私のすく目につくところに、旧制広島高等学校の資料がありました。
これは、昨年、主人の老化防止を兼ねて「はだしのゲン」10巻を購入し、
旧制高校生として被爆体験があるのだから、この本について感想を聞かせてほしい
と持ちかけたから、であったかもしれません。
いつもなら、私のそういう押し付けがましさを嫌がる主人でしたが、きちんと読んでくれました。
細かいところでこれはちょっと違う、ということがあったようですが、ほぼ事実通りでまじめに書いてある、とのことでした。
資料の中で、目を引くのが引率の山下教官による生徒動員日誌です。
平成10年発行 監修 生徒動員日誌刊行会 発行者 広島高等学校同窓会 とあります。
広島高等学校と原爆については
こちら
「生徒動員日誌」の刊行にあたって、から
戦争中、学徒動員令により旧制中学・高校・大学生は各地工場に行って、軍需品や兵器の製造に携わり、また家庭疎開の後片付けをした。昭和二十年三月には全国で三百十五万六千人が動員対象学徒になった。広高生は下松の東洋鋼鈑、呉の海軍工廠と向洋の日本製鋼所へ勤労動員された。この動員日誌は生徒のの状況を学校へ報告するために引率教官によって記録されたものである。これは、その性格上、執筆者の見聞したことを、人名・地名・時刻を含めて具体的かつ客観的に記し、当時の状況を生々しくかつ克明に物語る貴重な記録である。
p.40
八月六日(月) 晴
一、本日公休日、二年生指導ノ寮ノ行事アル筈ナリシモ、寮宣誓署名式オクレ、本日三寮ノ署名式ヲ行フ為メ、他ノ一年生ニハ
外出ヲ許スコトトナル。
このとき、主人は一年生で署名式に出なければならない中にいたのだそうです。せっかくの休みなのに、と思っていたのだとか。
一、朝食後、六時頃ヨリ三々伍々広島市ヘ外出ス。
このころには、広島県安芸郡府中町にあった日本製鋼所広島工場の寮の一部を広高の寮として、広島市の寮から「寮旗」を移して名前をもとのように薫風寮としていたのだとか。主人はあれこれの寮歌を歌うことがありましたが、その中には現代風なメロディのものがありました。
(中略)
一、午前七時、第二報告寮軍事講習場ニテ警報発令ヲ聴ク。
一、八時十分頃、空二爆音ヲ聴キ居タルモ、ソノ爆音最モ近クナリ頭上カト思ハレル頃、閃光アリ。二、三十秒ノ後、大音響ト共ニ爆風。直チニ地上ニ伏ス。広島ノ空ニ白煙天ニ冲スルヲ見ル。
第二報国寮近辺ノガラス戸全部壊レ、家屋小破ス。
(つづく)
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