椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

11月8日のまち 三内丸山遺跡 その4

2018-11-22 15:34:59 | 青森

三内は小学生にとって遠足の場所であり、また青森市営三内霊園があって、父が眠っているところです

三内丸山が面している沖館川は陸奥湾に注いでいますが、その途中に私が子どものころ過ごした製材所がありました。

ドジョウを取ったり、キクイモを掘り出したりして走り回っていました。縄文人の体験をしていたことになります。

さて、三内丸山は植生環境の復元にも取り組んできたのだとか。

三内丸山遺跡公園から青森県立美術館へ至る道です。

 

現代人にとって、 三内丸山遺跡公園のどこかに立ってみることで、はるか遠くの記憶が呼び起こされ、知恵と知識が融合することがあるかもしれません。

試してみるのはいかがでしょうか。

 

 


11月8日のまち 三内丸山遺跡 その3

2018-11-22 12:19:39 | 青森

ガイドの方の説明で最も興味深かったのはやはり食に関することでした。

クリが栽培されていたとのこと。道の奥にクリが落ちていました。

クルミ、イモ類、山菜も利用され、マメ類、ヒョウタンも栽培されていたんだとか。

ニワトコ、サルナシ、クワ、キイチゴなどでお酒をつくってもいたようです。

三内丸山ではシカやイノシシは少なく、ムササビ、ウサギといった小動物、魚類ではマダイ、ブリ、サバ、ヒラメ、ニシン、サメ類、フグなど種類が多いとのこと。

調理法は煮るものが多いとか。

クリ、マメ、イモなどが主食で、あとはなべ料理のような感じなんでしょうか?

なべ料理ならば海水をそのまま利用したりできるのかもしれませんが、保存などには塩が必要であったはず。

古代の塩はどうやって作られたのか?  そういえば鹽竈(しおがま)神社が・・・・・

鹽竈神社HPから こちら

簡便な方法として、海藻を焼いて、それを塩とすることができるようです。なるほど。


11月8日のまち 三内丸山遺跡 その2

2018-11-22 00:12:09 | 青森

そのほかの復元された建物です。一部には入ってみることができました。

ついつい影の自撮りをしてしまいます。

 

多人数での共同作業が必要であったことでしょう。

図面は描いたのでしょうか?

あるいはマニュアルのようなものはあったのでしょうか?

 

現代においては、こういった建物の維持管理は、考える以上に経費がかかるようです。

帰る頃に防虫のための燻蒸の車が来ていました。