椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

2020年秋 その12

2020-10-12 21:24:06 | 青森

もう青森は秋深し、のころだと思いますが記事アップが遅れておりまして・・・・・

9月28日には青森はよく晴れていました。

桜川の町内会費を支払いに出かけていつものように川べりを歩きました。

青森のコスモスは生き生きしているように思えます。

青森高校漕艇部艇庫 合同救助艇 みちのく号 の文字があります。

青森高校は今年は創立120周年を迎えたとのこと。

先行き不透明な中でということがありますが、めげずに高校生活を満喫してもらいたいと思います。

青森が故郷だというと、うらやましがられるこのごろです。


2020年秋 その4

2020-10-07 23:58:50 | 青森

何度も登場しているホテルの窓からの眺めは、ときどき短編映画のように感じたりします。

自粛ということで長くホテルに滞在することになって、余計に窓を眺めているためでしょうか。

高齢者がじっと家から通りを眺めていたりして、認知症だったりするのかと思ったりしていましたが・・・・・

高齢になると思い出の引き出しがたくさんあって、窓の外を眺めながら思い出したり、あるいは想像を広げたりで時間が過ぎてしまうんですね。

朝早く、窓の外にパトカーが・・・・

海上でごく狭い範囲に雨が降っているようです。

この窓から見える範囲に、太宰治が旧制中学に通った道、芥川龍之介が飛び入りで講演会に参加した公会堂(一部復元)

若い森鴎外がおそらく宿泊したところが詰まっているって考えたら・・・・

戦前のこのあたりは、立派な建物が立ち並んでいて、豊かな街の景観であったようです。

何度か大火があり、また林業や北方との貿易が衰退したという歴史があって変わってしまったということがあります。

 

海に白い筋が見えたんですが、沖で豪雨のため真水が流れてきた?

目まぐるしく景色が変わっていき、いつまでも眺めていられそうな気がします。


2020年秋 その3

2020-10-06 21:31:18 | 青森

青森・蓮心寺で母の一周忌法要が行われました。

今回はコロナ禍のため、弟夫婦と私の3人だけです。

今年は青森も夏が暑くて、秋の訪れも足踏みみたいな・・・・

白い萩の花が咲いていました。

コロナ禍といったものがなく、長生きをして旅行や趣味を十分楽しんだ両親は、終末期についてはあまり考えていなかった?

介護の体験は大事だと思ったりします。

 


9月3日のまち

2020-09-03 23:26:00 | 青森

8月31日から9月3日まで、また青森に出かけてきました。

実家の相続であれこれ用事があり、たいへんなのですが、いろいろな方にお会いして、厚かましく相談やお願いをして少しずつ解決していくしかありません。

コロナ禍や猛暑の中なので、無理をせず少しずつ、ということを心掛けております。

今回の用事が何とか済んで、午後の新幹線で帰途に。

たまたま駅に向かうタクシーで岩木山が見えたので、新青森駅周辺で写真を撮ろうとして普段は出たことがない駅西口から出てみました。

 

方言詩人である高木恭造の詩碑がありました。高木恭造については こちら

 故郷(クニ)モ いま 雪(ユギ)ァ 降てるべなあ

詩集「まるめろ」からだそうで、詩碑にも、まるめろの絵があります。

なお、まるめろとはセイヨウカリンのだとのこと。

強力な台風9号、台風10号がやってきて、通り道に自分の故郷がある方たちは、心配されているのではないでしょうか。

 

炎天下、西口周辺を少し歩いてみましたが、岩木山は見えません。

この線路は奥羽本線だと思うんですが・・・・

向こうに見えるのが新青森駅の建物で、以前、あの窓から岩木山を撮ったことがあります。

結局、駅に戻って、撮ることができました☆

以前には窓の位置が低くて苦労したんですが、今回は下りホームのエスカレーターのすぐそばの窓からみえることを発見。

汗だくの1枚です。

こちらはやはりホームからの八甲田山です。きょうは少し雲がかかっていました。

故郷は特別なもので、無事を願う心はみな同じだと思います。

台風の被害がありませんように。


2020年7月 青森へ その16

2020-08-11 15:51:37 | 青森

新青森駅の喫茶店がカフェ 水とコーヒー というお店に変わっていました。モカ・ウォッシュドというコーヒーがおいしかったです。

おきな屋というお店で、曈々(とうとう)というお菓子が復活☆

曈は目へんではなく日へんなんですね。

曈々とは朝焼けで山々の空が赤々と明けていくさまをあらわしているとか。

りんごを赤葡萄酒、白葡萄酒でそれぞれ煮込んだお菓子です。

7月29日は山形新幹線が一部運休になっていたりしていました。

新青森駅を出たところです。

盛岡駅の近くです。

田んぼが冠水している?

