神戸・北野天満神社の入り口には急な階段があったのですが、さらに裏手にはまだ上りの道がありました。
菅原道真のよく知られた歌の碑がありました。新しいもののようです。
海が見えます。秀吉同様に清盛にも 夢のまた夢 という気持ちがあったのかもしれません。
遠くから撮ったものです。
水天宮が祀られていて、さらに上への道は通行止めになっていました。
ふと平清盛の墓、それとも菅原道真の墓の意味合いがあるのかもしれない、と思ってしまいました。
神戸・北野天満神社の入り口には急な階段があったのですが、さらに裏手にはまだ上りの道がありました。
菅原道真のよく知られた歌の碑がありました。新しいもののようです。
海が見えます。秀吉同様に清盛にも 夢のまた夢 という気持ちがあったのかもしれません。
遠くから撮ったものです。
水天宮が祀られていて、さらに上への道は通行止めになっていました。
ふと平清盛の墓、それとも菅原道真の墓の意味合いがあるのかもしれない、と思ってしまいました。
神戸・北野天満神社の由緒について
なんと平清盛の名前が
神戸は清盛がお気に入りの場所であったんですね。
しかも天神様を祀るということは、清盛は学問好きであったということなんでしょうか。
まだそのころは菅原道真は怨霊の役割が強かったとすれば、落日の平家がひどいめにが合うなら道真同様に怨霊となる、という意味合いがあったりして。
あれこれ考えながらそれほど広くはない境内を歩き回りました。
後に平清盛の怨霊も怖れることになったような気がします。
現代では、菅原道真や平清盛の怨念は消えて、日本の守り神となっているように感じられてきます。