | 旅行

 まん防なんかぶっ飛ばせ!! ついでにサディスト小池もぶっ飛ばせ!! ということで、茨城県のいそざき温泉に一泊旅行にいってきました(このところ、山梨や埼玉方面に足が向かないのは、知事が人権感覚ゼロの無能な差別主義者だからです。もちろん東京から出ていくのも同じ理由です。だれが、そんなところに金を落としてやるもんか!!)。

 途中、前回旅行のような大渋滞に見舞われることなく、第一目的地の「水戸偕楽園」にお昼前に到着。

 

 JR常磐線の偕楽園駅のすぐそばに駐車場があります。偕楽園の梅まつりの時期に合わせて営業する臨時駅だそうです。 
 さすが、茨城県有数の観光スポットですね。

 

 常磐線には、特急ひたち・ときわ(E657系)が頻繁に走っていました。偕楽園の梅など沿線にちなんだ配色、柄を採用し、和のテイストとモダンさを兼ね備えたものだそうです。

 

 偕楽園は、開園180年だそうで、3月27日まで、記念行事の冠付き「第126回 水戸の梅まつり」の開催中でした。

 江戸時代、水戸藩九代藩主・徳川斉昭(なりあき)によって造園。「偕楽園」の名前には、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願った斉昭の想いが込められていて、公園の元祖ともいえるものだそうです。

 

 平日なのに、結構な人出でした。入り口でなんの意味もない「体温チェック」を受けて中に入ります。走ってきて、体温が37.5度あったら、どうするのでしょうね?

 

 日向にいると、暑いくらいの陽気です。梅を眺めながらお弁当を食べました(断りなしに、人が食事をしている頭の上から手を伸ばして写真を撮るような、無神経な人が結構多かったです。俗化された観光地の特徴でしょうか?)。

 

 梅まつりに合わせて「チームラボ 偕楽園 光の祭」というイベントが夜に行われているようでした。

普通のライトアップでいいのに.......。まあ、いろいろと養わなければならない親戚縁者がいるんでしょう。

 

 梅大使(「ミス梅まつり」じゃないんだ)が、ポーズして写真を撮る間もマスクを外さないのは残念でしたね。誰だかわからないですよね。
ワクチン打てば、マスクも外せて、どこへも自由に行けるようになるのじゃなかったっけ。
 なんか、政治家とか、テレビに出ている専門家とかが、絶対言っていたよね。

 それを信じて、死ぬ思いして(本当に死んじゃったり、これから死ぬ人も出てくるでしょう)ワクチン打った人は、どうして怒らないんでしょうかね?

変な世の中。

 

 偕楽園の隣にある、第2代藩主 徳川光圀公・第9代藩主 徳川斉昭公 を祀った「常磐神社」をお参りして、次の目的地へ。

 

 1時間ほどかけて、関東屈指のパワースポット 日立市にある「御岩神社」に向かいました。

 

 アポロ14号の宇宙飛行士エドガー・ミッチェル氏が宇宙から地球を眺めたときに、1か所ものすごく光って見える場所があった。その緯度・経度を計測してみたら、この御岩神社のある場所だった。

とか

 同じく日本人宇宙飛行士である向井千秋さんも、(スペースシャトルに乗って宇宙から地球を眺めたら)「日本に光の柱が立っていて、その場所を調べてみたら日立の山の中だった。」と、宇宙から見える強力なパワーがある神社のようです。

 御岩神社に上って来る途中の道で、変わった建物が見えたのですが、後で調べたら 最近 Youtube のCMに頻繁に登場する、「JX金属」の「日鉱記念館」というものでした。

 JX金属の創始者が開いた「日立鉱山」は、日本を代表する大銅山だったそうです。なるほど、この山自体が銅の鉱脈なんですね。まさに自然の大和缶。パワースポットなのです。

 

 境内に入ってびっくり。そんな有名なパワースポットなのに、人っ子一人いません。

 

 し~ん、と静まり返って、なんと、鳥の声もまったくしません。ざくざくと石を踏みしめる音だけが響きます。

 

   神社創建の時期は不明。しかし、「常陸國風土記」(721年)に「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」と記される事から、古代より信仰の聖地であったようです。
 さらに、祀られている神様の数が188柱。境内に遺跡があったり、「神仏を祀る唯一の社」として、独自の信仰を伝えている場所だそうです。

