案内板によると、言い伝えでは安閑天皇の世に創建され、室町時代に再興とのこと。
東川(あずまがわ)沿いにあります。
外出を控えているので、あれこれ検索しまくり、想像力を大いに羽ばたかせてみることにしました。
古代の安閑天皇時代に政変があったようです。辛亥の変については こちら
安閑とは、何もせずのんびりしていること、の意味のようですが、「安閑としている場合じゃない」のように使われることが多いんですよね。
秦河勝が安閑天皇の落胤であるという説もあるのだとか。となると、安閑天皇が秦・始皇帝とつながりがある?
それとも安閑天皇は秦グループによって退位させられた?
秦河勝については こちら
安閑天皇の時代に、上毛野小熊(かみつけのおくま)という人物がいて、武蔵国造の争いに敗れたんだとか。→ こちら
熊野は平家とつながりがあるようです。どちからというと、将門伝説まである所沢は平家寄りであったような・・・・
速玉熊野神社の神木がナギだとか。ナギの木とは別にナギという別名をもつミズアオイという植物があるようです。
田んぼに生えるため、農薬のない時代には農民たちにもよく知られた植物であったようです。
(写真はWikipediaから)
ミズアオイについては こちら
徳川家の葵紋について、薬学者だと聞いている家康は何を伝えようとしているのかずっと気になっていたんですが・・・・
国の基本は農民だと考えていて、ミズアオイを示すことで、いざとなると食料ともなり,染料ともなることを示した?
熊野とつながりがある、となると徳川は平家ともつながっていると示した?
万葉集にもナギが登場しているようです。→ こちら
1933年(昭和8年)に昭和天皇が詠んだ歌に
天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
というものがあるようです。何とか戦争を止めたいという気持ちがあったのではないでしょうか?
ひょっとして熊野や南方熊楠を思い出していたとか? 南方熊楠と昭和天皇については こちら
ナギは海の凪とも掛けられているので、家康と昭和天皇は時代こそ違うものの同じ思いを持った時間があるのですね。
当然のことながら家康については後世でつくられていった姿もあることでしょう。
所沢・熊野神社についても、あれこれの時代にいた物知りが新たな伝説を加えたのかもしれません。
ただ、それは人寄せとか商売のためではなくて、元気を出してもらおうという気持であったのではないでしょうか。