これから台風の季節ですが農作物に被害がでませんように。


2020年7月 青森へ その13

2020-08-08 15:44:15 | 青森

困ったときの神頼み・・・・・

善知鳥(うとう)神社に疫病退散をお願いに。

善知鳥神社は訪れるたびにあれこれ発見があります。

今回は、お守りと鯉の餌2袋を購入。

人の気配で寄ってきたりするので鯉がお腹を空かせているのでは

と思ったせいもあります。。。。

購入時に、鳩に餌をやらないで、との注意がありました。

池には蓮の花が咲いていたりします。

餌を少しずつ撒いてみました。遠くから大きな鯉がすごい勢いでやってきて

小さな鯉ははじかれてしまうんですね。鯉というよりも鮫のような素早さです。

そのうち、鳩ではなくて小さ目の2羽のカラスが現れました。

私の顔をじっと見つめるんですが、スキがあれば手元が狙われそうな・・・・

注意されたこともあって鳥じゃなくて鯉に全部撒くことにしました。

そしたら、池の端に行って水に浮いた餌を水に濡れながら取り出して・・・

 

善知鳥は古くは烏頭であったとか。

昔の人は烏を手なずけたりしていたんでしょうか。

身近な動物たちも怒り出したりすると怖い存在だったりするのだ

と思いました。


2020年7月 青森へ その12

2020-08-07 23:50:21 | 青森

7月の2度の訪問では、友人にも会わず、食事も駅前のお店とサンドイッチなどで済ませて、空いた時間は外を歩いていました。

ホテルの部屋で海を眺める時間もけっこうありました。

ふとなんだか見たことのある船が・・・・その7に登場した出雲丸?

デジカメの望遠で撮ったんですが、スパイかなんかのつもりに。

主人の話では戦時中は広島の呉湾では写真禁止だったそうですが、陸奥湾はどうだったんでしょうね。

この道の先には善知鳥神社があります。

かつての青森の夜は賑やかだったようですが、今ではテナント募集の張り紙があちこちに。


2020年7月 青森へ その11

2020-08-07 22:50:50 | 青森

6月下旬に青森に出かけて、また7月には12日から15日までと、27日から29日までの2回出かけました。

両親が亡くなって相続税申告の手続きが迫っていたため、コロナ自粛が埼玉にまだ出ていなかったということで・・・・、

やはり、電車や新幹線では咳こんでいる人がいたりすると気になったりしました。

7月27日はまだ雲が低く、気温もまだ低かったりしました。

こうして何度も乗っていますが、遅れたり、止まったりがなくてありがたいことだと思います。

婆さんでも写真が撮れる速さがよいと思うんですけれども・・・・

コロナ禍は、人間の時間にどのような影響を与えるのか

あくせくしてもだめ、ということにならないでしょうか。

 


2020年7月 青森へ その10

2020-07-31 00:57:42 | 青森

被災時の船の利用などはできるかどうか気になっていましたので、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の見学をしてみました。

メモリアルシップ八甲田丸については こちら

見学用に扉は開いていたものの窓は当然のことながら開かないものなので、古い船は換気に問題がある?

これからの建物や乗り物は換気機能がまず大事になっていくんでしょうね。

既存のものについての換気機能の工事も大事そう。

あちこちに等身大の人形がいて見学者がひとりだったのでびっくりしたりします。

 

津軽海峡の潮の流れは複雑だとか。

戦争中は貨物船や客船が空襲の被害にあったようです。

考えてみれば船で列車を運ぶというのはすごいことですね。

私が学生のころは宅急便といったものはなくて、乗車券を示して手荷物を送るチッキというものがありました。

ふとんなんかも送っていましたね。チッキとは こちら

いろいろと思い出すことがあったりしますので、ぜひ団塊の世代の方はご見学ください。

青森駅からすぐのところにあります。

この日は晴れていましたが風が強く波が白く見え、船にぶつかる音も聞こえました。

海は生き物のように思われたりします。


2020年7月 青森へ その9

2020-07-26 22:29:38 | 青森

海は雲の生産地なんでしょうか?

この海の向こうは北海道で、北海道の玄関は函館です。

新幹線で青森で降りずに函館に行きたいと何度か思ったりしたんですが・・・・

けっこう遠いんですね。

青函ツインシティの像です。

太宰治と亀井勝一郎の関係を思い出したりします。

ハマナスの花が咲いていました。