 

 パワーを授かるべく、念入りにお参りしました。トンボ玉おみくじもひきました。内緒ですが「大吉」でした。今年は「凶」年だそうなので、パワーではね返せそうです。

宝登山神社のおみくじに入っていた可愛らしいとんぼ玉のお守り

 

 だいぶ遠回りをして、ありがたいパワーを授かったので、今日の宿泊地「いそざき温泉 ホテルニュー白亜紀」に向かいます。

 変な名前ですが、近くにある天然記念物「中生代白亜紀層」にちなんで名付けられたそうです。

 

 

 部屋は、リニューアルされたモダンできれいなツインでした。

 

夕食は、こんな感じの懐石で、品数を少なめにしてちょうどよかったです。

 

 お刺身だけ、豪華にしたコースにしました。なかなかよかったですよ。

 

 さて、寝る前にお風呂に入って、体が冷めないうちに、すぐ近くの灯台を見に行きました。

 磯崎灯台。高さ15メートルの小さな灯台ですが、面白いのは、陸側に遮光がしてあって、海側だけ照らすようになっています。光がぐるんと回るところを想像していたので、ちょっと拍子抜けしました。ホテルや民家が近いので、このような構造なのかもしれません。

 

 さて、ベッドにはいって、うとうとしていたら、すごい地震が。震度6強がすぐ近くですもの、ゆれたゆれた震度5弱。

津波が来たらこりゃ避難しなくちゃと、心臓がドキドキしながら情報を集めました。

 

  テレビをつけても、NHKは案の定、まったく役に立ちませんでした。幸い、ひたちなか市には津波警報が発令されていないことだけはなんとか推測できます。

 まったく、NHK は、わぁわぁいうだけで、福島県と宮城県以外の情報はまったく流しません。こっちは、ひたちなか市の状況と東京の我が家が心配なんだから。受信料かえせ~!!(もちろんホテルの料金にも上乗せされているんだろう)。かえせ~!!

 しょうがないので、Youtube のウエザーニューズを見たら、どんどんチャットで各地の状況を流してくれるし、twitter で検索したら、調布市も停電していることがわかりました。リンクをたどって東京電力の停電情報を見たら、うちの地域の停電は60件ということで、うちは大丈夫と確信して寝ることにしました(うちの周りは東日本大震災の計画停電も免れた地域なので、めったに停電しません)。

 それにつけても、NHK は、やっぱりぶっ壊すか、テレビを捨てて、契約解除して受信料を無しにしなければいけないとの思いを強くした夜でした。

 明日につづく

 

 

 

 





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「まん防なんかぶっ飛ばせ記念旅行」に九十九里に行ってきました。PartII

2022年02月24日 | 旅行

 九十九里旅行の二日目です。

 恒例の朝食前の散歩です。

 太平洋の波はさすがに荒い。

 

 一宮海岸は、御宿と並んでサーファーのメッカです。そういえば隣の御宿海岸は「月の沙漠」の歌のモチーフになったところ。
 「砂漠」かとおもったら、地元の施設名称にはすべて「沙漠」が使われていました。歌詞では、海岸の砂はみずみずしいことから、「砂漠」ではなく「沙漠」としたそうです。

 

 一宮海岸も沙漠にふさわしい砂山が延々と続きます。

 

 突堤に立つ、港湾標識が絵になります。

 

 残念ながら、この突堤は立ち入り禁止でした。

 

 さて、朝食はバイキングでした。昨日の夜食べ過ぎたので、朝はセーブしました。なんか、めっちゃ質素ですが、品数は他にも沢山ありました。

 

 さて、今日の第一目的地「上総一之宮 玉前神社」へ

 

 裏の駐車場に止めたため、この鳥居はくぐれませんでした。

千葉県一宮町観光協会公式ホームページ より

 1200年以上の歴史がある格式高い古社。ご祭神として神武天皇の母君・玉依姫(タマヨリヒメ)命が祭られていることから、女性を守護する神社として知られ、縁結びや安産などにご利益があるとされています。
 また、レイライン「御来光の道」(春分の日と秋分の日に、太平洋から登った曙光が貫くライン)の東の起点にあり、風水学的に東京からの「最大の吉方位」に位置するため、よい気があるといわれ、開運や商売繁盛を祈願する参拝者が多いとのこと。

 通は、この神社でやるべきこと(「はだしの道」を歩く、「子宝・子授けいちょう」で子宝祈願、「さざれ石」を見る、吉方位の力が込められた御神水をお持ち帰りなど)が決まっているようなのですが、事前に調べていなかったため、とにかく「はだしの道」に挑戦します。

 これが難行苦行の連続でしたが、おかげで胃腸の調子が良くなりました。

玉前神社 「はだしの道」の苦行

 本殿がどこか認識できなくて、先に「十二社 」( 一宮町内にあった12社を合祀した神社)をお参りしてしまいましたが、本殿を見つけて、もう一度お参りしました。

 

 オタクなら垂涎ものの、可愛い巫女さんがいました。髪を結って巫女の舞をするときの正装のようです。

 

 玉前神社を後に、九十九里有料道路で、終点の片貝へ向かいます。

 この道路が、片側一車線なのですが、周りに家などがないために、2車線一方通行の高速道路を走行しているような錯覚に見舞われます。
 途中のPAで道を間違えたのか、こちら側の右折専用レーンを逆走してくる車とすれ違って、ヒヤッとしました。路面に方向矢印を表示したり、センターラインにポールを立てるなど、なんとかしないと事故が多いのではないかと思いました。

 

 海の駅九十九里に着きました。ここで、干物を買おうと思います。

 

 九十九里の青い空と海をイメージして造られた「青いポスト」。それ以上の意味はないみたいです。

 

 さて、次は「道の駅 みのりの郷東金」。ここでは野菜を仕入れました。

 

 さて、この旅行の最後の目的地。佐倉市にある、「国立歴史民俗博物館」へ。

 でかい!!。展示総件数は約9千件、収蔵資料件数は約22万件。小高い丘、佐倉城趾の一角にあります。

 

 日本列島に人類が暮らし始めた数万年前から

 高度経済成長後の1970年代までの日本の歴史と文化についてが展示されています。

 政府が1966年(昭和41年)、「明治百年」記念事業の一環として歴史民俗博物館の設置を決定し、1981年(昭和56年)に発足。博物館としての一般公開が2年後の1983年(昭和58年)3月から始まったとのこと。佐倉市にこんな施設があったとは、まったく知りませんでした。

 展示は、網羅的で、コンセプトがぼやけていて、興味をそそる展示があまりありませんでした。
 群馬がどんなに素晴らしいところかをアッピールしている群馬県立歴史博物館とくらべて、だいぶ品質がおちていると思いました。
 やっぱり国がつくると、つい自虐史観に基づいてしまうんですね。

 そのなかでも、面白かったものをいくつか。

 縄文土器。すごく精工にできていて、弥生文化に後れをとるようなことはないことが分かります。

現在では、

①、稲作は縄文時代とされていた時期にも行われており、また、弥生時代の特徴としていた高床式倉庫や大規模集落、木工技術、布の服が縄文時代から存在していた

②、遺伝子工学などの最新技術から、弥生時代になっての朝鮮半島からの大量の渡来人などによる人種の置き換えは起きていない。

③、古代日本列島における中国文化の文化伝搬の地域差が激しく、人種も完全に入れ替わってはいないこともわかり、弥生時代と縄文時代を明確に分割することが困難となり、開始年代やそもそもの定義について問題があるという結論が出てきている。

など、教科書の嘘がばれてきているようです。

 

 従来、イエネコは経典などの重要書物をネズミの害から守るため、奈良~平安時代に渡来したとされてきたのですが、近年、長崎県壱岐市の遺跡から弥生時代中期頃のイエネコと推定される骨が出土。日本へのネコの移入時期が一気に数百年さかのぼることになったそうです。

 

 「胸叩」は、中世・近世(12世紀 - 19世紀)の存在した民俗芸能。
 上半身裸の人物が、自らの手で自らの胸を叩き、騒がしく叫びながら民家等をめぐり歩く、という芸能だそうです。

 う~ん。「大阪名物パチパチパンチ」ですね。

 

 さて、今回も頑張ってくれた スバルR1。帰路につきます。

 

 

 

 

 





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